2024.1.28 雑記『服と本』

 激しい口の渇きと喉奥の痛みで目が覚めた。現時刻は朝の11時50分。昨夜最後に携帯の待ち受けを見た時が20時だったので、累計16時間近く寝ていたことになる。普段はどんなに長くても10時間を超えない。こんなに寝たのは最近処方された薬の所為だろう。今日は日曜日だし、もうちょっと寝てから起きるかと思った矢先、寝起きの耳を鋭く差すようなインターホンの音が流れた。一昨日メルカリで買った服が届いたようだ。密かに届くのを楽しみにしていたのもあって、二度寝と起床の二つを乗せた天秤は簡単に後者のほうへ傾いた。

 届いたのはRAINMAKERという京都のブランドのBELTED JACKETというもの。羽織にトレンチコートなどでよく見かける紐が付いたような形、と言えばイメージしやすいか。和っぽいコーディネートが好きで、以前から和服っぽい上着を探していたのだけど、ある日インターネットで見かけて「これだ!」と衝動買いしてしまった。画像で見たよりかなり薄手で、なめらかな手触りが心地よい。鼻を近づけてみると上品なお香の香りがした。
 せっかくだし今日はこれを着て出かけよう、と思った。

 俺は気に入った服を何年も着るタイプの人間なので、コーディネートの幅は少ない方だ。今日の服装はサカナクションの蜃気楼Tの上に購入した羽織ジャケット、下はヨウジヤマモトの袴パンツにドクターマーチンの革靴。コートはダブルブレストのロング丈のもの。大体いつも通り。全部黒色で統一するのが好きだ。ドクターマーチンの革靴と言ったら黄色のステッチを思い浮かべると思うが、これは白いバージョンのもの。前に職場を辞めた先輩から頂いたものだけど、あまり履く機会が無かったので今回選んだ。
 全身黒で足元に革があると何となく引き締まった感じがする。インターネットで見るモードコーデに革靴が多いのはこういう理由なのかもしれない。

 駅の隣にある、おじいさんが個人で経営しているゆったりとした雰囲気のカフェで本でも読もうと思い、古市憲寿著の『奈落』という本をバッグに入れ家を出た。

 しかし閉まっていた。グーグルマップの情報では営業中となっていたのでおかしいなと思いドア横の看板を見てみると、どうやら本日は貸し切り営業らしい。なんだ、運が悪い。そのまま帰ろうかとも思ったけど、バッグに入れた本がそれを望んでいないような気がして、電車に乗り池袋へ向かった。池袋に特に理由はない。

 池袋にはジュンク堂という大きな書店があって、そのすぐ近くにレトロな雰囲気で薄暗くて、本を読むにはぴったりの珈琲店がある。
 そこで読む本はもう決まっているのだけど、本屋を目の前にして通り過ぎることが出来ないのが俺の性だ。結局、東直子著の『朝、空が見えます』という詩集を買い本屋を後にした。
 もうこの時点で慣れない革靴の所為か足が痛くなっていたのだけれど、普段運動の痛みなど年1回でも味わわない俺にとっては、その痛みも奇跡的な運動の証明として、余裕で我慢することが出来た。

 店内に入ってダージリンティーを注文し、さっそく『奈落』を読み始めた。
あらすじは以下の通りだ。

17年前の夏、人気絶頂のミュージシャン・香織はステージから落ち、すべてを失った。残ったのは、どこも動かない身体と鮮明な意識、そして大嫌いな家族だけ。それでも彼女を生かすのは、壮絶な怒りか、光のような記憶か、溢れ出る音楽か――。生の根源と家族の在り方を問い、苛烈な孤独の底から見上げる景色を描き切った飛翔作。

古市憲寿『奈落』新潮社 より

 読み終わって、5分ほどしばらく動けなかった。心臓の鼓動がどうやら速いらしい事だけ認識できた。素晴らしい、いや、これを素晴らしいと言っていいのか、、、
 特に鮮明に覚えているのが、植物人間で意識だけはっきりしている主人公に対して性的暴行を加える実父の描写だった。俺に存在しないはずの器官のあたりが気持ち悪くて何度も身悶えした。
 色々最低で最悪というか、まったく救いがないどころか突き落とされるようなラストも今の俺に刺さった。「人生なんてそう上手く行くモンじゃねえんだよ」と、そう著者に言われた気がした。同時に自分が努力できる環境にいることのありがたさ、気持ちを伝えられることの尊さがひしひしと伝わってきた。
 その想いが何重にも重なって、帰りの電車の中ではずっと主人公の事で頭がいっぱいだった。


今日の事もきっと、『奈落』のページを捲る日があれば思い出すのだろう。後半になって渋くなったダージリンティー、不自然なほどに激しめのBGM、大理石柄のプリントが施されたテーブルの異様な安っぽさと共に。

 とにかく、今日は外に出て色々なことを考えることが出来て良かった。
 目指すははるか遠い山頂、小さな一歩だけれど、健康な人間に近づけた気がした。

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