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ONE 第十四話 所有物

「カツミは?」
「いつも通り、任務に出てる」
 シドの問いに、謝罪に訪れたジェイが疲れたように応じた。
 昼休みの時間帯。晴れた空から降り注ぐ暖かな陽射し。医務室の窓から見える滑走路は静かで、会話を邪魔する騒音もない。平穏すぎる光景だった。

「他人の口から聞かされるよりはいいと思ったんでね」
「すまなかった。迷惑をかけたな」
「べつに。仕事だからね」
 現場検証に呼び出されたシドは、飛び降りたばかりのフィーアの死体を目にしていた。つい先ほどまでは上官に呼ばれ、薬物中毒の治療方法に問題があったのではと詰問も受けている。
 特殊能力での薬物除去。前例のないことに上官は懐疑的だったらしい。事実はデータが証明していたが、シドは平謝りで相手の不満をかわした。
 感情の問題だった。その証拠に全ての事後処理を基地の最高責任者が行うと連絡が入ったとたん、肩の荷が下りた上官はシドを解放した。

 この国の軍隊は警察よりも権力を持つ。昼前に出された正式見解は、適応障害による一時的な精神錯乱。事実の大半は伏せられ麻薬の件は一切公表されなかった。
 この件でフィーアの上官が責任を問われることもない。実力主義の特区である。エリートでなければ切り捨てる。それがこの基地の決まりだからだ。

 軍医であるシドは無惨な死体など見飽きていた。それでも、十九歳の生涯はあまりに短いと思う。
 先日のジェイの予感は的中していた。殺すこともできず報われることもない者が、どんな行動に出るのか。
 フィーアが投げつけていった罪悪感。それで致命傷を負わせることが出来れば、彼はカツミの心を永遠に支配できるのだ。
 シドがジェイに向けた視線は、自嘲的な苦笑で押し戻された。疲労が言葉すら失わせているらしい。病巣は全身に及び、取り除けないのだ。騙しだましなんとか凌いできたが、平均余命はとうの昔に過ぎている。
 もう問わなければならないのだろう。最後の時間をどうするのかと。シドはそう覚悟した。

「ジェイ」
 口火を切ろうとした、その時──。鳴りだした電話がシドの問いを遮った。ひとつ息をついて受話器を取ったシドが、伝えられた異常事態に顔色を変える。ただならぬ様子に、ジェイが身を乗り出す。

「分かった。すぐ行く」
 残酷な問いは保留できたが、問題はむしろ増えていた。受話器を下ろしたシドが、今朝のフィーアの惨劇が、思わぬ影響を及ぼしたことを告げた。
「クローンの一人が暴走した」
「暴走?」
「隊員に襲いかかったそうだ。C級だけど『聞く者』の能力もあるしね。混乱しているようだな」

 千二百人のクローン部隊編成。多くの時間と予算をかけ入念に練られた計画である。
 だがこの基地のトップに言わせれば、それは茶番だった。評議会の決議内容と、ここの最高責任者の考えは異なるのだ。

「正規兵が死んだのか?」
 慎重にジェイが確かめると、薄ら笑いを浮かべたシドが、あっさり答えた。
「いや、死んだのはクローンの方だ。居合わせたカツミが特殊能力で弾き飛ばしたらしい」
「カツミが?」
 ジェイの動揺を尻目に、シドが無造作に診察鞄をつかんだ。

「まったく世話がやける」
 誰に言うともなく吐き捨てたシドが、壁にかけてあった白衣を取ると、乾いた皮肉を置いて医務室を出て行った。
「本日二枚目の死亡診断書だ。クローンに必要とは思えないけどね」

 ◇

 特区最高責任者の執務室には、シーバル中将一人がデスクの向こうに座っていた。人払いをしたのか副官すらいない。
 事件後、カツミはすぐに司令官室に向かうよう命令された。事の重大さもあったが、最高責任者が他の人物に口出しさせないようにしたのは明白だった。

「座りなさい」
 命令に従い、カツミが手前の椅子に腰を下ろした。
 二人だけで顔を合わせるのは、彼が七歳で幼年学校の寮に入った時以来である。
 実に十二年ぶりの再会だが、カツミが父に対して抱いた印象は、昔と少しも変わらなかった。精緻な刃物を思わせるトパーズの双眸。その視線がカツミを鋭く貫いた。

「詳細はオルソー大佐から報告を受けた。今しがた箝口令を敷いたが、クローンの件は極秘事項だ。事の重大さは解るな?」
「はい。申し訳ありません」
「暴走は予測されていた。そのための能力者部隊での管理だ。だが今回の対処は到底評価できない」
「はい」
「処分は追って知らせる。……カツミ」
 ふいにファーストネームを呼ばれたカツミが、はっと我に返った。

「フィーアのことは知っていたのか」
 顔を強張らせたカツミが黙って頷く。必死に目を背けていた闇が再び襲ってきた。
「フィーアの口から聞いたのか」
 重ねられる問い。それを目だけで肯定したカツミは、気づいた。父はフィーアのことを知りながら放置していたのだ。自分の息子が貶められていることを知りながら、破滅に向かっていることを知りながら傍観していたのだ。

 やり場のない怒りがカツミを支配する。父がフィーアの名を口にすることすら汚らわしい。もう一瞬でもこの場にいたくない。退出許可を待てず、カツミが席を蹴った。

「失礼します」
「待ちなさい」
 背を向けたその時、強烈な特殊能力で身体を引きとめられた。指一本動かせない物理的制動。自分の能力が父親譲りであることをカツミは忘れていたのだ。
「話はまだ済んでいない」
 威圧的で冷酷な声。その声は嫌でも過去の記憶を連れてきた。

 ──そう。こいつはずっとこういう奴だった。いつも俺を支配してきた。こいつは俺を人間扱いしない。所有物としかみなさない。俺はずっと言いなりだった。恐怖と無関心で操作されてきた。

 これまで固く抑え込まれていたカツミの感情。その制御が外れた。彼は振り向くなり父の制動を力尽くで跳ね返した。
 強大な念動の衝突が力の行き場を失って場を震わせる。膨張した空間が限界値を超えた直後に、シーバルの後ろにあるガラス窓が全て吹き飛んだ。

「あんたに親として命令されるいわれなんかねえよ!」
 息子の感情爆発を失笑ひとつで片付けたシーバルは、神経をさらに逆撫でする一言を付け足した。
「ひとつ言っておく。カツミ。ジェイ・ド・ミューグレーには気をつけることだ」

 背後のドアが大きな音と共に開き、護衛が一斉になだれこんだ。カツミは父の言葉を消化出来なかったが、渋々両手を上げて抵抗を諦める。
 息子の動作を確かめた最高責任者は、失笑とともに事情を説明した。

「騒がせたな。ただの親子喧嘩だ」

 ◇

「命令されるいわれはない、か」
 息子の雑言を復唱したシーバルは、砕け散った窓外を見下ろした。幸い、下には誰もいなかったらしい。
 入って来た副官に会議に出向くと告げ、すぐに執務室を後にする。

 足取りは重い。フィーアのことは彼にとっては警告だった。シーバルは思う。ジェイからカツミを離さなければ。でないと今度はカツミを失ってしまう。それだけは決してあってはならない。

 これから向かう先も気の重い場所だった。
 任務を盲信できるなら、それはそれで一つの生き方だ。思想と行動が首尾一貫しているのなら負担は少ないのだろう。
 だが自分のやりたいことと、やって来たこととの隔たりはあまりにも大きい。

 シーバルは思わず、ひとりごちた。
「しょせん、人の力など『束ねるもの』には遠く及ばないのだな」

 ──さあ、認めなさい。あなたが最後の浄化する者です。彼に託しなさい。これまでずっと、あなたの祖先がしてきたように。

 シーバルの脳裏に反響する、かつての王女の『声』。
 彼は課せられた定めに抗い続けていた。
 百年前に定められた自分の運命。最後の生贄という、不条理な定めに。


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如月ふあ
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