チャネリングをはじめるに至るまで
内なるガイドチームと共に
バイオグラフィー①
チャネリングをはじめて随分経つ。
別に特別な訓練をしたわけではない。
十代の終わりのある日、何もかも嫌になって、酔っ払って日記を開いた。
それまで何も続いたことはなかったが、世の中や周りで起こることに混乱して、どこかに思いをぶちまけて、頭を整理したかった。
どうして人は〜〜なの?
なぜ本当のことを言わないの??
この世の中は窮屈すぎるよ‥もうやってられない!!
強い力でページの罫線も無視して、ただ感情のままに紙面になぐり書いた。
するとペンを持っていた手がスルスッと動いて、「それはね…」と勝手に書き始めた。そしてあっという間に、ページいっぱいに答えが返ってきた。
それがすべての始まりだった。
当時はまだスピリチュアルなんて言葉はなく、本屋や図書館に行って調べても、宗教的なおどろおどろしい話や、いわゆる霊能者の霊の憑依体験ぐらいで、納得するような内容は見つからなかった。
ただ、昔から人の思いがわかったり、オカルトや不思議な話は本当にあるんだろうと思うところがあったので、しばらくこのやり取りを続けながら様子を見ることにした。
こうして、ノートを通して「謎の存在」と自問自答しながら、私の内なる旅がスタートした。
日が経つごとに、内なる会話は日常の細かいことまで及び、次第にその結果から返答に信頼性を増すようになった。
それにしてもこの存在は誰なのか‥、湧いてくる疑問だけでなく、「もうすぐこうなるよ…。」というような、未来の可能性や予言めいたことまで出てくるようになって、それがまたその通りになったりしたので、そのうちに信頼を通り越して怖くなってきた。
これは真剣に調べて突き止めなければ‥
そう思い始めた頃、『チャネリング』という言葉をはじめて耳にすることとなる。それは「自動書記」などというワードより、安心感があった。
そこで真相解明するべく、その会に参加することにした。
その時のエンティティの名はバシャール
ダリルではなく、はじめての日本人の女性チャネラーだった。
当日最前列の席に座って、チャネラーが座るはずの向かいのまだ空の席に異様な空気感を感じながら、この動悸はなんだろう…とカラダの異変が気になっていた。そこへ本人登場、普通の人だ。自己紹介が始まる、不思議とさらに心臓が高鳴る。何だこれは‥⁉
「私はトランスチャネラーで…」
1980年代の当時は、まだ目を閉じて、全く違う存在が入ってきて、声色も態度も違う感じで話すやり方が主流だった。
「では始めます」と言うと、ゴーッと音を立てながら呼吸の音が変わり、
同時にまた鼓動も高鳴っていく。
そして大きな声で第一声 「こんにちは!」
次の瞬間、爆風のような感覚が全身を襲ったかと思うと、後ろで大きな音がして振り返ると、最後列の何人かが椅子を倒して後ろに吹っ飛んでいた。驚いたのもつかの間、次の瞬間、今度は自分の意識が飛び、内側で何百もの扉が浮かんで、螺旋を描きながらすごい勢いで吹っ飛んでいくのが見えた。
そしてそのままガイダンスが終わるまでずっと号泣していた。
やがてそのチャネラーが我に返ると、まるで嵐が去ったかのように私の中も静まり、そしてこうつぶやいていた。
「あ、私もこれをやるんだ。」