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ONE 第一話 移民の星の特区

 今、死の砂漠で拾われたひとつの種が、命の星の上で実を結んだ。
 そこに至るまでには、多くの水を必要とした。
 たった一人を生かすための水。百年かけて注がれた水。
 種を生かすために、どれほどの血が流れたことだろう。だが、守り通された種は花を咲かせ、やがてはこの星の森となるのだ。

 ──ひとつに。たったひとつに。

 魂の根源は繋がっている。見渡す限りの白い世界に、薄く張られた水のように。
 その水に触れる。その水に色を差す。輝きが、波紋が連鎖する。光が、色が、波が広がる。
 純化された存在は、その透明な世界の中心にいた。
 全ての、みなもとの中心に。

 ◇

 黄昏時。大きな窓の前に立ち、彼は淡い紅を溶かした空を見上げていた。
 肩まで伸びたクリーム色の髪が、その光に染まる。空には星の環(リング)が美しく煌めき、彼方にある血に飢えた場所すら忘れさせるほどだった。

 シャルー星。ひとつの国家が治めるこの星には、広い海と五つの大陸があった。
 その大陸のひとつ。政府組織の置かれた重要な大陸にあるのが、この空軍基地『特区』である。
 特区はこの星の軍人なら誰もが目指す場所。士官学校を出てもトップクラスの成績でなければ入隊を許されることのない、特別な場所だった。

 カツミ・シーバル。彼はこの基地に所属する十九歳の新人パイロット。背が低く華奢な体つき。童顔だが他人の視線を惹きつけてやまない秀麗な容姿をしている。
 窓を離れた彼が、小さく溜息をこぼして振り向いた。逆光に照らされた身体は、しなやかな猫を思わせる。
 その瞳は、夕陽を映しとった黄昏と血の色。
 オッドアイ。右の瞳は淡いトパーズ(琥珀)の色。そして、左の瞳はクリムゾン(深紅)。

 ただその美しい瞳は、いつも他人を拒絶していた。新人の中では群を抜いて優秀であるが、彼の笑顔など誰も見たことがない。
 カツミの父は特区の最高責任者だった。加えて彼は、数少ないA級特殊能力者。嫉妬や恐れが周りから常に向けられ、未熟なこころは傷ついていた。

 冬のモアナ(陽)は見る間に地平線に滑り込み、後には青く深い夜が眠らないこの基地を覆う。
 ひと月もしないうちに初雪が降るかもしれない。そう思いながら、カツミが苦い記憶をふるい落とすように、わずかに首を振った。

 十一月の始め。四季のある大陸は長雨の季節を越えると本格的な冬となる。
 現在は休戦中だが、この星はもう百年ものあいだ戦争と休戦を繰り返していた。ここは移民者の開拓した星。戦争の相手は元々いた母星である。
 独立のための戦い。しかしそれが百年も続くと、開戦当初の士気など完全に摩耗する。戦争は今や経済活動の手段。二つの星はこのゲームによって利益を循環させ、持ちつ持たれつの関係を続けている。
 一部の者だけが利潤を得る茶番に、国民が疑問を覚えることはない。情報は完全に管理され、人々は偽のユートピアに住んでいた。

 長い歳月に倦(う)み病んだ世界、矛盾と諦念の支配する世界、そのような中に特区は存在している。戦いのない日々を知るものは、もはや一人としていなかった。

 ◇

 カツミ達が寝起きしているのは、十二階建ての寮である。隣には小さな森があり、それを縫うようにして遊歩道が整備されていた。広大な基地周辺には商業施設も居住区もある。ここは大きな都市と言っていい。

 昼夜を問わず離着陸する戦闘機の爆音、明々と照らされる誘導灯、常時監視を続けるレーダー施設。
 日常から隔離された特別な場所だが、全てが基地ゲートの内部で事足りるようになっていた。

 基地の地下には自走路(動く歩道)があり、全ての施設に通じていた。寮に戻るのもこの道を乗り継ぐ。
 カツミはすれ違う隊員の視線を避けるようにして、速度のある歩道の上を足早に歩く。ここを走っていいのは緊急の時のみ。そんな規則さえ忌々しく思っている。

 いつにも増して今日の彼は苛立っていた。
 カツミは自分のことを幼いとは思っていないが、繊細なこころを持て余している。大人と子供の狭間。ゆらゆらと大きく揺らぐこころ。その純粋な部分は、暗い過去のせいですっかり削ぎ落とされていた。

「ジェイ」
 カツミが小さく呟く。自分を拒絶する世界。それに抗う唯一の呪文のように。
 今日は会える。縋っている自分を情けなく思う。しかし他に縋れるものがない。

 ──いのちのクリムゾン。死のトパーズ。

 彼はまだ何も知らない。課せられた定めを。自分が、この病んだ世界を変える存在であることを。
 鳥籠の鍵を手にすることが、この星を解放に導くことを。






 〈注釈〉
 1ミリア(一時間)。1ミリオン(一分)。1ミレル(一秒)。
 一日は24ミリア。1サイクル(一週間にあたるが五日間)。
 一か月は4サイクルで二十日間。一年は十二か月。