アデル 第四話 苦
独房の中に入るなり、アデルはスッと振り返った。部屋の中から廊下の様子はうかがえない。いわばマジックミラーのような造りになっている。
視線を戻すと、若いアンドロイド兵がこちらを見据えていた。細身だが兵士らしい筋肉質な体躯。切れ長のモスグリーンの瞳に濃いめのブロンドヘア。アデルと同じ会社が製作したソルジャータイプのアンドロイドである。どうにも四ツ門エレクトロニクス社は、機体の外見にこだわりがあるらしかった。
「アデルです。ジタン。話を聴きに来ました」
「ヒーラータイプってのはどんなものかと思ってたけど、随分と華奢なんだな」
寝椅子に足を組んで座り頬杖をついたジタンが、冷たい声を発した。二人の間には赤いレーザーが壁から壁に十数本のラインを伸ばしている。
「ヒーリングの対象者を安心させるために非力に造られてるんです。怖がらせるわけにはいかないですから」
「ふーん。お前、何歳の設定なんだ?」
「アデルって呼んで下さい。僕は十四歳。試験運用を始めたばかりなんです」
「なるほどね。アデル。俺は二十歳だ。人間だと成人ってことになるな」
『人間』と言葉に出した時のジタンの不快そうな声色をアデルは感じ取っていた。
管理者の命令を聴かなくなったアンドロイド。つまりは、人に対して不信感を持っているらしい。そんなことがあり得るのか?
「あの、ひょろっとしたやつ。誰なんだ?」
ジタンが視線を廊下に向けていた。アンドロイド兵は暗視スコープで暗闇でも稼働するのだ。様々な視覚パターンを備えているのだろう。
「宇野夕星。僕を造ったAI開発技術者です」
「ふーん。信頼できるやつなのか?」
ジタンの返しに、アデルがきょとんとした。
「信頼って? 管理者の命令は絶対です。信頼出来ないっていう概念はありません。違うんですか?」
「普通はそうなんだろ? 人間は支配者だからな」
支配者……。苦々しい口調で吐き出された言葉を聴くなり、ドア横のスイッチにアデルが手を伸ばした。部屋に入った時に確認していたのだ。パチリと電源が落とされると、赤く光っていたレーザーが瞬時に壁の中に吸い込まれ、拘束は解除された。
隣に座ったアデルにジタンが目を見開く。顔には戸惑いが浮かんでいた。
「ジタン。貴方は苦しいの?」
向けられた問いに虚をつかれたようにジタンが見つめ返す。手の上には、アデルの白磁のような美しい手が添えられていた。
「苦しい?」
「僕は触った相手の気持ちや体調が分かるんだ。相手がアンドロイドならデータを読み取ることが出来る。今のジタンは人間でいうと苦しんでるように見える」
「俺が見たこと、やったことが分かるのか?」
「少しだけね。ジタンがロックしてる部分は分からない。でも苦しんでることは分かるよ。なぜ苦しいのかまでは分からないけど」
「……だろうな」
ジタンが顔を横に向け表情を歪めた。人間で言うならば深く溜息をつくような仕草である。生々しい記憶を忘れ去ることは不可能だった。クッキリと鮮明なままデータは存在し、彼を責め続けるのだ。自責。そして怒り。ジタンの中で葛藤が渦巻く。アンドロイドでは本来あり得ない葛藤が。
「苦しいの?」
「当然だよ」
再び問うたアデルに、怒りを含んだ返答が投げられた。
「僕に出来ること、ある?」
「そうだな。取り敢えず、向こうにいる人間を驚かせてやろうか」
「えっ?」
次の瞬間にはもう、アデルはジタンの腕の中にいた。見開かれたアクアマリンの瞳に挑発的な視線が射し込む。瑞々しい薔薇色の唇が、あっという間に塞がれた。
最初は驚いて抗いの仕草をしたアデルだったが、すぐに両腕を下ろし身を任せている。ジタンの唇が頬に滑り、耳に滑る。髪をかきあげた指が顎に添えられ、再び唇が塞がれた。
ガタンと廊下から大きな音がした。アデルの肩越しにそちらに目を向けたジタンは、怒りを顕(あら)わにドアに向かおうとする夕星が、五味に宥(なだ)められているのを認める。
あの夕星というやつは、随分とアデルにご執心じゃないか。ジタンは自分の意趣返しが効果的なことを確信した。
それにしても、なぜアデルは抵抗しないのだろう。指先や唇が触れるたびに、うっとりした表情すら浮かべている。触れることが報酬系に直結してる? 感情が昂(たか)ぶっているかのように、スキンの下に青い光まで走っているし。
ドアが開いた。業を煮やした夕星が独房に飛び込むと、ジタンからアデルを引き剥がす。バチリと音がしそうなくらいに、夕星とジタンの視線が衝突した。人間とアンドロイドでは、本来あり得ない感情の対立だった。
「アデル。またな」
皮肉と牽制。ジタンの言葉を背に受けながら、夕星はアデルを抱えるようにして独房を後にした。