ふたつのうつわ 第11話 本焼きと窯出し
先生の作品の釉がけが終わった。今日は本焼きの窯入れである。
手順は素焼きと似ているが、大きく違うのが、作品を接触させないこと。釉薬でくっついてしまうからだ。
土は焼くと縮む。髪の毛一本分の隙間があればいいという話もあるが、そんな完璧な窯入れは、なかなか出来るものではない。
本焼きの窯入れは、まるでパズルだ。なるべく同じ高さの作品をひとつの棚板に並べる必要がある。
例えば、ひとつだけ背の高い作品を置いたとする。すると支柱は、一番高い作品に合わせなければならない。背の低い作品の上に大きな隙間が出来る。それでは多くの作品を入れられない。
高さを合せ、隙間に小物を置いていく。重ねて焼ける素焼きよりも、当然入る数が減る。今回は、ナツキとトーマの作品と、先生の個展用の作品が優先された。残りは次回となる。
窯の蓋が閉じられた。設定温度1230℃、焼成時間は十六時間。
ブォンといつもの起動音。窯は、プログラムされた通りに温度を上げていく。
「窯出しは四日か五日後だな。後は窯の神様にお願いして、次の作品を作ろうか」
そう言うと、先生は窯の蓋に手を置いて軽くお辞儀をした。
大きな登り窯には神棚のように塩を置いたりするが、これはマイコン制御の窯。時代遅れのようだが、最後の窯出しまで結果は分からない。頼みますよと願いたくもなるのだ。
ナツキとトーマも一礼した。なにやら妙な気分だが、もう自分たちにできることはない。窯の神様の機嫌が良いことを願うばかりである。
二人のレイヤーが消失した翌日。思った通りに学園は大騒ぎだった。
皆が一様に、鮮やかに変わった世界に驚き、戸惑い、興奮して、授業どころではない。
学長が全校集会を決め、講堂に集まった生徒にこう告げた。
「午前中は外に出て、美しいと感じたものを撮影してきて下さい。後日、データを集めて、みんなでシェアします。特別なこの日を楽しみましょう」
全校生徒はひとり一台ずつタブレットを配布されている。撮影には少々大きいが、皆がみな、ふいに訪れた自由時間を満喫したのは言うまでもなかった。
「トーマはなんの写真撮ったんだ?」
ふいに向けられたナツキの問いに、トーマが目を細めた。宿題をするために持ち込んでいたタブレットを起動する。
そこにあったのは生徒の写真。
空に、木々に、校舎に、草花に。様々な風景を切り取る生徒たちの、生きいきとした姿。はしゃいで友達と自撮りをする生徒。一人で黙々と植物の接写を試みる生徒。
写真の切り取り方が秀逸だった。構図もぼかしも上手い。
落ち葉の敷き詰められた石畳を複数の生徒が歩いていく写真に、ナツキは目を奪われる。後ろ姿の足元はぼかし、焦点は枯葉に当たっていた。五色の葉は、赤から緑まで複雑で美しい彩りを見せている。
「これ、地面すれすれだな」
「這いつくばって撮りました」
くくっとトーマが笑う。いいセンスだとナツキは思った。
トーマがデザインに興味があると話していたことを思い出す。
「写真、撮ってもらいたいなあ。陶芸作品の」
「作品の?」
「難しいんだ。先生はネット販売もしてるけど、見栄えのする写真じゃないとフォローされない。盛りすぎてもダメだけど、アピール出来るものがないと注目されないんだ」
そこが、実際に触ってみる展示会とネット販売の違いとも言えた。
レイヤーの消えた今、写真は新しい選択肢になり得る。
「今度、デシカメ持ってきます。一眼レフ並のセンサーがあるから、タブレットより使いやすいし」
「すごっ。買ってもらったん?」
「今のお父さんのお下がり。カメラが趣味で。写真の加工も教えてもらったんです」
「すげえな。あ、この写真もいいな。なんか、ホッとする」
ナツキが指さしたのは、逆光に照らされた花壇。
パンジーやビオラ。色の少なくなるこれからの季節に向けて、植えられたものだ。
地面すれすれから手前に花を、奥には校舎。ピントは合っていないが、淡い光に透けた花びらが綺麗だった。
「あ、それ、ピンは外したけど、僕も好き。なんか優しい感じがして」
「うん。主役を引き立てるというか。本の表紙みたいだなあ。ここに文字を入れたら、ビシッと決まる感じ」
先生が次の窯入れの準備作業を終えて展示室に入ったが、二人の生徒はまだ写真の話に夢中になっていた。
アート好きな二人にとって、他人と色の見え方が違うのは大きな不安だったろう。ましてや、ナツキはそれを仕事にすると決めているのだから。
これから冬に向かうが、自然のなかに色が乏しくなる冬だからこそ、生活のなかに彩りを持たせることは大事なのだ。
アートは、それを可能にする。
先生の足にノーラが擦り寄ってきた。ナツキがレイヤー持ちではないかと疑い始めた頃に、フラリとやって来た野良猫だった。
こいつの目にも、世界は淡く見えてたのだろうか。ふと、そんな疑問を持った先生が、ノーラに問いかけた。
「淡い世界は、優しい世界だったかい? ノーラ」
◇
待ちに待った窯出しの日。
重い窯の蓋を開けると、ナツキはゴクリと唾を飲んだ。夏休みから二か月かけた大作である。その結果が出るのだ。
修正は出来ない。陶芸は、その点では厳しい世界だ。失敗しても、失敗しても、挑戦する。挑戦し続ける。
大切なのは、出来上がったものよりも、その過程なのかもしれない。
一番上から数段は先生の作品。それが取り出された後に、オブジェがあらわれた。先生がそっと持ち上げてナツキに手渡す。
さっそく作業台に持っていくと、ナツキは全ての継ぎ目をチェックした。
ヒビを補修した部分も、他の場所にも割れはない。
黒釉の汚しは、いい効果を出していた。夜の路地裏。ノスタルジックな佇まい。
「やった!」
ナツキが声を上げて、ガッツポーズする。その声を聞きながら、先生はトーマの作品を取り出した。
少し歪んだ茶碗だが、鎬しのぎが入ったことで歪みも味わいになっている。赤く鮮やかな梅の花。盛り上がったシベ。全体的にアイボリーの愛らしい仕上がりである。お揃いの豆皿にもヒビはない。綺麗に焼きあがっていた。
作品を手渡してから、指でOKサインを出した先生を見て、トーマが満面の笑みを浮かべた。さっそくナツキのいる作業台に向かう。
「畳つきの部分に紙やすりをかけてね。ザラザラしたまんまだと、テーブルに傷がついてしまうよ。ナツキは電線を張るって言ってたね。瞬間接着剤がいるな」
塩水につけてわざと錆びを浮かせた細いワイヤー。少しだけ下にカーブをつけて、電柱に電線が張られていく。ピンセットで丁寧に固定していくナツキは、楽しくて仕方がないといった表情だった。
先生がコードを引っ張ってきて、電球に灯りをつけると、オブジェの中に入れた。
部屋の照明をパチリと落とす。
「わあ!」
「いいねえ」
トーマと先生が漏らした声を聞きながら、ナツキはこのオブジェの住人になりたいと思っていた。