ふたつのうつわ 第9話 素焼き
今日は素焼きの窯入れ。
陶芸教室によっては、焼きに関して生徒は一切タッチしないところがある。しかし、先生の方針は全てを一通り自分で出来るようにというものだ。
完全に乾燥したことを確認して、作品が窯のなかに入れられていく。
この工房の窯は中型の上蓋式の窯だ。耐火耐熱レンガとセラミックファイバーに囲まれ、内部壁にウェーブ式のヒーター。
一番底にアルミナの塗られた棚板が敷かれている。まずその上に作品を置く。
アルミナとは釉薬が流れて棚板に付着するのを防ぐものだ。
四隅にL型支柱を立て、作品に触れないように次の棚板を置く。
また作品をのせて、支柱やサイコロを置き、次の棚板を置く。
今回は素焼きなので、皿などは二つ、三つを重ねて焼く。釉薬がついていないので、くっつかないからだ。
先生のランプシェードが大きいので、窯はあっという間に埋まっていく。
ナツキのオブジェも入った。棚の隙間に、ちょこんとトーマの茶碗と皿が入れられる。
蓋を閉めて、主電源を入れ、窯の電源を入れる。マイコン制御の窯である。素焼きを設定して、焼成開始のボタンを押せば、ブォンと音が鳴って素焼きが開始された。焼成温度800℃。約八時間の焼成である。
「ちゃんと支柱が作品の高さより高いことを見てね。横扉の窯だと分かりやすいけど、これは上蓋式だからね。それと、換気扇を回しておくことと、窯の温度が50℃を切ってから蓋を開けること。出来れば、室温まで待つくらいがいいよ。電熱線が悪くなってしまうからね」
焼成が終わってからも『冷まし』の時間があるのだ。
『炙(あぶ)り』『攻(せ)め』『練(ね)らし』『冷(さ)まし』。この窯は九段階の設定で焼成プログラムが組まれていた。
「うちの素焼きは800℃。本焼きは1230℃が多いね。窯の説明書は工房の本棚に置いてあるから、好きな時に見ていいよ。陶芸の本も色々あるしね」
「明日には出せるんですか?」
トーマの質問に先生が頷く。
「出せないことはないけど、50℃は切っていないと思う。明後日のほうがいいだろうね。本焼きの場合だと、三日以上待つことになるな。1230℃って、どれくらいの熱か想像つくかい?」
ピンと来ないのは無理もない話だった。トーマが首を傾げる。
「火葬場の温度より高いんだよ。窯の周辺も熱くなるから気を付けてね」
分厚い耐火レンガで囲われている理由が、トーマにも理解出来たようだ。この小さな工房で、とんでもない高温で土が焼かれていることも。
◇
翌々日。素焼きが上がった。
トーマの作品は綺麗に焼きあがっている。ヒビもなし。
ナツキのオブジェは、数か所に小さなヒビがあった。これを完璧に仕上げられるのなら、もはやプロ級である。どんなに神経を使っても、タタラの組み立ては難しいのだ。
「アンティーク仕上げだから、ヒビも味にはなるけど、中に灯りを入れると光が漏れて目立ってしまうね」
そう言うと、先生がセラムボンドを取り出した。素焼きの接着剤である。
「ナツキ。全体にペーパーをかけたら、その粉を取っておいて。接着剤に混ぜてみよう」
「あ、そっか。パテみたいなもんだね」
「そう。汚しをかける時に、釉薬で上を覆って目立たないようにして」
「分かった」
興味深げに見つめたトーマも、ナツキに倣って茶碗の高台まわりを紙やすりで滑らかにしていく。皿の底も。
釉薬をのせる部分は、そのままにしておく。ツルツルにしてしまうと、釉薬の乗りが悪くなってしまうのだ。
ペーパーがけが終わると、全体を絞ったスポンジや濡れタオルで拭き上げる。
先生が厚紙の上にセラムボンドをのせた。水を加えてペースト状にする。素焼きの粉も少し混ぜる。
ナツキが、ボンドの硬化が始まる前に一気に塗り込む。ヒビの部分が埋まった。
「ボンドがはみ出したとこは拭いて、後は自然乾燥。釉薬は弾かないから大丈夫」
「はああ。ありがと。センセー」
「本焼きまで、気を抜くなよ」
「へーい」
釘は刺されたが、ナツキは嬉しそうだった。
時間をかけた大作なのだ。少しでも納得いくものにしたいのは当然だろう。
「じゃあ、ナツキは黒釉(くろゆう)で汚しをかけて。トーマくんは、茶碗の完成図をラフ画にしてね。白っぽい茶碗といっても、色んなものがあるからね」
ナツキは施釉場(せゆば)に、トーマは本棚に陶芸の本を探しに行く。
「うちにある釉薬で白っぽく仕上げるなら、透明釉か乳白釉、それか白マット。内側と外側の色を変えてもいいし、下絵具で絵付けをして透明釉をかけてもいいよ」
「うわあ。迷う」
作業台で陶芸の写真集を見ていたトーマが、ひとつの作品に目を留めた。
粉引(こひ)きの茶碗である。鉄分が浮き出し、そばかすのような表面。しっとりとした少しムラのある白い色。
「これ、いいですね」
トーマの示した作品を見た先生が、ふふっと笑みを浮かべた。
「粉引きだね。これは赤土なんだよ。素焼き前の作品を白化粧泥(しろけしょうでい)にザブンとつけて、赤い土を白くみせているんだ」
「わざわざ赤土を使って、白いので化粧するんですか?」
「そう。白い土は、昔は貴重だったんだろうね。私が作ったやつもあるから、触ってみるかい?」
「はいっ!」
先生が取り出した粉引きの作品はコーヒーカップだった。
それを手にしたトーマが、わあと声を上げる。
「なんか、しっとりしてます。あったかい感じ。不思議だなあ」
「そうだね。このしっとり感は、私も好きだな」
どうやら、トーマの次の作品は決まったようである。
そして、今回は。
「この茶碗には、絵付けしてみたいです」
初作品から攻めの姿勢。
それからトーマは、写真集で様々な絵付け作品を見ている。
ナツキは黒釉を混ぜて計量カップに入れると、戻ってきた。
筆とスポンジで、全体にザックリと釉薬をのせる。それが終わると、今度は水を絞ったスポンジで釉薬を落とす。
暗くしたい部分は釉を残し、明るくしたい所は強めに拭く。
モノトーンに仕上げられた路地裏は、ノスタルジック。しかしどこか人の気配を感じさせた。
トーマはまだ思案中だ。紙に描くのとは違い、素焼きの素地はガサガサしている。筆運びが難しい。筆を走らせるというより、絵の具を置いていく感じなのだ。
大胆に描かれたプロの絵付け作品は、長年の技の集合体。自分が出来る範囲で最大限の効果を出すためには、どうしたらいいか。
今、トーマが見ているのは、上絵(うわえ)の繊細な梅の枝。迷いのない枝ぶり。バランスよく配置された赤い梅の花。
さすがに、この枝は描けそうもない。
先生が助け舟を出した。
「梅の花だけを散らしてもいいんじゃないかな。赤い丸が五つ。真ん中のシべは、イッチンで盛り上げたらいいかもしれない」
「イッチンってなんですか?」
「さっきの白化粧泥を使うんだ。スポイトに入れて、アイシングクッキーみたいに絵をかくんだよ。シべなら、チョンと五つ点を乗せればいい。線を引くよりやりやすいと思うよ」
知らない技法にトーマは興味を持ったらしい。さっそくスケッチブックにラフ画を描きだした。
茶碗の外側に五つの梅の花。内側は底にひとつ。愛らしい印象である。豆皿も、底にひとつの梅。お揃いにすることが決まった。
明日は絵付けである。