かぐや姫は地球に行きたい 1-14
「どうかお止め下さい、姫様」
両手を広げて立ち塞がっているのは、案の定、姫の婚約者である若君だった。姫がいないことに気づいて慌てて来たせいか、肩で大きく息をしている。
「どこの誰だか知らないけど、邪魔で邪魔で仕方がないわね」
「姫様、若君様です。姫様の婚約者の」
ロダが数歩駆け寄り、耳打ちすれば、姫は途端に驚きと不快の混じった表情になった。
「婚約……って私、結婚するの? ってまあ、今はそんなことどうでもいいか」
姫は左腕をロダに回して、ロダの口元を塞ぐと、右の手のひらを広げて、若君に向かって息を吹きかける。数秒もかからず、若君はその場に崩れ落ちた。
「若君様っ!? 姫様、何を」
「痺れ薬のお味は気に入ってもらえたかな? ……って、1回やってみたかったのよー!」
ロダの心配をよそに、キャーキャーと楽しげな姫は、若君を抱えに行く。
「ひ、ひめしゃま……ど、どうか」
「はいはい、ごめんなさいね。暴れる人を抱え上げられるくらいの力があれば、こんな目には遭わせないのよ? ロダ、扉開けて」
痺れて動けない若君を、姫は自室のソファーへと、お姫様抱っこの要領で運んでいく。その姿にロダは、動けない人を抱え上げられるだけで十分だと姫に伝えるべきか、あまりに雑に扱われる若君の心身を心配をするべきか、突如出てきた痺れ薬について聞くべきか、いろいろ悩んだ挙句、結局何も言えなかった。
「じゃ、今度こそ、行ってくる。痺れ薬の経過が心配なことがあるから、見てあげてて」
あまりにも不穏な言葉を言い残し、心配なことが起きた時の対処法も教えないまま、姫は禁じられた薬を盗むために去っていった。
「ただいま〜」
ほどなくして、自室へと戻った姫。若君の痺れ薬の効果もまだ切れていないうちだった。自分の部屋のソファーに横たわる男と、その横に立つロダを不思議そうな顔で見ていた姫だったが、眉間に皺を寄せて数秒考え込んだ後、ポンっと手筒を打つ。その動作と同時に、姫の袖の辺りから、カラカランとビンらしき軽やかな音がした。
「私、奥の研究室で調べてるから、もう少しその人、寝かしといて」
シルクハットやマントを取りながらのその言葉に、姫がちゃんと若君の存在を思い出せていて歓喜するロダ。しかし同時に、姫が本当に、町の薬局から不老不死の薬を(何のトラブルも不測の事態も起きず、誰の抵抗も受けずあっさりと)盗み出したという事実に、身震いもした。
本当に、今この部屋には、王族は禁忌とされる薬がある。使用の有無ではない。所持だけでアウトだ。というか盗んできた時点でアウトだ。
せめて、姫の分析が終わるまでは誰にも邪魔させまいと、懸命に起き上がろうとするものの痺れて起き上がれずにいる若君に、ロダは手を貸さないでいる。
「……姫様、あの薬に手を出したんですよね。どうして、あなたは止めないんですか?」
口の筋肉がだいぶ動くようになってきたのか、若君は横たわったまま、ロダを見て言う。
「お止めして止まる方ではないことは、若君様もご存知のはずです」
「それでも、今回は止めるべきだった。姫様のために」
「もちろん、姫様の幸せが第一です。ですが、姫様より知恵のない私が、姫様にとっての最善を決められるわけありませんので」
「……それを言うなら、僕なんか。……じゃあ、僕だって飲む」
そう小さく呟いた若君は、顔をしかめながら懸命に身を起こした。そして、這いずるような姿勢で、それでも走るような速さで、姫のいる研究室へと向かい出す。若君の発言に「ん?」となっていたロダは、四足歩行動物のように走り去る若君を留めるタイミングを逃した。
すっかり普段着に戻った姫が向かう大きな実験机には、試験管や保温機、ビーカーや攪拌機、さらには怪しげな薬品瓶などが多数並んでいる。その中に無造作にシャーレに入れられた、茶色い丸薬。これが不老不死の薬かと、若君は来た勢いのまま手に取った。
「あ、あなたそれは」
姫の制止も聞き入れず口に含む若君。丸薬が喉の奥に転がり落ちた途端、体が固まり、その場に倒れ込んだ。
「……痺れ薬なんだけど。あなた、何してるの? っていうか誰?」
若君の後を追ったロダは、一瞬で起きたとんでもないことに目をむいた。恐らく、姫が不老不死の薬を飲むために盗んできたと勘違いした若君は、どういうわけか、だったら自分もと薬を飲もうとした。しかし、それは補充のために用意された痺れ薬で、良かったのか悪かったのか、若君は再び倒れ込む羽目になったのである。
「わ、わたじは……だだ……ひめしゃまといっしょに……いだいんれす」
薬のせいか、心情吐露なのか、涙と鼻水でぐじょぐじょになった若君が横たわったまま、そう声を出す。
「何言ってるか、さっぱりね。ほら、これ飲んで、解毒薬。人間にはまだ試したことない代物だけど」
姫は作業の手を止めて若君の元に跪くと、その口にカプセルを投げ込み、試験管らしきものに入った水で流し込んだ。その様子にロダは「解毒薬というよりは、本家本元の毒薬飲まされてそう」と思いつつ、もしやもしかして、これはこれでいい雰囲気なのかもしれないと気配を消すことにする。
「……くわぁっ」
若君は1つ呻くと、ゆっくりと上体を起こした。ぐじょぐじょになった顔を、慌てて袖で拭い、頭を下げる。
「大変申し訳ありませんでした」
「ほんとよ。急に現れて、奪うように痺れ薬を丸のまま飲んで。これは流石に、理由を聞かせてもらおうかしら」
自分の興味以外には一切干渉せず、関心も持たない姫が、珍しく他人に興味を持ったことに、それも若君に対して興味を持ったことに、壁に張り付き空気と化したロダは、猛烈に感動していた。