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三十五年目のラブレター 第21話
朝一で横浜港北区、午後一で東京江戸川区。そして一旦署に戻って、すぐに川崎市中原区上丸子。
横須賀線の武蔵小杉、南武線の武蔵小杉、同じく南武線の向河原、東横線の武蔵小杉、更には東横線の新丸子、どの駅から行ってもほぼ所要時間が同じという複雑怪奇な場所にその女性は住んでいた。
このクソ暑い時期だ、少しでも歩かなくていい線に乗りたいのだが、こうなるともうどうでもいいやと言う気になって来る。
望月奈絵、五十歳。例の桐谷の教え子という喫茶店のマスターと同級生だ。元々船橋に住んでいたが、川崎の男と結婚して上丸子に移り住んだらしい。が、数年前に夫の浮気が原因で離婚、現在は一人で生活している。
毎月振り込まれる生活費では足りず、少しでも生活の足しにしようと西川の事務所で事務員として働いていたが、度重なるセクハラに嫌気がさして退職。その少し前に入って来た新人の女の子に引き継ぎをしてから辞めたようだが、新人の方は若い子だったせいかセクハラも大胆になり、車の中でキスされたりホテルに連れ込まれたりしたため、望月に相談したようだ。
望月の家はすぐにわかった。宮脇のような戸建て住宅ではなく、かなり年季の入ったアパートだったのだ。
ペンキが剥げて錆びついた金属製の階段を上ると、部屋が四つほど並んでいる。その手前から二番目が望月の部屋だ。端の部屋でないところを見ると、窓もなくベランダだけがあるのだろうと予想される。家賃はどう見ても高そうには思えないが、別れた元旦那は一体毎月いくらずつ振り込んでいるのだろうか。
そんなことを考えながら呼び鈴を押すと、すぐに「はーい」と声がして、黒と茶のまだらに染まった髪の女性が出てきた。白髪交じりの黒髪をブラウンに染めて、白髪だけが茶色になったという感じだ。しかも天辺はもう白くなりつつある。西川のところを辞めてから美容院に行っていないのだろう。
「望月奈絵さんですか?」
「ああ、さっき電話くれた島崎さんでしょ、入って入って」
舌っ足らずの喋り方が鼻につく。
「いえ、ここで結構です」
「あむりんも呼んでおいたから、上がってよ」
「あむりん?」
訳が分からないまま望月の家に上がると、玄関にはなんとも形容のし難いブーツが揃えて置いてある。
「お邪魔します」
恐る恐る部屋に入ると、二十代半ばのお団子ツインテールが「こんにちは」と声を掛けてきた。
「ここ座って。この子は遅塚亜夢ちゃん。あむりんって呼んでる。あたしがもっちーね」
「あむりんです、よろぴゅく!」
こういうのをアニメ声というのだろうか、頭を三十度程傾けてニッコリ笑うあむりんにつられて「島ちゃんです、よろぴゅく!」と反応してしまった。なんたる不覚。
「島ちゃん、アイスコーヒーでいい?」
「あ、はい、いただきます」
――いや、なんで俺はフツーにコーヒーいただいてるんだ。っつーか、なんなんだこの二人は。本当に西川のところで事務やってたのか? もっちーはともかく、あむりんは今すぐこのままアキバのメイド喫茶で働けるぞ、などと思っても決して音声化してはいけないのが刑事の辛いところである。
「早速なんですが、遅塚さんは――」
「あむりんね!」
「あ、はい、あむりんは……ええと、その」
何を訊こうとしたのか忘れてしまった。島崎大ピンチである。
そこへ救いの女神の如く望月……じゃない、もっちーがアイスコーヒーを持って戻って来た。
「元はと言えば、あたしが旦那と別れたからなのよね。あのくそ馬鹿野郎、あたしみたいないい奥さんがいるってのにさ、十五歳も若い女のところに転がり込んで、その女と結婚したいから別れてくれとか言い出してさ。ふざけんなっての。思いっきりふんだくってやったわ」
「はぁ……」
「だけど、家賃と水道光熱費だけでも結構かかるじゃない? だからあたしも仕事しようと思ったわけよ。そしたらちょうど西川んとこで事務員募集してるっていうじゃない? ワードとエクセルができればいいって言うから、簿記二級持ってるって言ったら即雇ってくれたの。昔取った杵柄ってやつね」
「あむりんは昔取った遅塚でーす!」
誰がうまい事を言えと……とツッコみたくなる気持ちを抑え、島崎はウンウンと真顔で頷く。これ以上振り回されてなるものか。
「二年前、あ、もう三年になるかなぁ、働き始めたころは特に何もなかったの。だけどやたらと肩揉んできたり、エレベーターで必要以上にくっついて来たりして、ちょっと気持ち悪かったのね。それが『今夜あたり奈絵ちゃんと一緒に食事でも行きたいなぁ』とか言い出して」
そこに「キモっ!」と、あむりんの合いの手が入る。
「だよねー。それでさ、そのうちに『旦那とは夜の生活どうだったの?』とか『俺、テクニシャンだよ』とか言うからもう気持ち悪くて」
「やだー、マジキモい!」
「ねーっ。このタヌキ親父が、どの面下げてその台詞言ってんのよって感じでしょ、島ちゃん?」
「今度会ったらテクニック伝授して貰いますよ」
二人が「それ最高!」と大笑いしている。どれだけ嫌われているのやら。
「でね、あたしが辞める時あむりんに引継ぎしたんだけどね、あいつスケベだから気を付けた方がいいよって言ってたのよ。絶対にエレベーターとかで二人っきりにならない方がいいからって言ってたんだけどね。ほら、あたしが辞めちゃったら目が届かなくなるでしょ?」
「エレベーターでチューされたり、車の中で胸触られたりしたんですよー。許せなくないですかー?」
――確かにそれは許せない。俺だってエレベーターの中で川畑さんにチューしたり、車の中で川畑さんの胸を……じゃない! 確かにそういう欲求が無いわけではないが、今はそういう話じゃない!
話を戻そう。
「あの、あむりんは仕事のときもその恰好で行くんですか?」
と、ついうっかり島崎が聞いてしまうのも無理はない。座布団にきちんと正座した遅塚は、頭はアニメに出てくる美少女戦士のようなお団子ツインテール、そして白いフリルとリボンがたくさんついた真っ黒なワンピースという出で立ちである。
ワンピースもスカート部分にたっぷりとギャザーが寄せてあり、ただでさえかなりのボリュームがあるというのに、更に中にパニエを入れていると思われる。袖も随分ふっくらとしたパフスリーヴで、ロングカフスの先にも幅広の面レースが施されている。
島崎はファッションに関してはまるっきり門外漢ではあるが、これが所謂『ゴスロリ』とかいう種類のものだということくらいはなんとなく知っている。
玄関にあった十センチくらいのヒール(爪先でも五センチはあった)の厚底編み上げブーツも、恐らく彼女のものだろう。
「まさかー。西川さんってロリコンなんですよー。お団子ツインテとかこんなバッグとか見たらヤバいでしょー?」
そう言いながら彼女が持ち上げて見せてくれたのは、ランドセルを模したデザインのリュックだった。こんなものが売っているのか、というか、こんなものに需要があるのかということに、島崎は驚きを隠せない。
しかし、西川がロリコンというのは初耳だ。もしかすると別の形で余罪が出てくるかもしれない。
「それでね、春先にね、挨拶回りに行ったときに、あ、ちゃんとあむりんスーツで行ったよ、その時にね、帰りにお酒飲みに行こうって言われて断ったんだけど、挨拶回りの帰りだったから帰り道がわかんなくて、仕方なくついて行ったのね。そしたら凄い飲まされて、一人で帰れなくなっちゃって、ホテルに連れ込まれたんですよー。許せなくないですかー?」
――確かにそれも許せない。俺だって飲み屋の帰りに川畑さんの家に押しかけて、玄関先でキスして、そのままなし崩しにイチャイチャ……じゃない! そうじゃない! どうもこの二人には調子狂わされる!
「それでね、あむりんチョー本気で逃げたのね。お家わかんないから、もっちーに電話して迎えに来て貰ったの。それで、ムカつくし訴えてやろうよって話になったの」
顔に『プンスカ』と吹き出しがついているかのように怒りモードに入っている遅塚を、望月が「どうどう」と宥める。先輩後輩と言うよりはお友達のようだ。親子ほど歳の離れた友達というのもなかなかいいものである。
そこで再び望月が口を開いた。
「それで先月、あおっきーに相談したのよ」
「は? あおっきー?」
またわからん名前が出てきた。もっちーとかあおっきーとかオタッキーとか、そんなのばっかりか。
「ああ、青木君。喫茶店のマスターやってる彼、青木君って言うの」
そういえば確か望月とマスターは同級生だったのだ。
「ちょうど桐谷先生が来ててね、うわー懐かしいって盛り上がったのよ。あおっきーは桐谷先生がクラスの担任で、あたしは部活の顧問が桐谷先生だったのよね」
「部活は何部だったんですか?」
「えー? あたし幽霊部員だったから、よく覚えてないのよね」
まあ、そんな感じもしないではない。
「で、せっかく桐谷先生もいる事だし、先生にも相談したわけよ。それで、あおっきーが『Me tooやればいい』って言ってくれてさぁ。桐谷先生は『匿名だと誰でも投稿できるから信憑性が無い、それをやるなら実名写真入りくらいの事をしないと意味がないんじゃないか』って。でもそれはリスクが高いからやめた方がいいって賛成してくれなかったのよね」
なんだと? 桐谷は賛成しなかった? 彼が西川を追い込むために、彼女たちを扇動したんじゃないのか?
「だけど、結局そのすぐ後にウグイス嬢をやってた子たちがSNSで『Me too』始めちゃって、それであたしたちも便乗したの。ウグイスの子たち、最初は匿名だったんだけど、あたしたちが実名で写真上げたらあの子たちも真似して始めたのよね」
「その後、桐谷さんとは?」
「連絡来たわよ。実名上げちゃってたけど大丈夫かって心配してくれて。もうほんと桐谷先生の中では、あたしたちっていつまでも高校生のままなのよね」
やはり桐谷は西川には関与していなかったのか。調べれば調べるほど桐谷は離れて行く。だが、島崎は何かが引っ掛かっていた。何が引っ掛かるのか自分でも理解できなかった。