失恋まであと五分~駅へ走れ!~【小説】
【作品紹介】
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
「走れっ、走れっ、走れ。」俺は自分をそう鼓舞しながら駅へ急いでいた。
失恋まであと五分。
どうしても今日だけは『あの電車』に乗らなければならなかった。
電車で居眠りする度に出会う不思議な女性『夜桜 結衣』。
俺は彼女の不思議な預言に次第に魅了されていく。
今日コクらなければ、二度と会えないっ。
電車に乗り遅れた俺は、まさかの失恋決定!?
失意の中で、偶然再会した大学の後輩『玲』へ彼女との出来事を語り出す。
ただの惨めな失恋話……の筈が事態は思わぬ展開に!?
居眠りから始まるステルスラブストーリーです。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
「走れっ、走れっ、走れ。」
俺は息を切らしながら自分をそう鼓舞した。
全力で走り続けてもう九分。
息は切れぎれ酸欠で目眩さえしていた。
(もう走りたくないっ)
さっきから心臓はそう連呼している。
だけどここでペースを落としたら間に合わない。
『失恋まであと五分』
どうしても今日は『あの電車』に乗らなければならなかった。
この電車に間に合わせる為に、わざわざ昼休みにスポーツ用品店へ出向き、二百グラムを切る最軽量のランニングシューズを買った。
それなのにいつもよりもペースが遅い気がした。
(何がこのシューズが最強ですよだっ。)
試着した靴に指が入るか確かめながら
ドヤ顔で解説したオヤジの顔を思い出して毒づいた。
出向で駅前の会社に勤めるようになったのが一か月前。
十四分発の電車に乗ろうと何度もトライした。
最初は全く間に合わなかった電車も今では走り去る後ろ姿が見えるようになった。
だが十四分発の壁はかなり高い。
自分では子供の頃から運動神経は良い方だと思っている。
だが全力で走り続けても、どうしても十五分かかった。
仕事の都合上、時間通りにしか終われない。
だから出発はどうしてもこの時間になった。
十五分以上走れば脳内にエンドルフィンが分泌されてランナーズハイにもなるのだと言う。
だが駅までの十五分間の全力疾走ではハイにはなれず、
ただ辛い絶頂に到達するだけだった。
コース自体は至って単純で決して難しい道のりではない。
頑張れば十四分を切れそうな夜の街並みだった。
会社を出てスタート地点に立つと、まずはアスファルト舗装された緩やかな登りの直線コース。
途中で信号と言う名の給水ポイントを挟んで、駅構内の人込みを避けての下り坂。
自動改札で素早くIDをタッチして競走馬並みのゲート開閉からのダッシュ。
その後、二つの階段坂を上り切るとゴールである。
勝利に大きく係わってくる箇所は二つ。
一つは信号機と言う名の給水ポイントである。
信号が青に変わる時間を示すメモリを遠目で確認しつつ、
・ペースを緩めるのか?
・あえてそこで給水を取るのか?
その日の体調に合わせて的確に判断する必要があった。
一定のスピードで走り続けた方が疲労が溜まらないのか?
スピードを調節してでも立ち止まらない事が大切なのかは永遠の課題である。
問題は最高潮の疲労で立ち塞がる最後のホームへと続く心臓破りの階段である。
階段の混み具合を遠目で確認しつつ最短のコース取りをしながら
・二段飛ばしで駆け上がるのか?
・あくまで一段で腕の振りを意識しつつペースを保つのか?
どちらにしても観客の居ない孤独なラストスパートが勝利への鍵だった。
そんな事を考えながら毎日挑むも大体が階段の中腹で電車発車の音楽が試合終了を告げていた。
あの音楽を聞くと何がが弾けたように全身の力が抜ける。
仕事でミスをしたり体調が悪かったりと気分が落ちている日など当たりどころが悪いともう全てがどうでもよくなってくる。
ゆっくりと歩いて次の電車に乗るという選択肢もある。
でもそれをすると次の電車が来るまで三十分以上も寒い駅で待たなければならなかった。
田舎の駅とはそんなものである。
何よりも自分に負けた気がして俺は意地になって毎日走り続けた。
もう走るのをやめたい自分と乗り越えたい自分。
そんな二人の自分がせめぎ合いながらも無心で走る。
しばらく挑戦を続けていると時々ギリギリで電車に乗れる時が出て来た。
そして初めて運よく電車に乗れたあの日。
栄光の勝利に酔いしれて疲労から居眠りを始めた俺が紛れ込んだ
『コンテナブルーの世界』。
それが『夜桜 結衣』との初めての出会いだった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
走りながら彼女と過ごした数日を思い出すと勇気が湧いて来る。
俺は疲れた体を振り絞ってさらにペースを上げた。
だが彼女との楽しかった日々も今日で最後。
明日からのダイヤ改正で、もう彼女には二度と会う事は出来ない。
だから告白するチャンスは今日が最後だった。
彼女がこれまでに言った不思議な『預言』
でもそんな事はどうでもよかった。
ただ『彼女と居ると楽しい』。
それだけが俺にとっての真実だった。
彼女との些細な無駄話だけが毎日の生活でぽっかりと空いた何かを埋めてくれた。
だから、もう会えなくなるのが堪らなく嫌だった。
横腹を押さえながら歯を食いしばり、彼女の笑顔を思い出しながら走り続けた。
ピッ ガシャッ
ようやく駅構内に差し掛かり自動改札にIDを叩きつける。
そして残された全ての力を振り絞り階段を駆け上がる。
ホームには目指す『青の電車』が停車していた。
(間に合った?)
あの電車に乗れさえすれば、あとは結衣さんへ告白するだけだった。
ピロロン プロロン
最後の階段を登り切る頃、発車を告げる音楽が鳴り響いた。
(急げっ、急げ、急げっ)
もつれる足に言い聞かせて、前のめりで電車へ駆け込む。
ピーッ プシュッ
「駆け込み乗車は大変危険です。
黄色い線の内側にお下がりください。」
そんなアナウンスと共に電車のドアが無情にも目の前で閉まった。
(おいっ、嘘だろ?)
なんだか涙が滲んできた。
「クソーっ」
俺は泣きながら大声で叫んだ。
「なんだ?」
「ヒソヒソ」
驚く周りの視線が一斉に集まる。
だがそんなコトなんてどうでもよかった。
あまりのショックに全身の力が抜けてその場にしゃがみ込んだ。
「あれっ、先輩?」
しばらくして背後から声が聞こえた。
涙顔で振り返ると、そこには大学時代の後輩『小桜 玲』が立っていた。
「ああー、やっぱり優先輩だ。
お久しぶりです。
えっ、何泣いてるんですか?」
「うるせーっ、
電車に乗り遅れたんだよ。」
「うわ~っ、
電車に乗り遅れたくらいで普通泣くかね。
なんかヒクわ~。」
「うるせーよっ」
俺は憮然とした表情でベンチに座りふくれっ面で顔をそむけた。
「何っ怒ってるんすか?
はい、先輩。
これ好きでしたよね?」
そう言って、玲がロイヤルミルクティーの缶を手渡して横に座った。
汗が引いて冷え切った体に缶の暖かさがじんわりと伝わって身に染みる。
「で?
泣いてる本当の理由は何なんですか?」
そう言って玲は、俺に体をぶつけて訊ねた。
学生時代からコイツは人の気持ちも考えない無神経な所がある。
玲と会うのは数年ぶりだろうか?
玲とは毎日一時間かけて大学へ通学していた頃によく帰りの電車が一緒になった。
学年自体は確か一つ下の後輩だったか。
初対面は帰りの電車の中。
ずかずかと勝手に隣に座って来て一方的に話し始めたのが始まりだった。
長い間話し続けた玲へ、お前誰だよって不審げに言った俺に
『先輩の退屈しのぎ相手ですっ』って笑いながら言って、また一人で話し続けた。
余りの無神経ぶりとボーイッシュな外見に思わず笑ってしまったのを覚えている。
それから時々、電車で見かけるとお互いに声をかけて話すようになった。
玲の服装は決まってジーパンにスニーカー。
ダブダブの黒のパーカーを手が隠れるまでいつも着ていた。
背は低く小顔、ショートカットに大きな瞳が少年を思わせた。
まあ、それだけの関係だった。
お互いに連絡先も知らなければ電車以外で会った事もない。
俺の事を先輩と呼ぶからには大学の後輩なんだろうが、なんせ広い校内、
電車以外では偶然でも見かけた事すらなかった。
でもまあ、毎日一時間暇を持て余していた俺にとっては退屈しのぎにはなった。
親戚の可愛い弟みたいな存在で、やがて互いに肩を組む位には親しくなっていた。
普段の自分のテリトリーとは違う人間。
しがらみもなく気軽に話せたのかもしれない。
大学を卒業してからは電車に乗る事もなくなり玲との関係も自然消滅して行った。
そんな玲が数年ぶりに目の前にいた。
よりによって、こんな泣き顔を見られるとは……
当時は兄貴づらして威張っていただけにバツが悪く気まずかった。
だから茶化すような玲の質問に俺はぶっきらぼうに答えた。
「言いたくない。」
「そんなコト言わないで何があったか教えてくださいよ。
どうせ次の電車しばらく来ないんですからっ」
そう言って玲は失恋直後の落ち込んでいる俺の心にズカズカと踏み込んでくる。
そんな行動にデジャヴにも似た不思議な感覚が蘇ってくる。
そうそうコイツはこんな奴だった。
いつも俺が落ち込んでいても構わずに缶紅茶を手渡して笑って愚痴を訊いていた。
そんなコトを思い出しながらミルクティーを一口飲み、改めて『玲』を観察する。
数年ぶりに会った玲は化粧のせいか以前より大人びて見えた。
服装は黒のワンピにピンクのカーディガン。
肌寒いとカーディガンを羽織っている割に……
『脚はちゃんと出している。』
そこに何か『女』のしたたかさのようなモノを感じた。
以前はつけていなかった口紅もアヒル口が強調されていてどこかセクシーだ。
(あれっ? コイツはこんなに女らしかったっけ?)
体でつつきながら見上げる顔がとても可愛く、顔が……かなり近かった。
あまりの変わり様に照れて思わず目線を外す俺へ玲が甘えた声で聞く。
「そんなコト言わないで何があったか教えてくださいよ。
前はいろんなネタを提供してくれたじゃないですか。」
そんなあっけらかんとした雰囲気に押されて思わず俺はポツリと話し始めた。
結衣さんとの不思議な『出会い』と『預言』について……
朝の通勤電車と違って夜の電車は運がよければ座れる事が多い。
だから帰りの電車で座れた時には大体がアラームをセットして眠る。
電車にはその路線によって車内外にコーポレートカラーが設定されていた。
十四分発の電車にはブルーが設定されている。
初めて運よく十四分発の電車に乗れたあの日。
俺は勝利に酔いしれた心地よさから意識がなくなる程に眠り込んだ。
電車に揺られ心地よい眠りを味わうのもつかの間。
突然の激痛が足に走り目が覚めた。
誰かに足を踏まれたのである。
座ったまま薄めで目を開けるとOL風の女性が申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
長い髪を後ろで束ねて大きなバックを肩から下げてつり革に揺られている。
ピンクのスカートに紫のニット。
先程足を直撃したパンプスが再び俺を狙って小刻みに動いている。
俺は足を襲った激痛を思い出してそっと自分の足を引くと再び瞳を閉じた。
しばらく電車に揺られた後、遠慮がちに何度も肩を叩かれた。
無視してそのまま寝ていると今度は耳元で繰り返し声がした。
「あっ、あのっ、
すみません。」
仕方がなく薄目を開けると先程の女性が申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
モジモジと髪をしきりにかき上げてまた頭を下げた。
俺は明らかに不機嫌な感じを全面に出して突き放すように訊ねる。
「なんですか?」
「先程は足を踏んでしまって、すみませんでした。」
「別に気にしてませんので。」
そう言って再び眠ろうとする俺の肩を慌てて何度も連打する。
「あっ、あのっ
すみません。」
「なんなんですか?」
そう言って面倒くさそうに目を開ける俺に彼女は更に顔を近づけて耳元で囁いた。
「あのっ、
この電車なんだか変なんです。」
その言葉はとても小さくまるで言ってはいけない事を伝えているみたいだった。
「何が?」
少し怒り気味に訊く俺の言葉になおも彼女は耳元で囁いた。
「あのっ、違っていたら御免なさい。
私には周りの人達が動いていないように見えるんですけど……
貴方にはどう見えますか?」
寝起きと言う事もあり俺には彼女が言っているコトがすぐには理解できなかった。
周りを指さす彼女につられて車内を見回す。
そこにはいつもと違うコンテナブルーの世界が広がっていた。
見ると乗客は皆、静止していて時間が止まったようだった。
そう言えば電車の走る音が全くしない。
いつもは騒がしい程に聞こえる無神経な周りの話し声さえも全くなかった。
明らかに異質な無音の中で俺達の声だけが妙に響き渡る。
「なんですか? コレ」
驚いて思わず俺が訊ねると彼女は安心したようにほっと胸をなでおろした。
「よかった~。
これが見えるのは私だけじゃないんですね?
私っ、自分の頭がおかしくなったのかと思って誰にも言えなかったです。
でも勇気を出して貴方に訊いてみてよかったわ。」
そう言って彼女は髪をかきあげて笑顔を見せた。
ピピピ ピピピ
訳が分からず混乱する俺のイアホンからアラームが鳴った。
その瞬間、車内がいつものブルーに戻った。
「次は~夢殿~っ、夢殿~っ、
お忘れ物に御注意下さい。」
車内アナウンスを合図に突然車内の時間が動き出した。
騒がしく鳴りだす周りの雑談やつり革の軋む音。
生活音が勢いよく流れ始めた。
状況に対応が出来ずに俺は思わず思考が止まっていた。
やがて電車が止まりドアが開く。
人込みに流されながら彼女が強制的に電車を降りて行く。
ホームへの降り際に思い出したように振り返り彼女は慌てて俺に声をかけた。
「あっ、私は結衣っ、夜桜 結衣です。
今日は足を踏んでしまってすみませんでした。
あっ、明日は傘を持って出た方がいいですっ。
それから……」
結衣と名乗った彼女はそのまま最後まで言えずにホームへ押し流されて行った。
その慌てぶりに苦笑いした俺は彼女のアドバイスを忘れてしまっていた。
『明日は傘を持って出た方がいいですっ。』
その言葉を思い出したのは翌日。
激しい雨に打たれてずぶ濡れで帰宅した時だった。
これが俺がこれから毎回聴く事になる『夜桜 結衣』の最初の『預言』だった。
そこまでを玲に話すと俺はミルクティーを一口飲んだ。
玲は不思議そうな顔で俺の話を聴いていた。
「不思議な話ですねっ。
それから、その女性とはまた会ったんですか?」
「いや、暫くは会えなかった。
あの十四分発の電車でないとダメらしい。
しかも起きたままだと何も起こらずに駅に着くんだ。」
「その電車に乗って、
しかも眠らないと『時が止まった世界』へ入れない?」
「ああっ、
理由は分からないが、そうなんだ。」
「で?
また会えた?」
「ああっ、会えた。
その後、何度か結衣さんに会う内に奇妙な事に気がついた。」
「奇妙な事?」
俺は『問題のチーズケーキ』について玲に話し始めた。
何度か試行錯誤をする内に『コンテナブルーの世界』への行く方法が解った。
十四分発の電車に乗る事は未だに毎日とはいかないけれど……
それでも数日に一度は結衣さんと会う事が出来た。
最初は二人でこの不思議な現象の解明にいろいろと電車内を調べて回った。
しかし素人の俺達では仕組み等、解る筈がなく直ぐに諦めた。
そして俺達はこの不思議な現象を受け入れた。
それから二人は時が止まった数分間を他愛のない話をして過ごすようになった。
世界の終わりはいつもこう。
俺のイヤホンからアラームが鳴り周りの時間が動き出す。
そして結衣さんは電車を降りる時に決まって振り向いてアドバイスをくれた。
それは『明日は傘を持って出た方がいい』だったり
『電車のチャージは朝の内にしておいた方がいい』等の些細な事だった。
だが彼女の預言は必ず的中した。
翌日の夜には雨が降った。
いつも使用するチャージの機械がメンテナンスで使えなくなった。
どうして未来の事が分かるのかを結衣さんに訊ねてみた。
でも彼女は髪をかき上げながら微笑むだけで教えてはくれなかった。
その不思議な預言の秘密が解ったきっかけは『チーズケーキ』だった。
好きなケーキの話になった時にチーズケーキが好きだと伝えると、
この駅の売店を紹介された。
そのチーズケーキはベイクドとレアチーズが二層になっている珍しい物で……
この駅でしか売っていない限定品との事だった。
翌日、十四分発の電車に乗り遅れた俺は話を思い出して売店に足を運んだ。
入口に目立つPOPと共に山積みされたケーキを見て俺は目を疑った。
『本日発売、限定チーズケーキ』
そのPOPにはそう書いてあったからだ。
思わず店員に俺は訊ねた。
「あのっ、
ベイクドとレアチーズが二層になっているチーズケーキは他にもありますか?」
「いいえ、
二層になっているケーキは大変珍しく、
こちらだけになっています。
本日からの限定発売で大変お勧めですよっ」
そう言ってレジに戻ろうとする店員へ俺は更に声をかけた。
「あっ、あのっ
今日からって昨日は売ってないんですか?」
「はいっ、
有名店とのコラボ企画でして……
本日のみの限定試験販売となっております。」
俺の質問に不思議そうな顔で答える店員からケーキを買い俺はホームへ戻った。
(どうゆう事だ?)
ホームのベンチでケーキを食べながら考える。
結衣さんから勧められた駅のチーズケーキはこれで間違いない。
だけど店員はこのケーキが販売されるのは本日限りだと言っていた。
(結衣さんは未来に生きている?)
そんな言葉が脳裏をよぎった。
勿論、雨にしたって事前に天気予報を見ていたのかもしれない。
チャージ機のメンテナンスにしても事前にメンテナンス予定を知って……いやっ、
あのチャージ機には緊急メンテナンスとの張り紙が張ってあったか?
思い出そうとするが記憶は曖昧だった。
このチーズケーキはどうだ?
結衣さんは有名ケーキ屋の関係者で事前にコラボ情報を知っていたとか……
いや、それは考えにくい。
チーズケーキが好物だと言い出したのは俺自身だ。
なにより結衣さんが嘘をついてまで勧める理由がない。
それに今日、電車に乗り遅れなければ売店へは行っていなかっただろう。
(結衣さんは未来に生きている。)
そう考えれば全ての預言の辻褄があった。
(今度、結衣さんに会った時に訊いてみよう。)
どうしても頭のモヤモヤが拭いきれずに俺はそう決心した。
また微笑んで誤魔化されても今度は必ず問い詰めるつもりだ。
そんな俺が電車のダイヤが改正されるのを知ったのは帰りの電車の中だった。
そこまで話すと玲が口を挟んだ。
「先輩はその人が違う時間に生きているって思っているんですか?」
「ああっ、
俺は未来にいる結衣さんと会っている。
それが俺が考えた仮説だ。」
「で……。
ホントのコト解ったんですか?」
「今日、解る筈だった。
そして明日からのダイヤ改正で会えなくなる前に
『また会えますか?』って言いたかった。」
「えっ?
そこは『俺と付き合って下さい』じゃあないんですか?」
「バカヤロウっ、
俺が『また会えますか?』って言う時は、
本当に相手に惚れた時だけだっ。」
「前から思ってたけど、先輩って面倒くさいですよね。
それじゃあ、女は分りませんよっ。」
「うるさいっ」
そう言って俺は顔を赤らめた。
だがそんな恋バナも終わったコトだった。
最後の電車に乗り遅れた今となっては、
預言の秘密を聞く事も
結衣さんへ告白する事も叶わなかった。
(夜桜 結衣だけに、桜散るってね)
そんな自虐的な事を考えながらため息をついた。
「男のくせに何をウジウジしょげてるんすか?
ほら次の電車来ましたよっ。」
玲に手を引っ張られて俺はのろのろと立ち上がった。
「あれっ、
お前は電車乗らないのか?」
ホームに立ち止まる玲を見て俺は訊ねた。
「ああっ、
アッシはアソコへ戻りますんで。」
そう言って玲は駅前の病院を指さした。
俺が電車に乗ると玲が言った。
「先輩っ、
今日は偶然、再会できて嬉しかったです。
夜桜 結衣のコトは忘れて元気だして下さい。
きっと、またイイコトありますよっ。
じゃあ、お元気で……」
そう言って玲はホームで手を振った。
「ああっ、
お前も元気でな」
そう言って席に座るとさっきの言葉が頭をよぎる。
『夜桜 結衣のコトは忘れて元気だして下さい。』
「……っ」
その言葉に急に体が熱くなるのを感じた。
電車発車の音楽が鳴る中、頭のモヤモヤが急速に晴れて行く。
その瞬間、思わず俺は席から飛び出した。
体が挟まるすれすれで電車からホームへ駆け降りる。
「駆け込み乗車は大変危険です。
駆け込み乗車は大変危険です。
黄色い線の内側にお下がりください。」
ピィー
責めるようなアナウンスの後、激しく笛の音が響いた。
アナウンスと共に電車のドアが後ろで閉まり電車が動き出す。
「あっぶなっ
先輩どうしたんすか?」
驚く玲に俺は息を切らして叫んだ。
「はっ、はっ……てぃる。」
「えっ、
なんすか?」
「どうして、結衣さんの苗字を知っている。
お前には『結衣』さんとは話しても『夜桜』さんとは
一度も言っていない筈だ。
だがお前はさっき『夜桜 結衣のコトは忘れて』と言った。
どうしてお前が結衣さんの苗字を知っているんだ?」
「そっ、それは……」
そう言って玲は黙り込んだ。
「おいっ、
玲っ」
(最後の最後でバレてしまった。)
やっとここまで上手く行っていたのに安心して最後にミスをしてしまった。
玲は自分のドジさに髪をかき上げながら思わず苦笑した。
そう、私は先輩に嘘をついていた。
初めて出会ったその日から……
子供の頃から体が弱かった私は病気を持っていて定期的に病院へ通っていた。
一時間電車に乗って行くその病院通いも慣れたとはいえ退屈な日々だった。
そんな私がある日先輩を偶然見つけた。
一目惚れだった。
それからは遠くから先輩を鑑賞するコトが私の密かな楽しみになった。
通院がない日はこっそりと遠くから盗撮した画像を眺めてはニヤニヤして過す。
今思えば他愛のない片思い。
それでもあの頃はこっそり画像を眺めては先輩との恋愛を妄想してときめいた。
先輩が誰かと付き合い始めたかもと思えば落ち込み。
別れたかもと思えば喜んだ。
嫌われるのが怖くて自分から告白もできない臆病者。
恋愛なんて私には縁のないおとぎ話。
ずっと意中の男性と関わるコトなんてないんだろうと思っていた。
そんな自分に嫌気がさしたある日、後輩のフリをして先輩へ話しかけた。
どうしてあんな大胆なコトが出来たのか自分でも信じられなかった。
あの時はとにかく沈黙が怖くて一方的に話し続けた。
もう夢中で何を話したのかさえ覚えていない。
きっと先輩にとってはどうでもいいコトを永遠と喋りまくっていたのだろう。
だから『やらかした』その日は酷く落ち込み泣き続けた。
それでも病院へ行く日はやって来る。
未練から同じ車両に乗るも恥ずかしくて遠くで俯いて立っていた。
そんな私に先輩が声をかけてくれた時には天にも昇る気持ちだった。
そこからは私の人生の中で至福の日々が続いた。
先輩が私を恋愛対象にしていない事は直ぐに気がついた。
でも先輩は私を弟のように可愛がってくれた。
だから私も空気を読んで服装をボーイッシュにした。
そして話し方も変えて『キャラ』を作った。
大学の後輩も『嘘』。
ボーイッシュなキャラも『嘘』。
何から何まで『嘘』だった。
でも先輩が笑いながら不意に私と肩を組んだ時、
私にとってその『ウソ』は『ホント』になった。
あまりの幸せな日々に私が嘘を忘れかけた瞬間。
『別れは突然やって来た。』
それから二度と先輩を電車で見かけるコトはなくなった。
たぶん先輩が大学を卒業したのだろう。
そんな日が来るコトは初めから分かっていた。
気軽に連絡先を訊けば教えてくれたかもしれない。
でも私は嫌われるのが怖くて自分から告白もできない臆病者。
恋愛なんて私には縁のない『おとぎ話』。
そんな勇気は持ち合わせていなかった。
会えなくなってからも、
(本当は私のコトが嫌いになって電車を変えただけかも……)
と妄想しては酷く落ち込み似た背中を探す日々が続いた。
あっと言う間に終わった、私の初恋。
でも先輩と弟として過ごした日々は本当だし
遠くからでも先輩かどうか分かる。
そんな特技が私の誇りだった。
だから『それでいいのっ』と自分に時間をかけて言い聞かせた。
やがて数年が経ち、私は持病が悪化して駅前の病院へ入院した。
私の病室からはちょうど下に駅が見えた。
その日は大型台風の影響で電車が全線運休になっていて駅は凄い人だかりだった。
暇を持て余して眺めていると見慣れた人影が駅へ向かって走っているのが見えた。
忘れもしないっ、先輩だった。
会いに行きたかった。
でも外出が禁止されている私は窓から先輩の姿を眺めるのが精一杯だった。
それでも遠目でも先輩に出会えた事はあの時に帰ったみたいでときめいた。
それから毎日、私は病室から先輩を鑑賞するのが密かな楽しみとなった。
駅へ走る先輩は社会人になっても素敵でいつも一生懸命だった。
そんな私の手術の予定が決まった頃から私は時々不思議な『夢』を観た。
あの時のように電車で先輩と楽しく話しをする『夢』。
今度は作った『弟』キャラではなくて、私の理想の『大人の女性』として。
私はそんな自分に『夜桜 結衣』と名付けた。
やがて受ける手術の不安から逃れたくて妄想が夢へと昇華したのかもしれない。
そんな妙にリアルな……
でも素敵な夢を観る内に二つのコトに気がついた。
一つは私の時間が一日先輩よりも早いコト。
もう一つは
『もしかしたら、本当に先輩と会っているかもしれない』という事だった。
ある日どうしても試したくてこっそりと病室を抜け出して見に行った事があった。
実際に見た『十四分発の電車』は夢と同じ色をしていた。
その日は限定のチーズケーキを駅の売店で買って帰り。
布団の中でこっそりと戦利品を貪りながら私の心はときめいた。
でもそれと同時にどうしようもない『別れの記憶』が繰り返し蘇った。
夢の中で少しでも助けになればと言ったアドバイス。
未来が分かる理由を言ってしまうと、もう会えなくなる気がして、
先輩に聞かれると頭が真っ白になって……何も言えずに必死に笑った。
私は嫌われるのが怖くて自分から告白もできない臆病者。
恋愛なんて私には縁のない『おとぎ話』。
会っている間もそんな言葉をもう一人の私が耳元で囁き私の心を乱していた。
きっとどんなに頑張っても私は意中の男性と関われるコトなんてないんだろう。
電車を降りる瞬間に消えていないかと心配になっていつも振り返った。
そして『黙っていれば、夢で会えるのだから』と自分の気持ちに嘘をつき続けた。
そんな続いた夢デートも今日でおしまい。
明日のダイヤ改正できっと夢でも先輩とは会えなくなるのだろう。
(また以前の私に戻るだけ……)
そう私は自分に言い聞かせた。
今度受ける手術にしたって決して難しい訳ではない。
きっと成功するだろう。
(でも、どんな手術も『絶対』と言うコトはない。)
以前も突然に先輩と会えなくなっても、なんとかやって来たのだから。
(このまま死んで、
もう一生先輩と会えないかもしれない。)
「最後にもう一度だけ直接会いたい。」
そう私は病室で呟いて独りで泣いた。
それから私は無理を言って、
一日だけの外出許可を貰い駅前のショップを廻って洋服を買った。
黒のワンピにピンクのカーディガン。
脚もちゃんと出して女らしさを強調してみた。
コスメカウンターでお勧めのメイクもお願いした。
あの頃にしたかった『ホントの私』で先輩を待ち伏せて偶然を装って声をかけた。
(先輩が号泣して叫んだのは予定外だったケド……)
計画通りに私なりの『最後のデート』を済ませて、
手術への『勇気』を貰った直後に私はやらかした。
不用意な私の一言で楽しい思い出が崩壊寸前だった。
きっとホントのコトが先輩にバレてキモイ女だと嫌われてしまうのだろう。
私は目の前が真っ暗になって何も先輩へ言えずにいた。
電車を飛び降りて驚く玲に俺は息を切らして叫んだ。
「はっ、はっ ……てぃる。」
「えっ、
なんすか?」
「どうして、結衣さんの苗字を知っている。
お前には『結衣』さんとは話しても『夜桜』さんとは
一度も言っていない筈だ。
だが、お前はさっき『夜桜 結衣のコトは忘れて』と言った。
どうしてお前が結衣さんの苗字を知っているんだ?」
「そっ、それは……」
そう言って玲は黙り込んだ。
「おいっ、
玲っ」
玲は俯いたまま黙ってしまった。
沈黙が続くと玲は何度も髪をかきあげた。
(その癖……)
それは結衣さんが時折見せる仕草にそっくりだった。
「もしかして、お前っ、
結衣さんなのか?」
「御免なさいっ、
先輩を騙すつもりは……ううんっ、違うっ」
そう言うと玲は髪をかきあげて頭を下げて叫んだ。
「ずっと先輩のコトを騙していました。
ホントは私は先輩の大学の後輩じゃなくてっ
先輩は私の初恋で……
ホントはボーイッシュとは程遠い弱気な泣き虫で……
結衣みたいに綺麗じゃなくてっ
今度、受ける手術が怖くて……
学生の頃も先輩が私を女として見ていないコト知ってたケド
最後にもう一度会いたくて……
……さようならっ」
そう一方的に言って顔を赤らめて走り去ろうとする玲の手首を、
思わず俺は掴んでいた。
「いやっ、放して」
「相変わらず突然だな、お前はっ、
俺にもたまには喋らせろよなっ。」
(私のコト興味ないって分かってるケド
その言葉だけは直接先輩から聞きたくないっ。)
玲は心の中でそう叫んで手を振り解こうともがいた。
俺は玲の両手を無理やり掴むと顔を近づけて言った。
「『また会えるか?』」
「えっ、
先輩、今何て……」
「だから『また会えますか?』って訊いたんだよっ」
その言葉を聞いた玲の頭に以前の会話が蘇る。
(バカヤロウっ、
俺が『また会えますか?』って訊く時は、
本当に相手に惚れた時だけだっ。)
言葉の意味に気がついた玲は思わず涙が溢れ出す。
涙を拭きながら照れて玲は言った。
「先輩って面倒くさいですね。
それじゃあ、女は分りませんよっ。」
「うるさいっ」
そう言って、俺は顔を赤らめた。
恥ずかしさで真面に顔を見られなくなった俺は
そのまま玲を抱きしめた。
「それでっ、
また会えるのか?
もう会えないのか?
どっちなんだよっ」
「おい、なんだっ」
「ヒュー」
「よくやるね」
ホーム中の人々の視線が集まり冷やかしの歓声も飛び交う中で
玲は抱きしめられながら先輩にだけ聞こえる声で囁いた。
「コクるの遅いよっ
ずっと、待ってたんだから。
先輩じゃなくて、優って呼んでいいのなら
また会ってあげてもいいですよっ。」
「コイツっ」
そう言って二人は顔をお互いぶつけて笑い合った。
いつだって……『一途な恋』は『魔法』なのである。
もし、言葉で心が軽くなったら…… サポートをお願い致します。