頭では理解できても口にできない言葉はある。

世の中の社会人すごい!と、今日ほど痛感した日はない。

だって、体裁保つために、思ってなくても、「ごめんなさい」が言えるのだから。

大人だ。これができれば社会人の仲間入りできるに決まっている。


テレビで謝罪会見をしている人は、事態を知らなかったひとだろう。ただし、管理職だから責任がある。

金銭的な繋がりがある取引先でも、直接迷惑をかけてしまった協力組織からでもなく、上司から「これこれこういうことであなたが悪い。なぜ私に謝罪がないのだ」と怒られるとは想定外だった。

想定外すぎて言葉が出なかったのは、社会人失格。ここで「ごめんなさい。」や「申し訳ありません。」の言葉があってしかるべきと、重ねて指導が入った。

なぜそういうことになったかは省くが(説得力にかけてしまうことは承知の上だ)、この事態を職場の大先輩は、「みんながわるい。誰かのせいという単純な原因ではない。」と言っていた。

その回答に依存するつもりはないが、原因となる要素は実に数多かった。「もしあの時ああしていたら…」のたらればが容易にいくつも思いつくのだ。もし、紛れもなくこれが原因!と特定されれば個人の責任になっても理解して、受け止める度量はある。しかし、今回はそうではない。

反射で「ごめんなさい。」がいえる社会人を上司は育てていて、その言葉が重要なのであろう。高ぶった感情の緩衝材になるから。それも理解できる。今後は善処するつもりだ。

しかし、私にはその時「ごめんなさい。」と言うことで一切の責任を反射で引き受けることはできなかった。一番下の部下だと自覚してなお。

頭では理解できていても、口に出せない言葉はあるのだ。

と、いうお話。


理不尽な世の中でもみんなががんばってるから、私もがんばろう。

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