今回はギュスターヴ・モロー。
1826年4月6日にフランスのパリで生まれ、1898年4月18日にパリで亡くなった象徴主義の画家です。
山田五郎さんのチャンネルでは、モローは魔性の女を描いていたのにある日を境にそれをパッタリやめてしまった謎が語られていました。
モローの家はお金持ちで、彼はいわゆる引きこもり。身体も丈夫ではなかったそう。
「出現」はサロメを描いたモローの代表作です。
サロメの母親は国王の後妻に入りました。サロメはお祝いの席で見事な踊りを披露して国王に褒められ「なんでも欲しいものをあげよう」と言われます。その時に彼女の母親が耳打ちします。「ヨハネの首が欲しいと言いなさい」。サロメは母親の言った通りに国王に要求します。「ヨハネの首が欲しいです」。国王は大勢の前でなんでもあげると言った手前、もう断ることが出来ずにヨハネの首をはねさせ、それをサロメに与えます。
子供が蟻を潰すような、無自覚な残虐性。
サロメは男性を破滅に導く「ファム・ファタル」として描かれ、「出現」は象徴主義における重要作品となりました。
この写真。向かって左はモローの母親。右はモロー。
山田五郎さんが話してたけど、ん? って思いませんか。普通だったら右側には父親だろ? って。
父親が亡くなった後、モローは母親と二人暮らし。恋人はいたけど結婚はしていない。母親は途中から耳が聞こえなくなって外出をしなくなったので、モローが世話をしつつ一緒に暮らす形になったわけ。
上の写真は、父親の位置に自分を置くというモローの複雑な心境を表している。エディプスコンプレックス的な。
モローは中年になってからもずっと母親と暮らし、たまに絵画をコンテストに出すけど頑張って稼ぐ必要もない。しかし財布の紐は母親が握っていて、お小遣い制。いつも何を買うのか、何に使ったのかと問われていたそう。
長く聖書やギリシャ神話を主な題材としていたモロー。しかしあることをキッカケにガラリと変化した。
母親が亡くなったのだ。
その後のモローは悲しみもあったことだろうが、まるで憑き物が落ちたように、しがらみから解放されたように、画題が変化した。
山田五郎さん曰く、モローにとっての魔性の女は母親だったのではないか、とのことだった。
愛情としがらみへの嫌悪。相反する感情を持つ相手。いい意味でも悪い意味でも、切っても切れない関係。
モローは恋人にも先立たれた。最後まで母親の支配を嫌悪しながら甘んじていたし、また求めてもいたのだろう。
ファム・ファタル。魔性の女。
そんな女性に出会ってみたいと思いますか?
うー。怖っ(笑)