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自殺失敗、備忘録①

2024/7/20夜、服毒での自殺を試みました。
致死量は100ml、飲んだ量は250ml程。
喉が爛れて思うように量が飲めなかったです。

同時に人間関係が崩れ、計画的に日程を決めた自殺未遂でもあったので、それが理由で死んだ人だと思われたくない!と謎のプライドが発動、死ぬんだけれど別にどうこう...みたいな事を支離滅裂に言っていると救急車を呼ばれました。
相手の方にはかなり申し訳ないと思っておりますが救命されたことに関しては後悔もよろこばしい事とも思っていません。思えていません。

しばらくして手配された救急車に乗り病院に運ばれます。救急隊の方が家に来たところまでは記憶にありますがそれ以降は救急車の中で「このままだと死ぬから!」と怒鳴られた事しか記憶がありません。

起きたら病院でした。ICU(集中治療室)です。管が体に6本ほど繋がれています。その管を引き抜かないように腕を拘束もされていました。
その時の医者の方との筆談です(毒液が回っていて口に太い管が刺さっていて喋れなかった)

2024/7/20-21

ここまで来てまだ死にたいという気持ちがある事に我ながら呆れます。

あまりICUでの記憶はありませんが1日程経つと口に通っていた太い管を取り除く作業になりました。朦朧としていてもかなり苦しくて悍ましい音が鳴っていて今思い返すとよく耐えれたと感じます。

そこからECU(救命緊急病棟)に運ばれます。
ここもまだ記憶が曖昧。管は4本くらいになっていたと思います。ECUに運ばれて2日程経ったらやっと意識が戻ってきました。
自殺を図って4日目、24日から日記を始めました。

2024/7/24 ①
2024/7/24 ②
2024/7/24 ③
2024/7/24 ④

この頃は全くご飯が食べれず体温も39度。
体温調節が全く出来ずずっと寒いと思っていました。退院の目処も全く提示してもらえず先の見えない不安に潰されるような生活をしていました。
スマホ使用NG、文章を書くか現実を見ない為に寝ているか、どちらかしかしていなかったです。ECUにいる間はずっとそうです。

排泄も最初はカテーテルで行っていたのですが2日ほどで解除、その後トイレに自分の足で行きますが点滴が大量に繋がっているのもあって毎回看護師の方を呼ばなければならず トイレすら1人でいけないのかと惨めな気持ちになっていました。

そして隣に急性アルコール中毒の患者さんが来ます。娘や孫の方が沢山面会に来た後 次の日には退院されました。
私は面会に誰1人来ないし退院も目処が立たないと言われているし何がそんなに違うんだ?(今思うと明確な差はあるのですが)と大分メンタルに来る出来事の1つだったと思います。

2024/7/25 ①
2024/7/25 ②
2024/7/26 ①

25-26日の日記です。
限界の人、字が汚すぎて読めたものじゃないです。

ECUでは個室とか大部屋とかいう概念が無くてオープンフロアでした。
自分と横の人の心電図の音が本当にうるさくて、それに腹が立って心の中で発狂していたら心電図も同時に警告音出たりしてそこの比例が面白かったです。偶然なのか?よく分からないですが。
そして目の前の廊下を病人が運ばれて行ったり、それをみて心が苦しくなったり なんだか落ち着かない病棟だったと思います。

そして27日から閉鎖病棟へと移りました。
今も入院中。日記は毎日書いておりますので退院次第(3ヶ月程)纏めれればいいなと思っています。

こんな環境に立っても死にたいと思ってしまう気持ちは消えなくて、どんな経験をしても消えないし消せないのだろうと思います。
だからまた実行をしない為に、少しでもこの気持ちを薄めれるように、そんな気持ちになった時の有効な対処を学んで共存していくしかないと考えました。入院で主治医に相談しながら学んで退院したいものです。

生きていてよかったと思うけれど死にたかったとも思います。皆様に迷惑をかけながら生きていて皆様に助けられて、それなのにまだ死にたいと思ってしまう自分にかなり嫌気が刺します。

全ては自業自得です。

皆様、死ぬなとは言いませんのでもし実行するのであれば中途半端に行わず完遂をすること。
実行をしようと思ってしまうほど追い詰められる状況にならない事が1番ではありますがもっと地獄に立たされることもありますので慎重に。

皆様が穏やかに過ごせますよう祈っております。

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