
むかしむかし、病気になった〜⑬術後にまつわるエトセトラ
体中に繋がれた管で、外れて最も嬉しかったのは、やはり尿道カテーテル。
無意識下で、一体どうやって入れたんだと想像恥ずかしがりをしつつも、意識のある状態で抜かれるのも、なかなかに恥ずかしい経験。
……のはずだが、痛みと気持ち悪さで虚無にあった当時の私には、一切の抵抗感を覚えず、されるがままだった。
そういえば、ふんどしみたいなT字帯を付けることも、購入時はあんなに恥ずかしかったのに、付けられているのを見ても何とも思わない。
「縫う」という言葉が想像以上にしっくりくる腹の縫い目と、勝手に剃られたVゾーンもお目見えして、少しばかり目を見開いたが、痛みと気持ち悪さはどんな感情にも勝る。
看護師さんに言われるがまま、されるがまま。
ただ痛重い体を懸命に動かすのみ。
尿道カテーテルといえば(全然この話から脱さない)、案外深くまで入っていたことが驚きだった。
術後すぐの夜中、看護師さんに「尿量が少ないね〜。点滴増やそうね〜」と言われたことを思い出す。
「え、おしっこしてる自覚すらないし、どうやって出したらいいか分かんないんですけど。お手間取らせてなんかすみません」と、朦朧としながらも申し訳なさを感じていたのだ(本当は「」内の全文を言いたかったのだが、痛すぎて「……ぁい」しか発声してない)。
ズルズルと出される尿道カテーテルに、これは自分の意志でどうこうできるやつじゃないなとなった。
尿量が少ないのは、私が悪いわけじゃなかったのだ(私の体の所業ではあるが)。
平時であれば「意外と深く入ってるんすね」とか、どうでもいい感想を軽く漏らせるものだが、そんなこと一切言う気にならない。
なぜって、痛みと気持ち悪さが上回ってるから!
日頃からリアクションは大きくはないが、この時ほど、感情が薄くなった経験はこれまでしたことがない。
術後1日目の夜。
気持ち悪さは収まってきていたが、ただひたすらに腹が痛かった。
ナースコールをすれば、座薬を入れてくれるとのことで、自ら招いた尻丸出し再び。
いや、飲み薬もらうつもりで、軽く呼んだんやけどな……。
そして、入れられた座薬が戻り出ないように、括約筋を締め続けるのが、なかなか痛い。
術前に経験した浣腸の我慢の痛みとニアリーイコールである。
術前、経験者から受けた「夜、痛かったら看護師さん呼べば、薬もらえるよ、睡眠薬とか」などという(雑な)アドバイスを鵜呑みにし、安易に実行したせいで、余計に寝れなくなってしまった阿呆はここに。
「痛くて眠れません」と言ったからといって、睡眠薬がもらえるとは限らない。
何をしてほしいかはっきり言うか、それができない小心者は一人で耐えた方がマシだと学習した。
もちろん私は、もう痛いからといってナースコールをするのはやめようと固く決意した。
ナースコールができなくなった理由はもうひとつある。
それは、間違いナースコールをしてしまったこと。
ナースコールのボタン、ベッドの上に簡単に置かれすぎなのである。
そりゃ、すぐ押せないと意味がないんだけども。
いつかやっちまうかもとは思っていたが、ベッドの角度を変えていた時に、うっかり体で押してしまった。
「どうされました?」
用もないのに押したのが申し訳なさすぎて、腹が痛いとか言っとこうかとは思ったが(ずっと痛みがあるから嘘ではない)また座薬を入れられても敵わないので正直に謝る。
「すみません、間違えました」
もう用があっても押せないや。
こんな間違いナースコールするような奴は、本当に助けが必要な時に助けてもらえないんだ。
2日目の体調確認の際。
「痛みはどんな感じ?」と聞かれた私。
「この切った表面も痛いんですけど、なんかその中の方まで痛い感じがするんです」
至って真剣に答える私に、看護師さんは真面目な顔で淡々と言う。
「そりゃ、中の方まで切ってるからね」
その言葉に、私は納得を通り越し、目が開けた。
「そういうことか!」と、驚きと感動を覚える。
阿呆である。
目に見えているあからさまな傷しか見えていない、ただの阿呆である。
自分がどんな手術をしたのか知らず、ただ腹を10cm切って縫い合わせたのだと解釈している阿呆である。
本当に、ジャンル問わずいろんなことで、ただ自分が見えていないだけの所を、ないものにしてちゃダメだなと思った。
経過も順調だった術後3日目。
ついにシャワーが解禁された。
シャンプーを付けても付けても泡が消えていく。
私は学んだ。
毎日お風呂に入るのは必要なことだということを(汗をかいたら特に)。