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感情を言葉に当て嵌めるとき

人間が言葉を使うとき、その人にとって一番適切と思われるワードを状況によって使い分けるが、その状況と言葉が100%ぴったり一致するわけではない。

例えば恋人にフラれて「悲しい」、親が死んで「悲しい」。
どちらも大まかな感情は似ているが、その機微までは伝わってはこない。
親が死んだ経験をした人間は、その時の感情を思い出す。
その経験がない人間は、そもそも悲しみの感情すら湧いてこないかもしれない。
こんな感じで、語り手にとっての「悲しい」は、瞬時に読者の経験に基づく「悲しい」に変換される。
その感情がどれだけ似ていようが、語り手が感じた悲しみはどうやっても正確に体験することは不可能なのだ。
なるべく正確に伝えるためには「悲しい」の一言で終わらせず、いろいろな例えや表現方法を用いる必要がある。(砂のように味気ない、心が冷えて石になったようだ など)

俺は、日本語はとても美しい言語だと思っていて、それは詩や小説を読むたびに感じている事だ。
一文字違うだけで全く違う意味の文章になってしまうほどに繊細。しかし、そこに力強さも内包している。
人生を変えてしまえるほどの可能性を秘めている。

そんな美しくて繊細な言語だからこそ、俺は学びたいと思う。自らの心情をたくさんの語彙で表現したい。
誤解されるのが俺の一番イヤなことだから、自分のために、まずは言葉を勉強していこう。

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