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ふたつのうつわ 第1話 レイヤー持ちと島の学園

 十五年前に発生した直下型大地震のあと、その地域にレイヤー持ちと呼ばれる子供が現れた。

 彼らは通常と景色の見え方が違う。特徴的なのは色が淡く見えることで、まれに大きさの認識が変化する者もいた。
 眼科医は匙を投げ、精神科医はPTSDの一種と結論付けた。日常生活に支障はなかったので、うやむやのまま放置されニュースにもならなかった。

 早瀬夏樹(はやせなつき)も、レイヤー持ちの高校三年生である。
 三歳の時に大地震で両親を亡くし、陶芸家の叔父に引き取られた。
 現在は中高一貫の全寮制男子校で、学生生活最後の年を過ごしている。
 受験生だが、どうやら彼に進学の意思はないらしい。今日も寮での夕食を終えるなり、学園敷地内にある叔父の工房で作陶をしているのだ。

 学園のある島は、高齢化が進み無人島となった場所である。
 面積130平方キロメートル。南北に17キロ、東西に15キロ。
 開校したのは六年前。ナツキ達が一期生だった。
 やけにレトロ趣味な校舎と自然しかない島。高速船が日に二度往復するが、台風ともなれば孤立するような場所である。
 海岸沿いには巨大な風車がズラリと並んで電力を供給し、水道は豊富な地下水を利用していた。

 勉学に励むには理想的な場所ではあるが、ご多分に漏れずインターネット環境は整っている。
 中高生が陶芸などという地味な作業を好むわけもなく、夜になると外部講師の叔父は本業の作品作りを始める。
 そんなわけで、ナツキ一人が夜の陶芸教室の生徒だった。

 いまナツキが作っているのは、オブジェである。
 板状にスライスした土をカットして、土の土台の上に組み立てる。
 ノスタルジックな家並み。路地裏といった印象である。壁も屋根も細い階段も、切り出した土の板を組み立てて作る根気のいる作業。

 陶土は無闇に乾燥させては作業に支障が出る。
 組み立てた後に削りや彫りを入れるには、土は生乾きでなければならない。接着するにも、乾ききってからでは難しい。
 手の体温だけでも土は乾いていく。組み立てる場所以外は湿らせた布で覆いながらの、気の遠くなるような作業である。
 もちろん、タタラと呼ばれるスライスした土の板も、湿度を保つために発泡スチロールの箱に保存されていた。

 ナツキは、この路地裏のオブジェを夏休みからずっと作っている。
 作業は最終工程。今は建物の壁に這う配管や、小物の配置をしていた。
 針で土の表面に傷をつけ、筆で水を置いてから紐状にした土を接着していく。木ベラで丁寧に縁をならして、直角に曲げた部分に筋を彫り込む。
 陶芸は食器や花器の制作にとどまらない。アイデア次第で色んな作品が出来るのだ。

 ナツキの叔父。早瀬秋人(はやせあきひと)は、電動ロクロで黙々とティーポットのパーツを作っている。
 彼が最も得意とするのは、大きなランプシェードである。
 円錐形に高く立ち上げた土に細かな穴を無数にあけ、焼き上げて中に電球を入れれば、部屋中が星を鏤めたように変わる。
 とはいえ、ランプシェードは贅沢品。そうそう売れるはずもなく、作品の主軸は食器である。

 二人のいる陶工房は、この学園の学長が建てたものだった。
 趣味がこうじて……というよりも暴走して、建てたまでは良かったが、学園の運営の傍らで陶芸などという手間暇のかかる趣味が続くわけもなく。
 そんな折、個展で意気投合した秋人を、この島に引っ張り込ん……招いたのだ。

「先生。今、いいかな?」
「なんだ?」

 ナツキは叔父のことを先生と呼ぶ。
 呼ばれた側は、視線をロクロに向けたまま手を止めずにいる。

「これ、赤土にはしたけど、もっとこう、薄暗い感じにしたいんだよね」
「建物のなかに電球を入れるんだろう?」
「うん。でも、灯りをつけない時間のほうが長いし、昼間でも渋い感じに見えないかなって」
「ああ。だったら、素焼きした後に汚しをかけたらいい」
「汚し?」

「黒マット釉(ゆう)をザッと筆でつけてから、スポンジで拭き取るんだ。白土だと際立つけど、赤土でもいけるんじゃないかな。アンティークな仕上がりになるはずだ」
「へえ。そうなんだ。やってみる。……その前に、割れずに焼ければだけど」
「最後まで分からないのが、面白さだし、怖さだねえ」

 タタラの組み立ては、継ぎ目にヒビが入ることが多い。土をカットした部分が多ければ多いほど、その確率は上がる。
 それと、土は焼くと歪んだり反ったりするのだ。しっかり締めていないタタラで板皿を作り、底がカタカタいう失敗作をナツキは大量生産してきた。
 陶芸六年生の彼だが、今でも間っ平らなプレート皿を焼き上げることは出来ない。

「とにかく、土を締めることだな」

 そう付け加えながら、先生はポットの胴の受け口を作っている。蓋が乗る部分なので、溝を作るのだ。胴体と注ぎ口、蓋と茶こしとハンドル。パーツの多いポットは、ナツキにはとても手の出ないものだった。

 薄く軽く、ピシリと正円の器は美しい。機能的でもある。
 ただナツキは、電動ロクロを教わるのはすぐにやめていた。手作り感のある作品のほうに惹かれたのだ。
 彼が使うのは手ロクロ。手で回す卓上のロクロである。
 陶芸を仕事にするのなら、大量生産できる電動ロクロの習得は必須であるが。

「そりゃそうと、ナツキ」
「うん?」

 何気ないふりをして、先生が核心に突っ込んできた。

「進路は決めたのか?」
「……うーん。大学行って勉強したいことがないんだよね。その先で、リクルートスーツ着て就活してる自分も想像できねえ」
「はははっ。まあな」
「陶芸学校に行きたい。二年で電動ロクロを覚えて、またここでやりたい。……だめかな?」
「いいんじゃないかな。一人で食ってく分なら、なんとか稼げる」
「あ、そっち?」
「妻子を養うとなると、かなり頑張らないといけないからねえ。共働き必須だ」

 先生は年に二度の個展と、展示会やネット販売をする、一般的な個人作家。結婚はしていない。今いる工房の家賃と光熱費が、学園持ちであるのは大きい。
 よほどの有名作家でもない限り、裕福な生活とは無縁の世界である。

「好きなことでの苦労なら、やる価値はあるからね」
「うん」
「どうせ頑張るなら、好きなことで頑張ってみたらいいよ」

「それまでにレイヤーが取れてくれたらなあ。造形はいいけど、釉薬(ゆうやく)の色がさ」
「まあ。そればっかりはね。焦っても仕方ないしな」

 電動ロクロの駆動音だけが響く工房。残暑は厳しいが、陽が落ちてしまうと虫の声が聞こえてくる。工房の南は大きな森で、地下水が湧き出す泉もある。深い樹々の連なりが、台風の時には心強い。

 外が暗くなってきた。
 開け放していた窓を閉めようとナツキが立ち上がると、コンコンとドアをノックする音がした。
 工房の隅で眠っていた飼い猫がむくりと起き上がり、ひと声にゃあと鳴く。

 ナツキがドアを開けると、外には小柄な少年が立っていた。学園の制服を着て、ネームプレートの上には中学一年生を示す小さなピンバッジがある。
 目を引いたのは、彼のグレーの髪と青い瞳。
 外国人かと思いナツキが話しかけるのをためらっていると、普通に日本語で挨拶された。

「こんばんは。あの、ここで陶芸教室があるって聞いて」
「にゃあ!」

 言い終わるよりも先に、少年はハスキー犬のような大きな猫に押し倒されていた。