ふたつのうつわ 第14話 クリスマス
クリスマスイブ。
寮の夕食をタッパーに詰めると、ナツキとトーマは工房に持ち寄った。
購買で買い込んでいたお菓子。ジュース。あとは珈琲。ケーキはちょっとばかり崩れてしまったが、気にしない。
展示室の照明を落として、五つのランプシェードに灯りをつけた。
暖炉の火と、ランプの灯り。タブレットで音楽を再生する。もちろん、クリスマスソングのメドレー。
これまでの五年間。ナツキは一人でクリスマスイブを過ごしていたのだ。正確には、ノーラがいたが。
トーマの丁寧語は、砕けた物言いに変化している。それが、見た目から他人に攻撃を向けられないための防御壁だったのだと、ナツキは察した。
ダークグレーの髪と青い瞳。ノーラと同じなのだ。ノーラの見た目に対して、他人がどうこう言うことはないというのに。
レイヤーのなくなった世界は眩しかった。冬であっても、それは同じ。
展示室の壁や天井に広がるライトの光。オレンジ色の華やかな光は、温度すら感じるほどに煌びやかだ。
工房の裏にある森の紅葉は見事だった。海の色は深く、秋草の色すら鮮やかで、くっきりと記憶に残っている。
「トーマさあ、俺が卒業してからも陶芸続けるのか?」
「もちろん。楽しいもん。今度の釉薬も楽しみにしてるんだ」
「百個作って、一個気に入ればいい世界だぞ。物好きだなあ……って人のこと言えねぇけどさあ」
「はははっ! 簡単に出来ちゃうことなんて、つまんないよ」
「だよなあ。ほんとそうだ」
これまで陶芸教室をすぐにやめてしまった生徒たちは、一様に言ったものだった。自分には才能がないから……と。
ナツキには分かっていた。器用不器用の差はあったとしても、それは経験で超えられるのだ。だが、一日に四、五時間。毎日やったとしても、六年間での経験など、この世界ではまだまだ初心者であるということも。
続けていくこと。経験を重ねていくこと。興味を持ち続け、手を動かし続けること。熱意と探求心こそが、才能となっていくのだ。
「テストピース、どうなってるかなあ。100ボルトの窯があって良かったよ。少しずつ焼けるし」
初回のテストピースは、今は冷ましに入っている。もう少し温度が下がれば、出せる段階だった。
「ナツキは新しい土にしたんだね」
「うん。収縮率の低いやつにした。荒い土だと貫入が出ないって書いてたからさ。で、その釉薬なんだけど、厚みが二ミリって書いてたんだよね」
「二ミリ? かなり厚いね」
「あれだけの層が出来るってことは、釉薬もかなりの厚掛けってことなんだなあ。たっぷり素地に吸わせることになるから、あまり薄い素地ではダメだと思うし。どっちにしろ重くなるね」
「先生の抹茶碗も、わりと重かったよね」
「うん。先生は『うつわ』が課題って言ってたけど、抹茶碗とご飯茶碗じゃ、ぜんぜん変わってくるしなあ」
「カフェオレボウルみたいに、なんにでも使える器にしない? お気に入りは、いつも使いたいし」
ここ数か月でトーマの知識は増えていた。ナツキの言葉に、きょとんとすることも減っている。気になっていた粉引きの茶碗も作ったのだ。お約束の失敗作を大量に。
粉引きは素焼き前の茶碗に化粧土をかける。つまりは、土に水をかけるのと同じ。乾燥具合を見極めるタイミングを逃すと、作品は一気に崩壊する。
削った後の湿度管理と、化粧土の濃度、その日の天候にも左右される。プロであっても失敗することがあるのだ。
タイミングを見極めるには、経験を積むしかない。
素焼き前の土は再生土に出来る。化粧土がかかった赤土も、少し白くなるがまた使えるのだ。削った時にでた土や、作品をロクロに止める時に使った土。それらは十分に乾燥させてから水を加え、また練り直して密封する。四か月もすれば、再び粘りが復活して使えるようになる。
ただし、素焼きで失敗した場合のリカバリーは難しい。本焼きでの失敗作は、燃えないゴミである。
ヒビの入った器は指で弾いてみれば分かる。成功だと、磁器ならキンと金属質の音。陶器だとコンと柔らかな音。しかしどこかに割れがあると、その音が鈍く変わる。
工房の裏には、失敗した作品を割って捨てる場所があった。ナツキは『ガチャン』と呼んでいる。
ブロックで囲われた場所。金槌で割るもよし、ブロックに投げつけてもよし。
ムカツクことがあった日は、豪快に失敗作を割りまくる。そして、すっぱりと切り替えるのだ。
人当たりのいい一匹狼。ナツキは叔父が外部講師ということもあり、入学当初は立ち位置の確保に苦労した。
煩わしいことは嫌いだが、ずっと一人では寂しい。絶妙な人間関係を築くうえで必要なのが、一目置かれること。その手段が学園祭への出品だった。
いつからか、それは自己実現への道に変化したのだが。
多感な思春期である。うんざりすることなど山とあるのだ。
だが、今は仲間がいた。自分の好きなことを、同じように好きな仲間が。
トーマがマシュマロに竹串を刺している。ついでに、夕食で出た鶏のから揚げにも。にまっと笑みを浮かべると、暖炉の前にしゃがみ込んだ。
二人して、火で炙ったマシュマロとから揚げを頬張る。絶品である。
「あーあ。もちっと早く、トーマが入学してたらなあ」
そうぼやいたナツキに、トーマがくすりと笑う。
「二年後って言っても、僕はまだ高校一年だよ。また一緒にやれるじゃん」
「だよなあ。追い抜かれないように頑張らないとなあ」
「それは、ないってぇー!」
「はははっ!」
楽しい時間は、あっという間。
門限時間が近くなった時に、トーマが鞄から何やら取り出した。
「これ。クリスマスプレゼント」
「えっ! なに?」
手渡されたのは、カラー印刷のフォトブック。トーマの撮った写真だ。
光沢紙に印刷された写真は、データとはまた違った雰囲気である。花の写真が多かった。接写で撮られた鮮やかな花々。
「すげえ! やっぱ、トーマって写真上手いよなあ」
褒められて照れている相手を横目に、ナツキがソファーの下に手を突っ込む。
前々から隠していたのだ。
「俺からも。これ、使って」
「わあ! いいの?」
粉引きのマグカップだった。赤土に鉄の浮いた白い表面は、トロリとして温かい。
スッと立ち上げた胴に、少しだけ広がった口縁。幅広のハンドル。
シンプルなデザインだが、化粧掛けの時にわざと残した指痕がアクセントになっている。
「こんなの作りたいんだよなあ」
「そう言ってくれると、作った甲斐があるな」
「来年の目標にする。ありがとう」
片付けをして、火の始末をして、戸締りをする。
お互いからのプレゼントを手に工房を出る頃には、空から月が見下ろしていた。夜道でも明るい。
二人の、未知の釉薬への挑戦が始まっていた。