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ONE 第八話 朝までいてくれる?

 夕方の基地の食堂。大勢の隊員がずらりと並ぶ、任務あけの喧騒。その賑やかさから少し離れた場所にカツミは座っていた。一人なのはいつものことだが、皿の上のものが一向に減らない。何も食べる気がしないのだ。あれから三日経つが、フィーアは仕事を休んでいた。
 彼を見つけたセアラが声をかけてきた。軍人らしからぬ食の細さは、彼女のよく知るところである。特殊能力者のカツミだからこそ、華奢な身体であっても仕事ができるのだ。

 ──特殊能力者。いわゆる超能力者。
 この星の全国民は能力判定テストを強制され、データを管理されていた。
 C級に満たない者は対象外。C級判定では投薬治療をする者もいたが、概ね社会に受け入れられている。
 能力者の出生は百分の一の確率。全てを排除すると社会が成り立たないのだ。
 ただ、数の少ないB級以上の者となると話は変わってくる。彼らは他者との違いが大きすぎて社会に馴染めないのだ。
 差別は法律で禁止されている。だが、個人感情までは縛れない。能力者は、おしなべて孤独だった。彼らを守ってくれるコミュニティはない。
 軍隊は特殊能力者の受け皿である。ゲートの外とは違い、ここでの彼らは『貴重な道具』なのだ。

「食が進まないみたいね」
 向かいに座ったセアラのトレイにも、カツミと同じ食事がのっていた。
「今日はなんだったの?」
「会議と報告書作成」
「それでお疲れなのね」
「まあね」
 カツミは飛ぶことが好きだった。フライトがあるからこそ、嫌気のさす日々でもやっていけるのだ。
 ただ、それ以外のことは何もかも嫌いだ。

 カツミの不機嫌顔に肩を竦めたセアラが珈琲(カッファ)を取りに行くと、カツミがまたグリルチキンの分解に取り掛かった。その姿は幼児が食べ物で遊んでいるのと変わらない。カップを両手に戻って来たセアラが、皿の上の惨状を見て呆れ声を出した。

「なにやってんのよ」
「だって不味いんだもん」
「ったく。ここの食事にそんなこと言うの、カツミくんだけよ」

 特区は研究施設もある巨大な軍事基地だ。研究者も大勢いる。設備に留まらず業務隊の規模も大きい。
 つまりここは、食事に関して他の基地より優遇されているのだ。しかし、カツミにとっては食事や待遇の優劣などどうでもよかった。

 戦争の相手はメーニェという隣の惑星。その衛星オッジがいわゆる前線である。第一次産業の拠点であるオッジを占拠されることは、砂漠の星であるメーニェにとっての死活問題なのだ。
 オッジを遠目に見る場所に、こちらの航空母艦が駐留している。ごくたまに起こる小競り合いのために、数か月おきに入れ替わる艦隊が常時監視を続けていた。
 馬鹿ばかしいくらいに不経済な状況。それがもう百年も続いていた。
 スクランブルは滅多にないが、大きな紛争となると話は別である。ここの飛行隊は、駐留艦隊への援軍として真っ先に交戦地に向かう義務があった。

「いいこと教えてあげよっか」
 セアラが急に意味深な笑みを浮かべた。
「いいこと?」
「昨日、ドクターのとこに行ったの」
「俺だけ特別あつかいするって、苦情でも言いにか?」
「またそういうこと言う」
 セアラはカツミが鬱々としているわけなど知らなかったが、それがフィーアに関係するとは思っていた。身を乗り出した彼女が小声で切り出す。

「カツミくん、お見舞い行かない?」
「えっ?」
「熱だしてるって。でもね、カツミくんには教えるなって言うのよ」
「ふうん」
「治るものも治らないって。相変わらずの皮肉屋ね」
 カツミはすぐにセアラの意図を察した。フィーアのことを言っているのだろう。
 同時にシドの策略がひどく腹立たしかった。
 これがあいつのやり方か。苛立ちながらも、自分が既にシドの手のひらの上で踊らされていると感じていた。

「で。なんでそれを俺に言うんだ?」
「だって知りたかったでしょ? 私はカツミくんの味方だもん」
「そうなの?」
「失礼ね。情報提供料を請求するわよ」
「いつかね」

 少しだけ笑みを見せたカツミが、すぐに席を立つと出て行った。遠ざかる背中を見送っていたセアラが、ふっと息をつく。先日の罪滅ぼしではあったが、正直自分の感情の置き所が分からなかった。
 他人に心を開かないカツミが、フィーアのことを認めている。ならば自分もフィーアを認めたい。それはおかしなことなのだろうか。
 セアラには想いの定義が分からない。好きなことと、大切であることの違い。恋というものと、愛おしさの違いが。

 ◇

 自室と同じフロアにあるフィーアの部屋。その前で戸惑っていたカツミが意を決してブザーを押すと、中から出て来たのは最も会いたくない人物だった。
 シドはそっぽを向いたカツミを一瞥し、何も言わずに歩き去った。

 シドの思惑にはめられていることがどうにも不愉快だったが、もう後には引けない。カツミはそのまま部屋に入り、横たわっていたフィーアに声をかけた。
「熱だしたって?」
「違うよ。薬を切るんだ」
「えっ?」
「緩和剤。今のが最後だって。夜に切れるって」
「たった三日やそこらで?」
 カツミは、断薬後の離脱症状がきついことを経験上知っている。決して他言は出来ない。ジェイですら知らないことだ。
 自分を貶めることならカツミは何でもしてきた。その行為の典型が、今でも完治していない拒食だった。

「バレたからね。ほんとなら、とっくにクビだけど」
「お気に入りだからな。俺なんかと違って」
「ずいぶん過小評価だね。大目に見てもらってる理由はこれだよ」
 フィーアがくすりと笑うと同時にカツミの身体が浮き上がり、ベッドの上に運ばれ、ゆっくりと降ろされた。
 突然念動力を使われたカツミは、驚きのあまり声を失う。

「びっくりした?」
「ひとが悪いったら!」
「あんなところに立っていられたら、話も出来ないよ」
「ったく!」
 むくれ顔のカツミがベッドの上にぱたんと横たわる。シーツ越しに身体が重なった。
「痛いよ」
「自分がここに乗っけたんだろ?」

 困り顔になったフィーアだったが、身体を起こすとカツミの手を握った。あの日と同じ謝罪が繰り返される。
「ごめん。逆恨みだったのに。カツミは悪くないのに」
「もういいよ。その話は」
「よくない」
「いいの」
 言葉のやり取りを遮るようにカツミが瞼を閉じた。その耳に、微かな息とともに意外な本音が落ちる。

「正直言ってほっとしてるんだ。間違わなくて良かったって」
「まちがう?」
「うん」
 瞼を開いたカツミを、フィーアが眩しそうに見つめていた。だが、押し殺せない不安が青い瞳を曇らせていった。カツミは握られたままの手が汗ばんでいることに気づく。

「カツミ、頼みがあるんだ」
「なに?」
「朝までいてくれる? ……怖いんだ」
 カツミは即答しない。ジェイとの約束があった。フィーアは沈黙の意味を察したが、その後悔を先回りするように、ぎゅっと手が握り返された。

「いいよ」
「えっ?」
「なにも出来ないと思うけど」
 神秘的な瞳を真っすぐ向けて、隣に横たわっているカツミ。フィーアは、血を分けた弟の顔を泣きたいほどの気持ちで見つめた。
 ただのひと時でも、大切な人を裏切ってまで自分を選んでくれる。そんな経験は一度もしたことがない。

 ──自分は嘘つきの臆病ものなのに。
 フィーアにはまだ隠していることがあった。それで何がしたいのかも分からないというのに。そう。分からないのだ。自分の感情が。求めていることが。
 ただ、ひとつだけ確かに分かっていた。繋がれた手から伝わる温もり。その温もりが、この上ない安らぎを連れてくることだけは。


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如月ふあ
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