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ONE 第二十四話 結局、私の勝ちだね

 自室に戻って灯りをつけたカツミは、誰もいない室内に違和感を覚えた。
 ユーリーとの会話を思い出す。ほとんど初対面だというのに打ち解けていたことが不思議だった。

 求めても求めても愛情を得られなかった過去が、カツミを臆病にさせていた。見捨てられるくらいなら、初めから信じないほうがいい。心に染み付いた他人への不信感は、簡単に拭えるものではない。それはそのまま自己不信となっていた。だが……。
 寄り添い、見守り、無条件で認めて包み込む。ジェイの与えてきたものの意味を、カツミはようやく理解した。それが知らないうちに自分を変えてきたことを。

 こぼれ出た溜息が部屋の空気を震わせる。先の見えない賭けをしたフィーア。いのちを捨てたフィーア。
 自分も同じだった。危うく自分を殺すところだった。死期を覚りながらも守り続けてくれた人に、なにも返すことなく。

 ──あと数か月。逃げられない現実だった。
 ジェイがいなくなったら自分はどうするだろうとカツミは思う。
 自分だったら……。自分だったら、彼の想いを入れる透明な殻になる。彼を映す透明な水鏡に。
 カツミには確信があった。きっとそうするという確信が。それがジェイを永遠のものにできる方法だと。

 ジェイに謝らなければとカツミは思い立つ。
 時間は限られているのだ。自分から動かなければなにも変わらない。いてもたってもいられず、彼は部屋を走り出ていた。

 ◇

 ジェイはテーブルの上の書類に目を止め、カツミの行動の理由を知った。その彼を目の端に置いたロイが、お前の所属部署から届いたんでねと告げる。
「それで?」
「受け取らないわけにはいかないだろう?」
 ロイの返答を聞いて瞬きしたジェイが、からっと笑った。
「はははっ!」
「笑うことはないだろう」
「貴方のそんな顔をみるのは久し振りなんでね」

 顔をしかめたロイを、ジェイが言葉で突き放す。
 それからソファーに腰を下ろし、テーブルの上に無造作に置かれていた箱から煙草を一本抜いた。ライターを投げて寄越したロイに、すかさず皮肉をぶつける。

「やっぱり親子だな。カツミは貴方によく似てる」
「思ったこともないな」
 受け流しながらも、ロイは皮肉にすら懐かしさを覚えていた。
「まあ、自分じゃ分からないよな」

 ジェイが煙とともに吐き出す言葉は、どれも基地のトップに払われるべき敬意を欠いていた。
 再現されていたのは、十年前の二人。冷めた態度を取りながらも離れることのなかった神と、その彼の人生の可能性を根こそぎ奪い去った罪人との蜜月。

「今月中に南部の別邸に移ろうと思ってるよ」
 退官願いが受け取られることを確認したジェイは、今後のことに話を変えた。
「家には帰らないのか?」
「知ってると思うけど、あそこには私の居場所がない」

 ジェイが被爆した後、ミューグレー家の継承者は彼の弟に変更されている。
 しかしそれまでのジェイは、継承者としてずっと特別扱いされてきた。弟との交流すら制限され、誰かに本音を話した記憶などほとんどない。

「使用人くらいは付けるのだろう?」
「いや、断った」
 あっさりと告げたジェイは、何かを決意した顔をしていた。ロイにもジェイの望みは理解できる。彼はジェイの決め事に口を挟まず、話を変えた。

「正直言って、これが来たときは驚いたよ」
「そして、安心したって所かな」
 辛辣な皮肉にロイは口の端を歪めるしかない。なにを言っても、ジェイには裏を見透かされるな、と。
「まったく、お前の前じゃ」
「格好がつかないってね」

 しばらく、二人の間が沈黙で隔てられた。
 ロイはジェイをじっと見つめている。昔よりずいぶん痩せたなと思いながら。しかしジェイは、視線を横に逸らせたまま紫煙の向かう先を目で追っていた。

「もう一本貰うよ」
 ジェイが再び煙草を取り出す。ロイはそれに返事をしない。変わらないままの過去が、とっくに取り戻せない今、ここにあった。

 昔の二人も、こうして軽口を叩き合っては互いを試していた。探り合うのは心の底にある空洞。自分でも覗き込むことを恐れている深淵だった。
 あの頃、彼らは互いを必要としていた。唯一、その空洞を埋める欠片だと確信して。
 ──最後の呪いを継ぐ者。だが、二人が別れることは既に決まっていたのだ。

「ロイ」
 強い口調で名を呼んだジェイが、きっぱり宣言した。突き刺すような視線に、冷たい笑みを添えて。
「結局、私の勝ちだね」
 ロイは応戦しようがない。だから、反撃を苦笑に置き換えた。負けは……十年前から分かっていた。

「貴方がどれだけカツミを引きつけようとしても、無駄だよ」
 ぴしりと突き放したジェイに、ロイが自分の行動理由を明かす。
「今度はカツミが殺されると思ったんでね」
「とんでもない! それが最近の干渉の理由か?」
「麻薬まで使うとは思ってなかったからな。黙認にも限度ってものがある」

 ジェイは、自分の悪行が早くから暴かれていたことを悟った。フィーアが特区を去ることになっても、ロイは静観するつもりだったのだろう。
 ロイの優先順位ははっきりしている。冷酷なまでにカツミだけに固執し、同じ息子であるフィーアは放置していたのだ。

「自分の子供を手元に置くことくらい、勝手にさせて欲しいものだな」
「だよな。でないと危ないかもしれないし」
 皮肉を突きつけたジェイだが、その影響範囲が限られていることも自覚していた。

 ジェイが腰を上げた。見上げたロイが何か言いかけたが、軽く手を上げたジェイに遮られる。
「なにひとつ後悔なんてしてないよ。自分に素直に生きてきたからね」
 静かに言い残したジェイは、鋭い眼光を緩めることなく部屋を出て行った。

 ◇

 もう夜中も近いというのに、ジェイの部屋のブザーが鳴る。ドアを開けると同時に胸に飛び込んできたのは、カツミだった。いつも行動の予測がつかない。そう思いながらも、愛しさがジェイの心を満たした。

「ごめん」
 くぐもった声を聞きながら、ジェイがカツミの柔らかな髪を撫でる。
「ジェイの気持ち、全然わかってなくて」
「いや。話さなかった私が悪いんだ」
 ジェイが言い終わる前に、カツミがすっと顔を上げた。神秘的な双眸が真っすぐにジェイを見つめる。生死の狭間にある色。人の心の奥底を、そのまま炙り出すような瞳が。
 カツミの口がぎこちなく動いた。

「ずっと側にいてくれる?」
「カツミ」
「離れないでいてくれる?」
「……」
「お願い。忘れないで」

 カツミの懇願は、どこか噛み合っていないように聞こえた。言葉に詰まってしまったカツミを再び抱き締めると、ジェイがかぶりを振る。
「ずっと」
 そこまで口にして、ジェイは黙した。カツミの懇願はそのまま自分の願いだったのだ。


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如月ふあ
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