見出し画像

閉鎖病棟 1.5ヶ月目

ECU(救命救急治療室)から車椅子に乗って病院の奥にある、誰の目にもつかないような場所に移動させられる、これから閉鎖病棟に行くのだと。
ECUから閉鎖病院に移動させられる時に 他の面会に来た家族の方や患者さんが居る通り道を通って移動する時、その人達の自由さが羨ましくって。見たくないからずっと下を向いていました。

そして閉鎖病棟に着いて部屋を紹介されます。重い金属の扉を開けたら、ベッドと机しかない薄暗い狭い部屋、床にはカビが生えていて壁は謎の傷 金属のただの丸い筒のようなトイレだけがボンと部屋の角にあって、監視カメラがずっと付いていて。
まさに独房だなと考えていました。

テレビもラジオも本もありません。その無の空間で眠る時が1番つらくて。薬も効かず、真っ暗で、空調機の音だけが轟々と鳴っている 空気もどんよりしていて、目を閉じたら此処に居た患者さんは何を思って何をしていたのかを想像して、苦しくなって泣く毎日です

そんな部屋に耐えれず、日中はずっと共用ルームで過ごしていました。けれど最初の頃は携帯が無く。備え付けの本棚から本を抜き出して、永遠と読む、そんな生活を繰り返していました。
それを見かねて、後に普通の(?)テレビがある部屋に移動でき今に至ります。ただ、日中何か面白いテレビがあってるわけでも無い、17時からはスマホも使えない、21時半の消灯からはテレビもつけられない、結果ずっと読書をしていて、特にすることが変わったわけでは無いのですが。

特に筆記するような出来事もなく中身のない日付稼ぎの毎日を送って1ヶ月経った頃、ある患者さんが話しかけてくれました。
40代の、女性の患者さんです。
1ヶ月看護師の方としか話さず、顔見知りの患者さんも居ない私は当初かなり喜んで、なんとか期待に応えようと話をしていました。だけれど、失礼ながら相手も私も会話が下手で。聞かれたことに対して答えるだけで話が全く続かず。でもそんな歪な会話でも話し相手ができただけで当時の私は嬉しかった、のです。
だけれど、3日ほど経った頃、私が何をしていても、必ず話しかけて、時にはパズルをしましょうと誘っていただいたり、有り難いなと思いつつ作業をしている手を相手によって急に止められ思い通りに過ごせない、会話が弾まないこともストレスでその人と顔を合わせる(=何か話しかけられる、話しかけてくださる)事すら苦痛になってしまいました。
勿論相手に悪意が無いことは分かっていて、だからこそ自分も相手も嫌になってしまって、距離感が合わないのってこの狭い世界ではしんどいよなあ...と沸々と考えていました。

ですがそんな環境の中、特別特異な行動をしていなかったので退院の目処が見えてきました。
その為には外泊をしなければならないのですが、外泊の時、希死念慮がまた湧き出てしまって。
今回の自殺未遂に使った毒物は救急隊によって回収されていましたが、首吊り縄だけは家に残されていて。それを見つけてしまって気持ちが揺れる揺れる、自殺を試みたときに迷惑と心配をかけてしまった人達のことを思い出して裏切らないようにまた同じ過ちを繰り返せないなと首吊り縄はその時捨てましたが。入院って死などに対して考え方は変わらないけれど、強制的に死ねない環境を作る為にはかなり良いかもなぁと思うのでした。

外泊で希死念慮を強く感じた事、看護師には全く話さず一刻も早く退院したいと思いながら過ごしているのですが、果たしていつこの生活は終わるのでしょうか、そして退院したら私はどうなるのでしょうか、乞うご期待です。

此処まで読んでいただきありがとうございます。皆様が穏やかに過ごせますように。

いいなと思ったら応援しよう!