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子ども扱いしないで!
恋人のレイは、いつも私を子ども扱いする。
この間だってそうだ。
私が仕事で失敗をして落ち込んでいたら「お前の好きなタルトを買ってきたぞ。」と好きなスイーツで機嫌を取ろうとしてきたし、一緒に寝る時は、まるで小さい子にするように頭を撫でて寝かしつけた。
モモコに言っても「愛されてるね~」と冷やかすばかりだ。
私は、レイに似合うかっこいい大人の女性になりたいのに……。
だから、今度のデートでは大人っぽい振る舞いをすると心に決めた。この決意だけは、例えレイの氷のEvolでも絶対に砕けさせないんだから。
そして、決戦の日を迎えた。
今日のデートは、レイが事前にチェックしていたスイーツ付きのランチセットを食べてから、レイの家で過ごす予定だ。
私は、鏡の前で念入りにファッションチェックを行う。
Vネックで膝丈の黒のワンピースで、袖の部分は透け感のある素材になっている。
普段買わないジャンルの雑誌やネットの特集を読み漁った末に新調した、いつもより大人っぽいコーディネートだ。
メイクもいつもよりアイラインの幅を広く、マスカラも多めに付ける。リップの色を濃い赤にすると、さらに大人っぽくなった。
よし、見た目は完璧!
いつもより少し踵の高いヒールを履いて、待ち合わせ場所に向かった。といっても、私の家の前で待っているレイの元へ向かった、と言った方が正しいが。
レイを見つけて思わず駆け寄りたくなるのを堪え、落ち着いた様子で近づいていく。イメージはランウェイで堂々と歩くスーパーモデルだ。
「早かったな。」
車へとエスコートしてくれながら、レイが言う。
「時間通りだよ。」
澄ました顔になっていますようにと思いながら、私は助手席へ乗り込む。
レイは車を発進させながら、口元を緩める。
大丈夫。大人っぽく振る舞えるように何度も練習したんだから。テーブルマナーだって完璧だし、スイーツの選び方だって考えてきた。
レストランに着いてからも、私は自分に言い聞かせ続けた。そうでもしないと、普段通りの自分に戻ってしまいそうだった。
「お前はイチゴのタルトが食べたいと言ってなかったか?」
デザートを選ぶ段になり、レイが訝しげに私に尋ねる。
しかし、私は店員さんに「デザートはアフォガートでお願いします。」と言った。
レイは不信感を隠せない様子で、イチゴのタルトを注文した。
本当はレイが言った通り、イチゴのタルトを食べたいが、大人っぽいスイーツといったらアフォガートだから我慢する。
暫くすると、店員さんがアフォガートを運んできた。オシャレな透明のティーカップにバニラアイスが乗っており、別添えのエスプレッソが白いカップに入っている。
エスプレッソをどれぐらいかけるのが適正かはわからないが、全部かけてみる。
「交換するか?」
アフォガートを1口食べた私の表情を見て、レイが言った。
「大丈夫!これが食べたいの。」
本当は私には苦すぎたのだが、大人の女性になるためだと言い聞かせ、半ば押し込むように口に入れ続ける。
「……私もアフォガートを食べたくなった。交換してくれないか?」
レイがイチゴのタルトの皿を私に差し出してくる。砂糖でコーティングされたイチゴがツヤツヤして、とても美味しそうだ。下に敷かれたタルト生地のサクサク食感を想像して、思わず喉が鳴る。
「いいよ。」
あくまでも平静を装って、アフォガートのカップと取り替える。
少しだけ甘酸っぱいイチゴのタルトは、とても美味しかった。多分、初恋ってこんな味がするんだろうなぁ、なんて口に出せない感想は心の中に放っておいた。
イチゴのタルトを食べ終え、レイの家に向かう頃、私の足は慣れないヒールに悲鳴を上げつつあった。
いつもなら、レイに痛いなぁと言いながら寄りかかるところだが、大人の女性はそんなことはしないだろう。レイの家に行ってしまえば、ヒールを履かなくていいのだからそれまで我慢しよう。
レイの車に乗ってからも、私の大人っぽい振る舞いは続いた。
窓枠に肘をついて、夕焼けを眺める。普段はあれが美味しかったとか、今度はあのスイーツも食べたいなど喋り倒すところだが、ぐっと我慢する。
レイもあまり話さないせいか、車内の空気はいつもより冷え込んでいるように感じた。
レイの家に着き、ヒールを脱ごうとしたが、私が先に上がってしまうと靴擦れがバレてしまうことに気づいた。レイに先に上がってもらおうと振り向くと、レイは怪訝な表情で私を見つめていた。
「レイ、先に上がってくれない?」
「ああ。」
レイは何事もなかったように靴を脱いで上がった。
レイが部屋に向かったのを確認すると、ヒールを脱ぐ。
やはり、靴擦れを起こしていた。日頃ヒールを履かないため、靴擦れ対策をしていなかったことが悔やまれる。世の中の大人女子はなんてすごいんだ。こんなものを毎日のように履いているなんて。今度、ヒールを履きこなすコツをモモコに訊いてみよう。
少し足を動かすと、傷口が開いたらしく、思わず痛さに顔をしかめた。
「やはりか。」
ヒヤリとした声が頭上から降ってきた。
ギョッとした私は患部を隠すのも忘れて、硬直する。
レイの腕が膝裏に通され、抱え上げられる。
「ちょっと!」
私は抗議の声を上げてレイを見上げたが、冷たい表情を向けられ、黙ってしまう。
レイは、ソファに私を下ろすと、足を持ち上げて傷口を確認する。
「なぜ言わなかった?」
「別に大したことじゃないし。」
「細菌が入って化膿することもある。仕事に支障が出て困るのはお前の方じゃないのか。」
余裕の表情を取り繕おうとしたが、正論を突きつけられ、何も言えなくなる。
別にそこまで言わなくてもいいじゃん……。
救急箱を手にして戻ってきたレイが処置を始める。ガーゼで傷口を拭われて、少し痛かったが耐えた。
沈黙が続き、随分長い時間が過ぎたように感じた。
黙々と手際の良い処置をし、ハイドロコロイド絆創膏を貼り終わったレイがポツリと言う。
「そんなに私は頼りないのか?」
「え?」
いきなり何なんだろう。思いもよらなかった方向へ話が進み始めたので、思考が停止する。
レイは息を吐き、話を続けた。
「いつもはお前が素を見せてくれているが、今日は様子が違った。私が何かしただろうか。何か隠したいことがあるのなら、全て話してくれなくてもかまわない。しかし、悩み事があるのなら、聞かせてくれないか?」
レイに大人っぽい私を見せたかっただけなのに、どうやらレイを傷つけてしまったようだ。空回りしていた自分が情けなくなってくる。
いつの間にかワンピースの裾を握りしめていた私の手の上に、レイのヒヤリとした手が重なる。
「もし……」
何か悪い話が始められるような気がした私は、慌てて空いた手でレイの手を握る。
「違うの!」
顔を上げると、レイの蜂蜜色の瞳が見開かれているのが見えた。不謹慎だなと思う傍らで、綺麗だなと思ってしまった。
「私……レイに大人の女性だと思って欲しくて……。」
こういうこと言うこと自体が子どもっぽいなと思いつつ、本心を話す。
再び、手元に目線を下げる。
しばしの沈黙の後、レイが口を開いた。
「そうだったのか。」
どこか微笑みを含んだような言い方に、思わず顔を上げる。
先程の思い詰めたような顔ではなく、慈しむような顔のレイが居た。
そういえば、今日はこの表情を見ていなかった気がする。大人っぽく振る舞うことを意識しすぎて、レイに気を遣わせてしまったのだろうか。
ダメだな、私……。自分をよく見せるのに精一杯で、レイの気持ちを全然考えていなかった。罪悪感がふつふつと湧いてくる。
「……ごめんなさい。」
「謝らなくていい。努力したんだろう?」
レイが私の頭を撫でる。
「子どもっぽいと思ってるんでしょ?」
呆れられてもいいや。この際訊いてしまおう。
レイは少し驚いたように、撫でていた手を止めた。
「お前のことを子ども扱いしたことはないが。」
「だって、スイーツで機嫌を取ろうとしたり、寝る時は頭を撫でたり、子どもにすることでしょ?」
レイは驚きの表情から一転、破顔した。
「私なりの愛情表現のつもりだったが、お前は嬉しくなかったのか?」
「……嬉しかった。」
嬉しいのは事実だったが、なんか悔しい。レイはいつも私よりも1枚、いや何枚も上手だ。どうすればこのドキドキを仕返しできるだろうか。
再び頭を撫で始めたレイを見ながら考える。
ふと、以前読んだ大人のデート特集という記事に考えが行き着いた。あのテクニックならレイもドキドキしてくれるかも。
私はレイの手を握っていた手を離し、目の前にある端正な顔に添えた。
レイがハッとした表情で動きを止める。
「睫毛が入りそうなの。私が取るから、目を瞑ってて?」
何の疑いもなく、レイは素直に目を閉じた。
私は一呼吸置き、レイの目ではなく、下の唇に焦点を定めた。
少し顔を傾け、自分の唇を押しつけるようにして、口づけた。
3秒数え、わざとらしく音を出して口を離すと、レイが目を見開いて硬直していた。
自分の心臓の音がうるさすぎて、平常を装うのが難しい。
「……お前は、本当に……」
レイの硬直がようやく溶けたらしく、眉間に手をやって何かを堪えるような仕草をしている。
これは、成功かな……?
ふふっと笑いかけた途端、世界が反転した。
レイの顔が真上に見え、ソファに押し倒されたのだと理解した。
「煽っておいて『責任は取らない』とは言わないだろうな?」
先程よりも、瞳の蜂蜜色が濃くなっている。
前言撤回、成功ではなく緊急事態だ。
「ここか、ベッドかは選ばせてやろう。」
逃げ道を探すも、レイが腕をついて覆い被さっているため、脱出は不可能だった。
「まっ、まだお風呂に入ってないよ!」
僅かな時間稼ぎを試みる。
レイは思案顔を見せたが、それも一瞬で終わったようだった。
レイが離れたので安心したのも束の間、私はレイに抱え上げられていた。
「なるほど、患部に石鹸が滲みないよう洗うのは大変だろう。代わりに私が洗ってやるから心配しなくともいい。」
「レイ⁈」
「お風呂に入りたいのだろう?」
レイはバスルームに向かって、スタスタと歩き始めた。
どうやら何を言われようと、私を離す気はさらさらないようだった。
これからの長い夜を想像し、もう2度と同じ手は使わないと誓った。