ONE 第十五話 謹慎処分
カツミに下ったのは、三日間の自室謹慎。
クローンは頭蓋骨が砕け、現場にいた者は超A級の破壊力に震え上がっていた。
普段のカツミは能力を誇示するどころか、そのほとんどを封印している。感情の抑制がきかないことで、あってはならない事態を招いてしまうからだ。
他の能力者ができる力の制御を、カツミはうまく出来なかった。未知数と判定された能力は、いつどんな形で現れるのか分からない。
『カツミなら分かるよね。下手すると相手を殺すんだから』
フィーアの言葉は、ずっと自覚していたこと。膿んだ傷のようにじくじくと主張し続け、カツミに能力に対する恐れを忘れさせずにきた。
特殊能力は遺伝で受け継がれるケースが多い。その一方、能力の制御は後天的な指導に依存していた。幼い時に家族から制御を学ぶのが一般的だ。しかしカツミには、家族の指導や支えが一切なかった。
封印の切っ掛けとなったのは『聞く者』の能力。
その能力を持つ者は他人の心の裏側が『聞けて』しまう。幼いカツミには聞こえてくる声を防ぐすべがない。
なのに、父はカツミを放置した。生活も教育も使用人に任せ、カツミをいないもののように扱った。いわゆるネグレクト。徹底した無関心を貫いたのだ。
それでも幼いカツミにとって父は唯一の肉親。他に頼るものがない。
彼は父の本心を知ることを最も恐れた。憎まれていることを確信すれば、自分は生きる意味を失う。見放されれば死ぬしかない。だから能力を封印したのだ。
自己否定。自虐性。能力の封印は、こころの封印だった。カツミは自分を守るために氷の砦に逃げ込んだのだ。そこでどれだけ凍えていようと、もう砦から出ることは出来なかった。
◇
夕方の医務室。黄昏色の光がブラインドに切られて、部屋の中に射し込んでいた。
シドの視線は琥珀に染められたジェイの顔に向けられていたが、そのジェイはずっと黙したまま疲れたように俯いている。
謹慎中のカツミの部屋は管理システムでロックされ、室内外の通信も遮断されていた。
裏の手を使えるジェイですら一切アクセスできない。ジェイが逃げ込める場所は、シドのもとしかなかったのだ。
アクセス遮断で打ちのめされているのは、カツミではなくジェイの方じゃないか。シドにはジェイに対する同情などない。彼の心は、斜めに切り刻まれた夕陽のように、ささくれて色を失くしていく。
ジェイは、こんな時ばかり自分を頼って甘えてくる。こっちの気持ちなんか考えもせずに。
たったの三日。でもその間にフィーアの魂はカツミを支配した。それが導く結果──ジェイが恐れ、多分自分の望む結末が、目前に迫っている。
ジェイの不安は頂点に達していることだろう。だからって、そんなのは自業自得じゃないか。
「ジェイ。貴方が招いたことだよ」
シドの責め苦にジェイは沈黙で抗った。甘えておきながら意地を張るのは、カツミにそっくりだ。苛立ちを増したシドが、ギリッと歯を噛むと覚悟を決めた。
保留していた『確認』を入れるのは今しかない。聞きたくはないが、聞かないことには先に進めない。
永遠にそんな日が来なければいいと願っていた。でも……もう限界だ。すっと大きく息を吸い込んだシドが、真っ直ぐ切り込んだ。
「ジェイ。貴方の焦りの理由はなに?」
「とっくに、お見通しだろ」
顔を上げたジェイが苛立ったように前髪をかき上げる。
「いつから?」
「そろそろ一年かな。飲み薬じゃ限界みたいだ」
「検査は受けてないのか?」
「言われることは分かってるからな」
あの出来事から十年経ったが、ジェイはまだ三十歳にも届いていない。皮肉な運命だ。病の原因を作ったのはカツミの父。フィード・シーバルなのだから。
「カツミには話してないのか?」
訊くまでもないことを訊いてから、シドはジェイの苦悩の深さに改めて気づいた。
この事実を知る時、カツミはもう一つの現実と向き合わざるを得ない。それによって生じる心情の変化を、ジェイはどこまでも恐れているのだ。
シドはジェイと同じように黙するしかなかった。もう出来ることは何もないとすら思えていた。
切られていた黄昏の光は、次第に明暗の差をなくし、濃紺の闇に変わっていく。沈黙が支配する部屋で、二人のこころを映すように。
◇
謹慎していた三日間、カツミはまともに眠れなかった。うとうととしだすと、夢の中でフィーアに揺り起こされるのだ。あの寂しそうな目をした彼に。
カツミは、すぐ近くにフィーアがいると感じていた。それを魂と呼ぶのか、残留思念と呼ぶのかは分からない。フィーアは何も言わない。しかしカツミには、フィーアの気持ちが分かっていた。
──二人は魂の双子。離れることなど出来ない。どこまでも一緒に行こう。
自分達は生まれてくるべきじゃなかったんだ。他人から恐れられ、親すらも疎む。誰からも必要とされない存在。この世にしがみ付く意味などないじゃないか。
一緒に行こう。その世界から飛び降りて、この手を掴んでよ。もう耐えることなんてないんだ。どんな哀しみも苦しみも、感じることのない場所に行くのだから。
冷たい水底に手招かれる。それに従うことは、とても容易かった。カツミが常に望んでいたことだからだ。だがそれを寸前で押し留める人がいた。
「ジェイ」
──その名前は、いのちを繋ぐための呪文。
ジェイはずっと、自分のことを大切だと言っていた。必要だと言っていた。その言葉を信じるなら、今は踏みとどまるべきじゃないのか?
自分は知ったはずだ。ジェイから離れることは出来ない。ジェイを失ったら、全てが無に帰してしまう。何をどれだけ奪われてもいい。でもジェイだけは失いたくないと。その彼が自分の手を握っているのだ。奈落に落ちる寸前の手を。
生死の天秤は揺らぐ。クリムゾンとトパーズに染まりながら。ジェイとフィーアの手が、カツミを引き合う。片方は生に。片方は死に。
カツミはその片側を振りほどいた。血を吐くような叫びをあげながら。目も逸らさずに、その人が断崖から落ちるのを見つめていた。
◇
三日後。日付が変わると同時に、施錠と通信制限が解除された。謹慎終了に気づいたカツミが顔を上げると、部屋にジェイが入ってきた。その後ろには診察鞄を下げたシドが立っている。
「カツミ」
ジェイの声がカツミの耳元で響く。応える間もなく抱き締められたカツミの頬に涙が伝った。フィーアの死を知らされてから、初めての涙が。
二人を見守っていたシドは思わず唇を噛んだ。切なさと安堵。相反する思いが惑いを生む。
「不眠と脱水。ドクターストップだ」
感情を殺した声で診断を下したシドは、点滴の準備を始めた。補液にトランキライザー(精神安定剤)を追加する。
「ジェイ。看といてくれる? 明日の朝、診察に来る。何かあれば連絡して」
滴下を確認したシドは、逃げるように部屋を出た。
しんと静まり返った真夜中の廊下。好悪ない交ぜの感情が呼んだ苛立ちは、死者への非難に変わっていった。
命を捨てて想いを遂げるなど。馬鹿ばかしい!
その時のためには、まず生きていなければならないのだ。どんなに傷つこうとも。
「死んでしまえば、ただの思い出にされてしまうんだよ。フィーア」
シドは死者を容赦なく鞭打つ。それはみずからに課した決意の表れでもあった。