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かぐや姫は地球に行きたい 2-16

 縁側に立ち、空を見上げる姫の美しい髪が夜風に流れる。
 夜とはいえ、随分と明るい今夜は満月。とうとう、月から迎えが来る夜だった。

 物憂げな目をしていた姫だったが、庭から聞こえてくる喧騒には、眉をひそめずにはいられない。別れを告げて以降、おじいさんがご近所中に「嫌じゃ嫌じゃ」と、言いふらして泣きわめいたせいで、かぐや姫を帰してなるものかと、一時の求婚ブームほどの人が庭に集まっていた。ついにはそれが帝にまで伝わり、「嫌じゃ嫌じゃ」と、兵たちまでもが遣わされている。

 それらの人が、整然と姫を守るように庭を取り囲んでいるならまだ分かる。それがなぜかいつの間にか、酒を飲み、おばあさんの作ったツマミを喰らい、大声で語らい、どんちゃん騒ぎをしているのが、姫には解せなかった。地球の人間がいくら集まったとて、月からの迎えに抵抗などできないのだから、別に構わないと言えば構わないのだが……解せなかった。

「ちょっと、あなたも手伝いなさい」

 慌ただしく働くおばあさんにそう言われたら、従わざるを得ない姫。いよいよ出立だというのに、とことん湿っぽさのないこの空気に、やはり釈然としない姫である。

「姫様、帝からのお返事にございます」

 大皿を持って庭先に降りた姫の元に、使い走りに出ていた元宮廷画家の男が近づく。月のインフレ打開に協力してくれないかと、帝と交渉を進めていたのだが、ギリギリで最終的な返事をくれたようだ。

「どうだった?」

 姫が手紙を受け取りながらも概要を尋ねれば、使い走りは帝の声色を真似て答える。

「無理なもんは無理。だが、そちが嫁入りしてくれるならできぬこともない。と」
「じゃあできるんじゃない。ちょっともう1回言ってきてよ」

 姫は呆れ返りながら、ピシリと都の方角を指し再度の使い走りを命じるが、男は全力で首を横に振る。

「いや、元があまりに無理な頼みではありますし、それにそろそろ刻限が――」

 最早ただの使い走りになった元宮廷画家が、そう姫を宥めたその時、辺りは突然眩い光に包まれた。

「来たわね」

 皆が目を眩ませ倒れ込む中、光の中に自分が乗るであろう籠を見た姫は、「ウゲッ」と言葉にならない声を出す。

「今、すんごい帰りたくなくなってきた」
「姫様。月からの命により、これより一切の服薬は禁じらています」

 姫の呟きに、姫と同じく、光の中をしっかりと見据えられている元月の男は、早々に釘を刺す。

「いや、睡眠薬なしで、あれにどう乗れと言うの?」

 刺された釘を釘と思わない姫が、懐を探ろうと手を動かしたその時。その腕がグイッと強く掴まれた。

「ダメですよ」

 背後からそう声が聞こえた時にはもう、姫の手は後ろに回され、完全に拘束されていた。

「この光の中で動けるとは、さすが母上」

 姫が首を回して後ろを伺えば、おばあさんが目を閉じながらも姫の両手を片手で掴んでいた。おばあさんはもう片方の手で優しく姫の体を抱き寄せ、姫の耳元にそっと顔を近づける。

「あなたが大人しく罰を受けたなら、私たちも例の提案を飲みましょう」

 おばあさんの小さな声は、そばにいた元月の男には聞こえなかったが、それを聞いた姫の顔色が大きく変わるのは分かった。驚きと困惑、それでも喜びや清々しさすら表れた笑みを浮かべている。

「……約束ですよ」

 姫がそう言うと、おばあさんは速やかに姫から離れた。もう薬を飲もうとはしない姫の様子に、薄々その内容を察した男だったが、月の迎えが地上に降り立った今、それを聞きとがめることはしない。

「はい、これよろしく」

 いつの間にかさくっと帝への返事を書いていた姫は、使い走りの宮廷画家にそれを託す。
 姫とこの元月の男は普通に動くことができるが、今や、地球の人間たちは皆、眠ったように体が重く身動きがとれなくなっていたし、一部の酒の飲みすぎた男たちは本当に眠っていた。
 月の従者たちがテキパキと、姫を取り囲み、懐と袖と髪の中に何も仕込まれていないか入念に調査し、身支度を整えていく。

「これはいらん」

 姫はふいに、従者の1人から肩にかけられそうになった羽衣を、素早く手で巻きとる。何事かをわめく月の従者を「地球の負荷で筋トレした私をなめないでくれる?」と、軽くかわした姫は、その羽衣を空中へぶん投げる。
 羽衣は、月の従者に「報告書の日本語仮名バージョンです」と、渡していた使い走り画家の元へ飛んでいき、その手の書類を空へ巻き散らかす。その時、急に、山から降りてきた風が辺り一面に強く吹くものだから、地球での姫の動向を体裁よくまとめた紙の束は、羽衣と共に空高くへ飛んでいってしまった。

「あーあ。ま、後でデータ送ります」

 そんな風に軽く流した男が、突如日本各地で自然発生的に成立した「竹取物語」に、顔をひきつらせるのは数年後のこと。
 身支度を終え、従者に促された姫は、倒れ込む人の中、動けず横たわっているおじいさんとおばあさんを見極めて一礼すると、覚悟を決めて籠に乗り込む。

「リル……」

 おばあさんが小さく呼び止めるも虚しく、あっという間に籠は月の従者に担がれて宙へと浮き上がった。

「リル!」

 小さくなっていく籠に、必死で身を起こし叫ぶおばあさん。おばあさんの体を支える、これからも地球で暮らしていく元宮廷画家。

「……うっわああもうまじ最悪ほんと籠嫌ぁぁ約束ですからね母上ぇ! 父上ぇ! 約束ぅぅぅぅ!」

 地上のいる者たちの耳に、姫の叫び声がドップラー効果を起こしながら降ってくる。
 笑い声を一つ吹き出したおばあさんは、指で目元を拭うと、意を決したように立ち上がった。

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