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ふたつのうつわ 第3話 まず形ありき

 今年も、梅雨時期から何度か台風が来ていた。明後日に、またやって来るとの予報がある。

 夕方の工房裏では、大きな森からひぐらしの声が聞こえる。カナカナと囁くような声。ナツキはこの音が好きだった。
 今日も彼は夕食をかきこむと、すぐに工房に足を向けている。作陶に必要な道具を探しに、森の入口にいるのだ。
 陶芸の道具は色んなもので代用できる。彼が拾ったのは、クルミのように皺のはいった木の実。たくさん落ちているなかから、手頃なものを拾う。

 九月とはいえ、まだまだ陽射しは夏と同様だった。工房に入ると、展示室のエアコンを入れて、ナツキは宿題をやっつける。
 今日彼は、担任に陶芸学校に行くことを伝えていた。
 進学校である学園で、専門学校に進む生徒は少ない。ナツキは成績も優秀だったので、担任は少し驚いた顔をしていたが、早瀬先生は跡継ぎが出来たってわけだねと、最後には応援してくれた。
 代々続く窯元でもないので、跡継ぎというのもなんだが、叔父と一緒に作陶をするのは楽しい。苦労するなら楽しいことで。叔父の言葉もナツキには嬉しかった。

 六時半をまわったころ、展示室の窓からトーマがこちらに歩いてくるのが見えた。
 Tシャツとデニムに着替え、スケッチブックも抱えている。それは、先生が持参するように指定したものだった。
 土に触る前に、イメージを目に見える形にしておくには、ラフ画が一番なのだ。

 ──まず形ありき。

 ナツキも幾度か聞いた言葉である。とはいえ、最近の彼は記録をさぼっていたが。

「こんばんは」

 ナツキの姿を見つけたトーマが、展示室の窓から顔を覗かせた。手招きをされ、ドアを開けて入ると、エアコンの風にふうと息を漏らす。
 ナツキはサッと立ち上がると、奥のキッチンからアイスコーヒーをいれたグラスを二つ持ってきた。

「わあ。ありがとうございます」

 相変わらず丁寧語の相手に、肩が凝らないのかなとナツキは思う。

「トーマ」
「はい?」
「もちっと、こう、なんていうか。気楽でいいから。遠慮とかいらねえし」
「あ、ですね。でも僕、すごく嬉しいんです。陶芸教室があるから、この学園に入ろうと思ったので」
「やったことあんの?」
「お父さんとの思い出なんです。陶器市の体験陶芸ですけど」
「へえ。手び練り? ロクロ?」

 ナツキの言葉に、トーマは大きな目をパチリと瞬かせた。

「なんですか? それ」
「あ、ごめん。手び練りってのは、ロクロを全く使わないか、手回しロクロを使ってするやつ。ロクロって言ったら、俺は電動ロクロに対して言ってるなあ」
「ああ。じゃあ、手び練りです。ほんっと、土遊びって感じだったから」

 木や石の彫刻を思えば、土は子供でも扱いやすい素材である。陶芸は間口が広い。ただし、奥はまるで見えないくらいに深い。
 窓の外に先生が帰ってくる姿が見えた。
 ゆっくりと陽射しの陰る、初秋の黄昏時。少し風が出てきたようだ。

 ◇

「いやあ。今日のかつ丼は重かったねえ。残しちゃったよ」

 先生はそう言いながらも、チョコレートを取り出して二人にすすめると、自分も一つを口に放り込む。酒も煙草も嗜まないが、甘いものは別腹らしい。

「さて。じゃあ、工房の道具を説明しよう」

 まだ日中の暑さのこもった工房の窓を開け放つ。

「一番奥の部屋が窯場(かまば)。中型の電気炉と、家庭用の100ボルトの電気窯もあるよ。こっちは茶碗が二つ入ればいいくらいの大きさだから、小物用だね」

 真夏に大きな窯に電源が入ると、窯場は灼熱地獄と化す。ただし冬は暖房代わりだ。
 窯場の隣は施釉場(せゆば)。釉薬(ゆうやく)の入ったバケツが並んでいる。先生が壁にある色見本を指さした。

「これは釉薬をかけて焼いた見本。二つずつ並んでいるけど、うちは基本的に赤土と白土を使うから二つずつなんだ。黒土を使うこともあるけどね。使う土によって、釉薬の色の出方がまるで変わるんだよ。だから、イメージしやすいように、色見本を作ってるんだ。新しい釉薬を使う時には、まず見本を作ったほうがいいね。カタログの写真通りにならないことも多いからね」

 透明釉。黒マット。黒天目(くろてんもく)。乳白(にゅうはく)。青織部(あおおりべ)。そば釉。瑠璃釉。黄瀬戸(きせと)。トルコ青マット。青ガラス。弁柄(べんがら)や白化粧泥(しろけしょうでい)もある。施釉(せゆ)の仕方も様々。選ぶ釉薬とかける方法で、まるで別物に変わるのだ。

「こっちは作る時の道具。よく使うのは、洗面器とスポンジと濡れタオル。十五センチの定規。竹べら。コテ。切弓。切糸。なめし皮。作品板。あと、歯ブラシ」
「歯ブラシですか?」

 なにやら場違いな物が出て来たと、トーマはきょとんとしている。

「で、こっちは削る時の道具。色んな種類のカンナがあるけど、平線かきべらの七番が使いやすいと思う。ポンス……これは穴開けだね。色々あるけど、特別な道具はそんなにないよ。ヘラもコテも、ポンスだって、自分で作ってしまえるからね」

 先生は街に出ると、ホームセンターや百円ショップで何かしら買ってきては、あれやこれやと細工をするのだ。たまに道具作りの方が本職かと疑いたくなるほどに。
 作品の乾燥棚も、先生が作ったものである。

「いつも置いてる土は、信楽(しがらき)の赤土と白土。色もだけど、粒子の細かさで色々あるんだ。ここにあるのは、そこそこ細かいやつ。作りやすいと思うよ。荒々しい土もまたいいけどね。土は小分けにして密封してる。乾燥を防ぐためにね。それと、冬になったら凍らせないように。使えなくなってしまうんだ」

 分かったような分からないような。そんな顔をして頷くトーマに、先生はニコリと微笑むと、作業台の椅子に座るよう促した。

「スケッチブック。持ってきてくれたね。じゃあ、まず形ありきだ」

 思った通りの言葉を聞いて、ナツキがクスリと笑う。

「頭でイメージするだけよりも、絵を描いて寸法も書きこんでおくんだよ。絵は断面図で書くといいかな。茶碗なら、真ん中から真っ二つに割ったような絵だね。トーマくんは、まず何を作りたい?」
「お茶碗がいいです。自分が使うやつ」
「いいね。白っぽいやつ? それとも黒っぽいやつかな」
「白っぽいやつ」
「じゃあ、白土だ。いつも使ってるお茶碗のサイズって、気にしたことあるかい?」
「いいえ」

 だろうなとナツキも思う。
 自分も作るまでは、よくある磁器の茶碗を使っていたのだ。だいたいこんなものと思っているだけで、幅や高さ、高台(こうだい)のことなど考えたこともなかった。

 先生が展示室から昨日のトルコ青釉の茶碗を持ってきた。
 竹の定規をあてる。口縁幅(こうえんはば)……一番上の幅が十二センチ。高さは六センチと五ミリ。

「これは焼き上がりのサイズ。でも、土は乾燥や焼成で縮むから、大きく作らないといけないんだ。収縮率は表にして、そこの壁に貼ってる。だいたい一割ちょっと縮むから、茶碗が湯呑みにならないようにね」

 箸置きなら一割縮んだところで、さして変わらない。しかし大皿の一割は大きいのだ。

 トーマのスケッチブックに、先生がUの字を広げた茶碗の断面図を描いた。下に高台の四角を付け足し、縁は外側に広がっている。

「売ってるお茶碗はこんな形のが多いね。重ねて収納しやすいし、薄くて軽い。まあでも、一点ものを作るんだから、自分の好きな形にしたらいいよ」

 あらためて言われると、自分の好きな茶碗の形とはなんぞやである。
 それからずいぶんと悩んでいたトーマは、結局最後にオーソドックスな茶碗の形に決めた。
 うん。それでいいと、ナツキは内心でホッとしたものだった。