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催花雨

「ねぇ、雨の色って何色だと思う?」
突然のホムラの質問に、私は考え込んだ。
ホムラのことだから、透明という答えは最適解ではない気がした。
2人の間に再び、沈黙が降りた。
雨がしとしと降っている。

「この間、もうすぐ花が咲きそうな蕾を見つけたんだ。今度の夕焼けの画材はこれで決まりだね。」
急用があると言って、忙しい任務の間に私を呼び出したホムラは、開口一番にそう言った。
「……そう。」
これのどこが急用なんだろう。
ワンダラーが彼のアトリエに入り込んだのかもしれないと思い、今日の任務の後始末を同僚に任せて急いで来たのに。もしかしたら、別に急用があるのかもしれない。
「ホムラ、急用って?」
「まだわからないのかい?その花が咲くところを観に行くんだよ。」
私の頭の中には“?”が浮かんでいる。芸術家とはこういうものなのだろうか。
「いってらっしゃい。」
「何を言ってるの?君もボディーガードとして僕についてくるんだよ。」
ホムラは荷造りをしながら、至極当然というように言い切った。
「まさか、今から?」
「花はいつ咲くかわからないじゃないか。」
私はため息を吐いた。全く、偉大な芸術家が考えることは凡人には理解不能だ。
それに、今日の予報は夕方から明日まで雨のはずだ。
「今日は夕方から雨が降るんだよ。外でいつ咲くかわからない花を見ていると、風邪を引いちゃうよ。」
「大丈夫。僕の予報では、雨は一滴も降らないよ。」
ホムラが得意気に指を鳴らしながら言う。
頭の中の“?”がまた増えた。
“ホムラは言い出したら聞かないんです。”
先日トウさんが言っていたことが思い出される。仕方がない。明日は休みだし、ホムラに付き合おう。
「それで、場所はどこなの?」
私の言葉に、ホムラが顔を輝かせた。

彼がインスピレーションを求め歩いたという散歩道に私を連れてきて、30分が経過した。しかし、もうすぐ咲きそうだと言った花の蕾は、一向に開く気配がない。それどころか、予報通り空から雫が落ちてきた。
「ホムラ、雨が降ってきたよ。もう帰ろう。花なら、咲いてから見に来ればいいよ。」
「嫌だ。それじゃ意味がない。」
ホムラが頬を膨らませてそっぽを向いた。
全く子どもじゃないんだから。私は持ってきた傘を開いて、ホムラに差し出した。ホムラは大人しく傘を受け取りながら、なるべく雨に濡れないよう木の下に移動した。
「君もこっちに来なよ。折りたたみ式の椅子を持ってきたんだ。」
ホムラは慣れた手つきで折りたたみ式の椅子を開いた。
あの大量の荷物の中身は椅子だったのか。この様子だと、ホムラは長期戦を予想していたらしい。ホムラだけを置いて帰るわけには行かないし、結局、最後まで付き合うしかないようだ。
私も木の下に移動し、ホムラが用意してくれた椅子に腰掛ける。
「どうして意味がないの?」
私が尋ねると、ホムラは花の蕾から目を反らさずに答え始めた。
「あの夕焼けは、初めて見る美しさを表現したいんだ。だから、最初に咲いた花を使いたい。花が咲いてから見に来たら、どれが最初に咲いた花かわからないだろう?」
わかるような、わからないような。
私は取りあえず頷いておいた。
雨は木々の葉を静かに濡らし始めた。

「空の色かな。」
熟考の末、私はこう答えることにした。
「なぜだい?」
ホムラは興味津々といった様子で私の方に顔を向ける。
「うーん、雨は空から降ってくるでしょ?だったら、空の色なんじゃない?」
答えながら、目線を少しだけ空に遣る。本降りに向けて段々曇ってきたようだが、ホムラは我関せずで、目を輝かせている。
「なるほど、面白い視点だね。空の色も1つとして同じ色はないし。」
「ホムラは何色だと思うの?」
作問者の意図を尋ねてみる。
「今日の雨の色は翠緑だね。でも、明日になれば紅だ。」
「翠緑?紅?」
「今は翠緑だけど、すぐに花が開いて紅になるよ。」
ああ、木の葉の上に載っている雨粒のことを言っているのか 。
ホムラは目をキラキラさせたまま、濡れ続ける葉に目線を移した。
「僕達は運がいいね。普段見られない視点から葉や雨を見ることができたんだから。」
確かに、今まで木の下から雨を見ることはなかったかも。
幼い頃に観た映画では、主人公が木の下で雨宿りする描写があったっけ。あの場面では、雨粒がパレットの上の絵の具のようだった。先程までは心まで曇らせていた雨音ですら心地よく感じ始め、ノスタルックな気分に浸る。
冷たい風が吹いて、葉を揺らすとともにホムラの髪を少しだけ揺らした。「寒くない?体を冷やすと良くないから、これを掛けていなよ。」
ホムラがブランケットを荷物の中から出して、私に差し出した。
「ありがとう。」
ブランケットは、ホムラのアトリエの香りがした。
体が温まってくると、人間眠くなってくるもので、任務で疲弊していた私もその例外ではなかった。
私が睡魔と戦っていることに気づいたのか、ホムラが声をかける。
「眠っていていいよ。花が咲いたら起こすよ。」
「でも、ホムラは……。」
「僕は寝ないことに慣れているから大丈夫。君はワンダラーと戦って疲れたでしょ。ゆっくりとはいかないかもしれないけど、休んで……」
ホムラの言葉を最後まで聞き終わらないうちに、私は眠りの世界へ誘われていった。

「起きて。花が咲いたよ。」
不意にホムラの声が耳に飛び込んでくる。
目を開けると、辺りはすっかり夜の帳に包まれていた。
ぼんやりとした月明かりを頼りにホムラを探すと、少し先にある1つの枝の前に佇んでいた。
「ほら、この花だよ。僕が思った通り、綺麗な色だ。」
ホムラが指差したところに近づいていくと、僅かに開いた一輪の紅の花があった。その姿は誰をも凌駕するスーパーモデルのようで、雨粒をドレスに、月光をスポットライトに変え、神秘的な光景を創り出していた。時間も忘れて、思わず見入ってしまいそうだ。
ホムラの目には、いつもこんな景色が広がっているのだろうか。
「さあ、お目当てのものは観ることができたし、君が風邪を引いてしまう前に帰ろうか。」
「花びらはいいの?」
「どの花が最初に咲いたかはわかったから、散る頃に取りに来るよ。」
椅子を荷物の中に片付けながらホムラが言った。

月明かりと街灯の下、少しだけ湿った道を歩きながら、私は隣を歩くホムラの顔をこっそり見上げる。海と夕焼けを閉じ込めたような彼の瞳には、きっと先程のような素晴らしい景色が映っているのだろう。
「どうしたの?そんなに見られたら焼き魚になってしまうよ。」
戸惑いを含んだ声色でホムラが言う。
「別に。」
そう言って笑ってみせた私に首を傾げた後、彼は朧気な月に目線を移した。ホムラが感じる景色を観ていたい。
私は静かに咲いた願いをそっと心にしまった。


〈あとがき〉
催花雨:花が咲くことを催促するように降る雨
「花を咲かせる」と「恋を咲かせる」を掛けました。

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