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深夜2時の邂逅

時刻は午前2時を過ぎた頃、世間一般では丑三つ時と言われる時間に、私は高層ビルの屋上に来ていた。ワンダラーが現れたという通報を受け、夜間出勤をしたのだ。
幸い、このワンダラーはそれほど強くはなく、私1人でも倒せるようなものだ。そう確信したことが、気の緩みへと繋がってしまったのかもしれない。
最後の一撃で倒せる!そう思い、愛銃を構えようとした瞬間、自分の死期を悟ったのだろうか、ワンダラーが起死回生とばかりに巨大な腕を振り下ろす。慌てて後ろに飛び退き、攻撃を躱すことができたが、発生した暴風により体勢が崩れる。
あっ、と思った時には体が宙を舞っていた。星1つない真夜中の曇天が眼前に広がる。やがて、夜空の面積が狭くなり、周囲のビルが徐々に視界に映る。どうやら、私は頭から落下しているらしい。状況を理解すると、なんとも言えない浮遊感に不安が湧き上がってくる。
何とか体勢を立て直して足から着地できないだろうかと思ったが、上手く体が動かない。先程、攻撃を躱した時に捻挫したのかもしれない。焦りと不安で胸が潰されそうになった時、背中と膝裏を支える感触がした。
「ハンターの嬢ちゃんは、よほどビルからの落下がお気に召したらしいな。」
「シン!」
目の前に深紅の瞳が映る。
「ただ、次は俺を誘ってくれ。」
赤い霧が周囲を包み、シンは私を支えたまま優雅に地上へと着地する。
「ワンダラーは⁈倒さないと!」
私の言葉に彼は呆れたような眼差しを向ける。
「開口一番がワンダラーの話とは、よっぽど血が騒いでいるらしいな。残念ながら、お前を迎えに行く前に霧になってしまった。」
まるで、ショートケーキのイチゴは食べておいた、とでも言うかのようにシンは言った。少しだけ悔しいが、危機一髪の所を助けてもらったので仕方がない。イチゴは譲ろう。
その時、ハンター探査機の通知音が鳴った。上司からの連絡で、私の無事の確認と報告書の提出期限について、今日は直帰して怪我の治療に専念するようとのことだった。
連絡が終わったところで、まだシンに抱え上げられたままなことに気づく。「あの、シン……助けてくれてありがとう。でも、もうそろそろ下ろして欲しいんだけど。」
「1人で歩けるのか?」
「歩けるに決まってるでしょ!人目もあるんだから、早く下ろしてよ!」
恥ずかしさのあまり、シンの肩をドンドン叩く。しかし、彼にとっては猫パンチのようなものに違いない。
やれやれと言ったように、シンが私をゆっくりと足先から地面に下ろす。私はいつものように足に体重をかけたが、ズキッとした痛みを感じ、すぐに後ろへ倒れそうになる。
「ほら言っただろ。1人で歩けるのかって。」
流れるように私の背中を支えたシンが揶揄う。なんだかシンのペースに乗せられているようで面白くなく、頬を膨らませてそっぽを向く。怪我をしたのは片足だから、もう片方の足に体重をかければ大丈夫だもん。そう考えたのも束の間、ふわっと体が浮き、再びシンの腕の中に収められる。
「ちょっと!」
「人なんてどこにもいないだろ。」
周りを見回すと、シンの言った通り、人っ子一人居なかった。ワンダラーが居なくなった今、街はひっそりと静まりかえっている。
「あなた、何かした?」
「別に。深夜に出歩く人間なんてそういないし、ワンダラーが出たとなったら、善良な市民は家に帰るだろ。」
今はこの言葉を信じるとしよう。一刻も早く家に帰って、怪我の応急処置をしたい私は、深く考えないことにした。
そんな私の心情をくみ取ったのか、シンが顔を近づけてきて怪しげな笑みで訊く。
「お前の家と俺の家、どっちか選ばせてやる。」
「明日は病院に行って、診断書をもらわないといけないの。だから、私の家ね。」
「はいはい。」
私の怪我を気遣ってか、シンがゆっくりと歩き出す。どうやら、このまま歩いて帰るつもりらしい。今回の現場が家の近くで良かった。
何気なく視線を上に遣ると、深いルビーのようなシンの瞳が目に入る。夜の闇に映えるなぁなんて考えていると、目が合った。
「そういえば、お前の空中散歩に付き合ったんだ。何かそれなりの褒美はあるんだよな?」
この男は、どんな状況であっても本当に隙がない。
「……帰ったらね。」
主導権もなく、逃げ場がないこの状況では、取りあえず肯定するしかない。
どんな褒美を要求されるか、雲行きが怪しくなってきた状況に少しだけ身震いをして、目を閉じる。
そして、真上から紡がれる上機嫌な旋律が、夜の闇に溶けるのを静かに聞いていた。

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