ふたつのうつわ 第8話 タタラと乾燥
「そろそろ素焼きをしたいけど、もう少し窯に余裕があるんだよね」
その日の先生の提案は、タタラ皿の作成だった。
タタラ……つまりは土の塊をワイヤーでスライスして、板状にしたものである。
削りの必要がないので、紐作りよりも出来上がりは早い。ただし、簡単そうにみえて、実はそうではない。
土の板を作り、縁を持ち上げるだけ。
ナツキは、このタタラ作りを舐めてかかって痛い目にあっていた。
素焼きから出て来た板皿の全てにヒビが入っていたのだ。おまけに真ん中は持ち上がり、皿の役割を成していない。丸いものは楕円に歪み、四角いものは反っていた。
「豆皿を作ってみようか」
「豆皿ですか?」
「お漬物なんかを、ちょこっと入れる小さなお皿だよ」
先日作った残りの土で作ることになった。ひとつ失敗したので、まだ半分は残っている。
土練りをしてひとまとめにすると、直径が十センチほどの土のパンケーキを作る。
その両脇に、厚みが六ミリのタタラ板を同じ数だけ重ねて置く。タタラ板とは、タタラを切り出す時に使う長細い板のこと。
円柱の延べ棒で、重ねた板の高さになるまで土を平らに延ばす。
今回は土の左右に四枚ずつタタラ板がある。
左右の一段目を取り除き、奥から手前にワイヤーでスライスする。厚みが六ミリの土の板が出来た。
次々と左右の板を外し、スライスを繰り返す。こうして、厚み六ミリの土の板が四枚できる。
一枚ずつをそっと手で挟んで持ち上げ、作品板にのせる。
厚紙で作った豆皿用の型紙をのせ、丸く切り取る。
まだ土の表面は切られたばかりでザラリとしている。密度が締まっていない状態だ。
「ここからが勝負だよ。手で叩いてもいいし、水をつけた木べらで撫でてもいい。ゴムベラもある。とにかく表面と側面の土をしっかり締めることだ」
「はーい」
トーマではなく、ナツキのほうが返事をした。それを聞いた先生が笑うと、横でトーマがきょとんとしている。
「はははっ。ナツキはたくさん失敗したものなあ」
「いまだにねえ。タタラは、怖えわ」
トーマは手で締めることにしたようだ。手のひらを使い、表面を潰さない程度の力でポンポンと叩いていく。縁も指で何度も撫でて締める。
「次はこれにのせてね」
先生が手ロクロの上に石膏型をのせた。
ある程度締めたところで、土が乾かないうちに皿の形にするのだ。
お椀を伏せたような丸い石膏型である。型に合わせて、土は皿を伏せた形になっていく。ここでもまた、縁をしっかりと締める。
最後に表面のみザックリとドライヤーで乾かして、土が下がらないようにする。
二つ目からは石膏型が湿っているので、土がくっつくのを防止するために片栗粉をまぶす。粉が残っても、焼成で焼けてなくなる。
型から外した皿の内側は、砂袋でトントンと叩いておく。これも土を締める方法である。しばらく重しをのせたまま、乾燥させる場合もある。
全て仕上がったところで、先生が発泡スチロールの箱を取り出した。
「この中に入れてね。明日も観察して、ヒビがないか確かめて。締められるなら、また締めて。水を絞ったスポンジで締めてもいいよ。乾燥はじっくり、全体を均等にね」
いきなり天日干しをしたり、片乾きをさせたりすると、失敗してしまう。毎日様子を見て、乾燥管理をするのが大事なのだ。
タタラで失敗を繰り返したナツキである。今回のオブジェは完成して乾燥に入っているが、気が気ではない。
ヒビの前兆を見落とさないように、毎日観察して少しずつ乾燥させていた。
「来られない日は事前に連絡してくれれば、こっちで見ておくからね。トーマくんは、いつ宿題をしてるんだい?」
先生がもっともな疑問を向けた。トーマは毎日のように来て、門限ギリギリまでいるのだ。勉強に支障が出るようでは、本末転倒である。
「朝やってます。ここから帰って、お風呂に入ったらすぐ眠って。五時に起きて」
「うわっ。五時?」
「頑張るねえ」
ナツキと先生の言葉に、トーマが青い目を細める。
「ここでの時間。ほんと楽しいです。来て良かった」
卒業まで残り半年余り。今度こそ、ナツキは陶芸仲間を得られたようだ。
自分の好きなことを、同じように好きだと言ってくれる仲間の存在は、嬉しいものである。
「試験前は、夕方一緒に勉強する? 教えられるとこは教えるから」
「えっ。いいんですか? やったあ!」
ナツキは人当たりはいいが、どちらかと言えば一匹狼だった。一人で黙々と作業するのが好きなのだ。職人向きとも言える。
素直なトーマは、そのナツキでさえ、構いたいものを持っていた。
ノーラが懐くのは無理もないと思う。
そう。いまノーラは、ちゃっかりとトーマの膝の上に座っているのだ。作業中は大人しく椅子の下で待っていたのだが。
「もうすぐ学園祭だからね。陶芸教室も作品を出すよ。ナツキのオブジェが出来たら、電球を入れて暗室を作らないとね」
「うわっ。プレッシャー!」
「ナツキはこれまで、どんな作品作ったの?」
トーマの質問に、ナツキは窯場の奥からダンボール箱を持ってきた。
ひとつではない。五つ。作品を包んだ新聞紙を広げる。
茶碗。湯呑み。取り皿。尺皿。花器。大鉢。小鉢。陶箱。片口。ビアカップ。
技法も加飾の仕方も様々。釉薬も様々である。
「これでも作ったやつの一割切ってるよ。土の段階なら再生土に出来るけど、素焼きで失敗したら、テストピースにしかならない。本焼きで失敗なら、燃えないゴミ」
取り敢えず、自分が納得した作品だけを残しているとナツキは告げた。彼のこだわりと向上心の軌跡が、この作品群である。
「学園祭には、この中から厳選して出すよ。展示室がスカスカだと寂しいもんな」
この五年、ナツキは一人で作品を展示してきたのだ。仲間が出来たことは、本当に嬉しかった。彼にとっては、最後の学園祭ではあったが。
工房は静かだった。
テレビはない。ラジオも防災用に置いてあるだけ。新聞は作陶や梱包で使うので、他の教師から古新聞を貰ってくる。
先生はパソコンで陶材の発注も販売もする。発送は高速船に持って行ってもらう。
食事は寮の食堂を利用するし、学園の購買はコンビニ並に充実している。生活に不自由を感じることはない。
個展と陶器イベントの時は島を離れるが、いつもは学園と工房の行き来だけ。
質素で単調な生活だが、健康でありさえすれば、こころに余裕を持って暮らしていける。
価値のあるものは目に見えないのかもしれない。
自分が美しいと感じるものを信じて作る。それを同じように美しいと感じる人の手に届ける。その交流こそが、価値と言えるのかもしれない。
だからこそ、納得できるものを生み出す労力を惜しまないのだ。
自分のこころに真摯でいるために。
「トーマくんの作品も学園祭に出すからね」
「えええええ!」
「初めての作品は一回きりだしね。それに魅(み)せ方で印象は変わるんだよ」
なにやら謎めいたことを言うと、先生はいたずらっ子のようにニヤリとした。