アデル 第二十一話 緊
元旦。葉月はアデルを連れ、市内にある神社へ初詣に出かけた。
夕星はといえば、そのような年中行事には全く興味がない。なにを好きこのんで人ごみに出かけるのか気が知れないと思う性質である。家で録画映像でも見ているほうがいいのだ。言うまでもないが、アニメである。
とうとう年が明け、アデルの試験運用も残すところ三か月となった。
医療施設や教育施設への適合性は十分と言えた。役所関係や企業カウンセラーでも需要はあるだろう。もちろん一部の高所得者層もターゲットである。
とはいえ、いまだに夕星はアデルと添い寝以上のことはしていないのだが。
部屋のドアがノックされた。メイド型アンドロイドのアナスタシアが声をかけに来たのだ。夕星の母親が亡くなったあと、もう三十年のあいだこの家の家事をしているアンドロイドである。ただ、いかんせん型が古い。それなりにデータ更新はして来たが、アデルを見てしまうとその応用性のなさは顕著だった。
「夕星さん。お昼ご飯はなににしますか?」
定時の同じ質問である。去年の元旦にも同じやりとりをしたような……そう夕星は思いながら返事をした。
「姉ちゃんが帰ってきたら雑煮だのおせちだの言うから、昼はカレーにして」
「分かりました」
「あ。アナ。朝陽(あさひ)は帰省しないそうだから、お菓子でも送ってやって。姉ちゃんに相談してくれよ」
「はい。分かりました」
朝陽はひとつ年下の弟である。大学卒業後すぐに結婚し、今は都内に住んでいた。夕星とは対照的なアウトドア派。子供のころからスポーツが得意で、仕事のかたわらジュニアサッカーチームのコーチをしている。
彼は二人の息子の父親である。夕星より五つ年上の葉月は父親に似て社交的であったが、朝陽も父親似といっていい。間にはさまれた夕星だけが、いささか取り残された感がある。それが過去のトラウマのせいなのか、それとも元々の性質なのかは不明であるが。
しばらくすると階下からいい匂いがしてきた。誘われるように階段を降り、夕星はテレビをつけると居間のソファーに座り込む。変わり映えのしないバラエティ番組。あくびをもらしながら壁の時計を見ると、正午を少しまわっている。
その時。パーカーのポケットで携帯端末がブルリと震えた。年始挨拶だろうと手に取ると、相手は葉月である。ディスプレイをスワイプすると……。
「ゆ、ゆうせ……。きゃあああ!」
悲鳴。そして通信はそれきりプツリと途絶えた。折り返し電話をするが、出ない。何ごとかと思いながら、夕星は取り敢えずメールを送る。だが、落ち着かない。
次に彼は、アデルも一緒だと思い立った。そちらで確認した方が早い。
アデルの視覚映像はすぐに受信された。だが、どうにも様子がおかしい。目の前には神社の拝殿に向かう長い石段がある。そこにはまさにすし詰め状態の参拝客がいたが、彼らがパニックを起こしたように石段を下りてくるのだ。当然、幾人かが体勢を崩し、将棋倒しとなった。上がる悲鳴。
「自爆テロだあああ!」
拝殿から上がった叫び声。アデルの視線は石段の上に向けられる。折り重なるように倒れた人々のいる場所に、怪我人がわめきながら雪崩れ込んできた。
参道はまさに阿鼻叫喚の様相を呈していた。悲鳴。怒号。うめき声。血まみれの人々……。
──自爆テロ?
「……まさか」
葉月の姿がちらりと映った。石段よりずっと手前だったらしく怪我はないようだ。緊急時の対応もアデルにはプログラミングしてある。どう動くか?
リアルタイムに事の成り行きを見守っていた夕星だったが、やがてテレビがそれを追うように事件現場の映像を流しだした。アデルの聴覚にもヘリの音が入り込む。
その頃になって夕星はようやくこの映像に現実味を覚えた。平常を取り戻した意識のなか、ブルリと身震いが襲う。
事件のおおまかな内容が分かったのは、その日の夜になってから。
外国人による無差別テロだった。初詣の混雑を狙ったもので、犯人は自動小銃を乱射して参拝客を多数死傷させた挙げ句に自爆したのだ。前々から国内でのテロの可能性は各方面から指摘されていたものの、現実になったのは初の事である。
アデルはワイヤレス通信で瞬時に警察、レスキューに緊急出動要請を送った。また、パニックに陥った参拝客によく通る声で犯人の死亡を宣言し、落ち着いて行動するよう呼びかけている。怪我人の応急処置も行い、動ける人間には協力要請もしていた。ヒーラー型アンドロイドとしては、完璧とも言える行動である。
この件で世間は騒然となり、新年の祝賀ムードは氷点下にまで落ち込むこととなった。特に鎌倉はゴーストタウンのように静まり返る。
一方でアデルの行動は高く評価された。参拝客が撮った携帯端末の映像がネットで公開されると、その美貌と共に世間の注目を集めた。会社も記者会見を行い、ヒーラー型のテスト機であることを説明。近日製品化の発表も当然忘れていなかった。
そして夕星のもとには、スケジュールの前倒しが通知された。つまり、運用試験を早急に切り上げろというのだ。もちろん製品化を急がせるためである。
アデルがジタンのもとに行くのも最終日となった。