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第33話 科学部、怪我をする!
「二号先輩、大変っす!」
のんびりとアカントーデスを捌いていた教授と、金盥で塩を作っていた二号は、金太の切羽詰まった声にハッと振り返った。
さっき二人で水汲みに行ったばかりだというのに、何故か金太が姐御をお姫様抱っこにして走って来るではないか。
「どうした、金太」
「姐御ー?」
金太が二人の前に姐御を下ろすと、彼女は「大袈裟ね、大したこと無いわよ」と言って顔の前で手を振る。
だが、どう見ても大したことありそうである。何故なら彼女の極めて魅力的な太腿に点々と歯型が付いて流血しているからである。
「俺より先に姐御先輩の太腿に――」
「あんたは一生無いから」
「金太、僕のリュックとボウル一杯の水を持って来い」
「うっす」
「姐御先輩、止血しますので膝を立てておいてください」
「えっ……初めてだから優しくしてね」
「いろいろ誤解を招くような言い方しないでください」
念のために断っておくが、勿論サバイバル下での止血である。
「誰に噛まれたのー?」
「エリオプス」
「えー! マジでー! 羨ましいー」
「二号先輩でも女子の生脚に噛みつきたいとか思うんですか? 小学生の分際で」
「違う違うー、エリオプスに噛まれるなんて羨ましー。オイラも噛まれたいー」
「ちょっとそれあたしに失礼じゃない?」
ある意味本物の変態であろうと思われる二号の発言を華麗にスルーし、教授は自分のズボンからスルリとベルトを抜いた。
「ちょっと、やだ教授ったら、まだ明るいから」
「暗くなるまで待てませんよ」
「結構大胆なのね。でも、そんなワイルドな教授も素敵よ」
教授は姐御の勘違い甚だしい台詞を聞かなかったことにし、彼女の太腿の上の方を縛り始めた。
「いやん、こんなところで」
「何処でやっても一緒です」
「あんっ……優しくしてって言ったのに」
「ですから、いろいろ誤解を招くような声を出さないでください」
「初めてだって言ったじゃない」
「言われなくたってエリオプスに噛まれた人なんて全人類で姐御先輩が初めてに決まってますから」
そこに金太が教授のリュックを持って戻って来た。
「なっ、なっ、何やってんだよ教授! 俺にやらせろよ! 自分ばっかりずるいぞ」
そうじゃないだろう、金太。
「俺だって姐御先輩で緊縛プレ――」
「ハイハイ、これは良い子の科学読み物だからねー」
「お前はそのリュックから手拭いを出せ」
ブツブツ言いながらも金太は教授の指示に素直に従う。見ているだけでも十分楽しめるからである。……じゃない、そういう事じゃない。
教授は姐御の脚についた血を綺麗に流すと、手拭いで圧迫止血を試みた。
「なかなか止まりませんね、心臓の位置が高いでしょうか。ちょっと姐御先輩、寝てください。膝は立てたままで」
「教授が言うなら……」
そこは頬を赤らめるところではない。
「脚、持ち上げるー? 早く止まるよー」
「そうですね」
言うが早いか、教授は彼女の片脚を自分の肩の上に乗せてしまった。
「やん、ちょっと、教授ったら!」
「うーん、僕の身長では肩が高すぎるようです。二号先輩お願いします」
「いやー、オイラは教授と違って健全な男子高校生だから、その構図はいろいろヤバいかなー」
「小学生の分際でクソ生意気に股間を押さえながら言わないでください。僕は普通に健全です」
似たり寄ったり、五十歩百歩、団栗の背比べ、目糞鼻糞を笑う……。
「いいわよ、そのうち止まるからほっといて。それより二号、エリオプスの写真撮ってきたわよ」
「えー! 見たい見たいー!」
脚を噛ませておいて写真を撮った姐御と、彼女の悩ましいポーズよりもエリオプスの写真の方が見たい二号、ヲタクの世界は実に奥深い。だが、そんなことは当人たちはお構いなしである。
「おー、すげー。本物だー。これまだそこにいるのー?」
「わかんない。後で見に行く?」
「行く行くー! オイラも見たいー」
「あー、姐御先輩あまり動かないでください。まだ血が止まってませんから」
「消毒薬とかあったらいいんすけどね」
「こんなところにオキシドールなんかないからな」
「キシリトール?」
「オキシドール! 過酸化水素水H₂O₂! この前ボルタ電池の説明したときに話しただろう」
「……えへへへ」
つまり金太は過酸化水素水から既にわかっていなかったという事らしい。顔に書いてある。
「そういえば怪我したところにオキシドールつけると泡が出るよな。あれ、不思議じゃね?」
「別に。触媒によって活性化が進んだだけだろう」
「ショクバイ?」
「ああ、血液中のカタラーゼに過酸化水素が反応するんだが、その反応を利用して解毒するんだ。その時に過酸化水素は水と酸素に分解される。だから泡が出る」
「カタラーゼって何?」
「ヘムタンパクの一種で、細胞内のペルオキシソームに存在し、過酸化水素を即座に分解除去する酵素だ。マルトースを分解するマルターゼや、アミロースを分解するアミラーゼも聞いたことがあるだろう」
「シラネーゼって感じなんだけど」
いや、アミラーゼは習っている筈だ、生物の先生が泣くぞ。
「てゆーか、ショクバイって何?」
そこからなのか、金太。流石に姐御と二号も「は?」と顔に書いてある。
「中学の時にやっただろう。特定の化学反応の反応速度を速める物質で、それ自体は化学反応の前後で変化しないもののことだ。過酸化水素水から酸素を発生させる実験で二酸化マンガンを使っただろう?」
「ああ、あれ、全然意味が解らなかったけど、泡が出たな」
いつものようにプサロニウスの枝を片手に握りしめた教授が、空いた方の手で眼鏡のフレームをキュッと押し上げた。
「化学式を書いて説明しようか?」
「結構ですっ!」
三人の声が古生代の空に響いた。