アデル 第二話 癒
夕星は幼い頃に事故で母親を亡くしている。家事はメイド型アンドロイドが代行し、愛情不足を覚えながら成長した。そのような環境で自然とアンドロイドに興味を持つようになったのだ。
高校時代はロボットコンテストに熱中し、大学では当初機械工学を専攻していた。しかしロボット愛好サークルで二年上の五味と知り合ったことがきっかけとなり、人工知能の可能性に触れたのだ。
情報工学科に専攻を変えた夕星は、その後AI研究で才能が開花し、人間の心を癒やすAIに関する論文で博士号を取得する。
恩師より大学に残って研究することを勧められるが、大学院卒業と同時に四ツ門エレクトロニクス社の先端情報研究所に入所した。以降、ヒーラー型アンドロイドの開発に従事……というわけである。
五味は夕星にとっていわば人生の分岐点にいた人物。現在は陸軍AI運用の拠点、日本陸軍研究本部所属の軍人である。AI開発の先駆者バール・ノーマン教授のことを語らせたら一晩中でも喋り倒す、研究者を絵に描いたような見た目と中身。
メッセージの件名は『依頼』。かいつまんで書かれているが、かなり面倒な内容であった。彼曰く、バングラデシュでテロリスト撲滅作戦に従事していたとあるアンドロイド兵に、重大インシデントが発生。直ちに原因究明と対処の実施が求められているが、ハードウェア、ソフトウェア双方とも異常は見当たらず、調査に行き詰まっているらしい。
アンドロイド兵は夕星の会社が製作したものである。その調査に協力してほしいという内容であるのだが、会社ではなく自分宛に直接話を持って来たということに夕星は不信を抱く。切れ者の五味のことだ。何か裏があるのかもしれない。
「めんど~」
思わずそう口にした夕星の声色に、隣にピタリとくっついていたアデルが反応した。
「夕星、困ってる?」
大きなアクアマリンの瞳を向け、淡い薔薇色の唇が薄く開いている。
二階の自室。窓外に望める竹林がギシギシと音をたて、早春の清々しい香りが窓の隙間から忍び込む。相手がアンドロイドでなければ、なんとも甘い場面ではないか。
「いや。困ってるというか。お前の試験運用も始まったばかりだし、面倒かなと思ってね。五味先輩には世話になってるから、断りにくい雰囲気だし」
「五味先輩?」
「俺がAIに興味を持つ切っ掛けをくれた人だよ」
「じゃあ、僕にとっても恩人なんだね」
「……まあ。そうなるな」
カタリカタリと竹が触れ合う音がする。市街地から外れた閑静な住宅街である。
寝室兼書斎のこの部屋は、大きなベッドの置かれた床から一段上がった畳の間があり、窓外の竹林を前にして端末のディスプレイが三台並んでいるという、なんともチグハグな様相だった。
あぐらを組み座り込んだ夕星に、アデルはくっついたまま離れようとしない。
ヒーラー型アンドロイドであるアデルは、鋭敏な皮膚感覚を持っている。触れた相手の感情や体調を皮膚を介して知ることが出来るのだ。同時に『触れる』ということは、アデルにとっての『ご褒美』である。スキンシップはヒーリングをする対象だけでなく、アデルにとっても『癒し』となるのだ。
夕星がふわりと波打つアデルの髪を撫でると、撫でられた相手はますます彼にすり寄ってきた。
「気持ちいい」
そんなことを自分の好み全開で作り上げた相手に言われて、悪い気などするはずもない。少々、気恥ずかしい思いではあるが。
癒し……。触れること。触れられること。撫でられ、抱きしめられること。それを求めたばかりに失ったものと、それを求めたからこそ得たもののことを夕星は思う。
肌寒い春の風が吹き通った。身震いをした夕星に反応し、アデルが体内温度を上げて温めてくる。
癒したい。癒されたい。その相手が人間ではなくアンドロイドであって何が悪い。自分の思うがままにカスタマイズできるのだ。アンドロイドは自分から去っていくことはない。ましてや死ぬこともない。
前庭の桜の巨木が、そろそろ花開く季節でもある。始まりの春。変化の春。ただ、別れの春という言葉は大嫌いな夕星だった。