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三十五年目のラブレター 第23話

 朝行ったばかりでもう一度行くのは気が引けたが、やはり桐谷のあの様子が気になった島崎は再び宮脇邸に向かおうとしていた。
 手紙を見せて欲しいと言った時の、今までにない強い拒絶。あの手紙には何かとんでもないことが書かれていたに違いない。それがもしも宮脇恵美の死に関係する事ならば、桐谷も黙ってはいないだろう。
 とは言え、宮脇恵美が阿久津と西川と中橋に殺されたということはないだろう。阿久津は金の亡者、西川は女狂い、中橋に至っては単なる美術オタクだ、殺人に手を染めるタイプではない。
 では一体何なのか。そもそも桐谷の言うように、全く無関係な事を島崎が勝手に結びつけてしまっているだけなのか。
 とにかく『Me too』だけでも先に調べておいて貰った方が良さそうだと踏んだ島崎は、電車待ちの間に吉井に連絡を入れた。
「島崎です。どうですか、犯人から連絡はありましたか」
「おー、お疲れ。こっちは何も動きはない。そっちはどうだ」
「西川のところで事務をやっていた望月さんのところに話を聞きに行ったんですが、望月さんが仕事を引き継いだという後輩事務員の遅塚さんを呼んでおいてくれたんですよ。で、二人の話では、ウグイス嬢たちが先に『Me too』を始めていたようなんです。更にそのウグイス嬢たちの前に、匿名の告発者がいたらしいんです。それを見てウグイス嬢たちが便乗し、更に望月さんと遅塚さんが実名で便乗したという順番らしいんですよ」
「なるほどな」
 電話の向こうで吉井がフッと笑ったのが聞こえた。
「つまり問題なのは、その最初の匿名の告発者が誰なのか。そいつをこっちで探し出しておけばいいんだな?」
 さすが吉井、話が早い。この人に仕込まれたのだから川畑が優秀になるわけである。尤も、元々優秀だったというのも手伝ってはいるが。
「任せとけ、サイバーチームに協力を要請するから、島崎が戻るころには上がってると思っていいぞ」
「助かります。私の方はこれからもう一度宮脇さん宅でお話を伺って来ようと思います。それじゃ、お願いします」
「了解」
 電話を切って溜息をつく。自分も吉井くらい仕事ができれば少しは興味を持って貰えるかもしれないが、まあ、あれだけ身近なところに吉井ほどの切れ者がいるのだ、引き立て役にしかなれないことくらい自分でもよくわかっている。
 駅のホームに、菊名・綱島方面行きの電車の到着を知らせるアナウンスが響いた。
 と、その時再びスマートフォンが電話の着信を知らせた。
「はい、島崎」
「あー、島ちゃん? あたしー、あむりんだけどぉ」
 へ? さっき会ったばかりの遅塚? 何か思い出したのだろうか。
「どうされました?」
「あのねー、今ちょうどウグイスの子から連絡があって、これから一緒にゴハンするんだけど、島ちゃんも来るー?」
「行きます! どこですか!」

***

 五分後、島崎は指定された日吉の駅前にいた。待ち合わせは一時間後だったが、自分はもう武蔵小杉の駅のホームにいて、綱島方面の電車がちょうど来たところだったのだ。しかも日吉は綱島の手前、武蔵小杉からはたったの二駅。つまり五分しか必要としなかったのである。
 さて、困った。一時間もどうやって潰そうか。
 この一時間を使って宮脇夫妻に話を聞きたいところだが、綱島まで行って話を聞いて戻ってくるのには時間が足りない。なんとも中途半端だ。
 それ以前に、潰す時間すら勿体ないのだ。一分一秒も早く決着をつけて、川畑を迎えに行ってやりたい。
 目の前を若いカップルが横切る。女の方がセミロングの髪が背中に入ってしまったのか、歩きながら髪を後ろで一つにまとめるような仕草をするのが目に入った。
 そういえば、川畑の髪留めが壊れたと言っていた。眼鏡のフレームとお揃いの、シックな赤のものだった。
 島崎はちょうど目の前にあったアクセサリーショップに立ち寄ってみた。こんなにいろいろなものがあると、さすがに目移りしてしまう。この中からお気に入りのものを選ぶのだから、女性の買い物に時間がかかるのがなんとなくわかるような気がした。
 島崎がぼんやりと眺めていると、同世代の店員が「何かお探しですか?」と声を掛けて来た。
「ええと、こう、髪をパチンと留めるやつを」
「バレッタですね」
 なんとなく眺めていただけだったが、ついうっかり答えてしまった。店員は「この辺が全部そうです」と案内してくれた。
「ご使用になる方の髪質はどんな感じですか」
「え? 髪質?」
「ええ、ストレートとか、癖っ毛とか、天然パーマとか」
「ストレートです」
「長さは?」
「えーと、これくらいかな」
 島崎は肩の少し下辺りを手で示した。
「セミロングですね。じゃあ、クールビューティーとフェミニンキュートならどっちのタイプですか」
「は?」
 だんだん島崎のわからない言語体系になって来た。
「いつもお召しになっているのはどんな感じの服でしょうか」
「ああ……ええと、黒とかチャコールグレーとかネイビーとかの、カチッとしたスーツが多いかな」
「典型的なクールビューティ!」
 この話、どっちへ向かってるんだろう……と思う間もなく、次が来る。
「色白さんですか、健康的な小麦肌さん」
「色白」
「髪は黒かしら、茶系かしら」
「真っ黒です」
「じゃ、これ! これなんかいかがですか?」
 ピンクに白い花のネイルを施した指先が、中から一つを選んで、フェルトを敷いた木の小さなトレイに乗せた。
 何の飾り気もない、シンプルな細いシルバーのバレッタだった。川畑がそれで髪をまとめたら、恐ろしく似合うだろうという気がした。
「エリートという言葉がよく似合うデキる女性を想像しました。そんなに大きくズレてないでしょ?」
「さすがだね。まさに彼女そのものだよ。これ包んでくれる?」
「プレゼントラッピングしましょうか?」
「いや、すぐに使えるようにしてくれ」
「かしこまりました」
 彼女は形の良いチェリーピンクの唇で、ニッコリ笑った。

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