かぐや姫は地球に行きたい 3-10
若君は控え室で待機していた。
伝統的な儀式を経て、無事に姫と司法上認められた夫婦となり、あとは民衆へのお披露目を兼ねたパレードを行う。今はそれに向けて、王や高官が長い演説をしている最中である。月の伝統的な衣装で婚姻の儀を終えた姫は、「お色直ししてきます」と、文字通り前代未聞の言葉を言い残し、地球から連れてきたおばあさんを伴い、小部屋に入っていってしまった。よって、若君は今、待機しているわけだが、なぜかその場に月男もいるのが、若君には理解できなかった。
「姫様に呼びつけられまして」
当の本人も不思議そうに首を傾げている。何度目かの沈黙が降り、何度目かの月男の「いやぁ〜。誠におめでとうございます」が響いた後、ようやく部屋の扉が開け放たれた。
「お待たせ」
そこに立つ「お色直し」をした姫は、月では見たことのない純白のドレスに、不自然なほどピンク色になった長い髪を垂らしていた。
「ひ、姫様。その奇抜な成りは一体」
腰を抜かすほど驚く若君の横、月男は地球での姫とおばあさんのひそひそ話を思い出して「ああ」と、納得の声を出す。
「ウェディングドレスとヘアカラースプレー。それを手に入れたかったんですね」
「そう。難癖つけられても困るから、さすがに儀式では着れなかったんだけど、パレードなら問題ないでしょ? 新し物好きな民衆にウケそうだし。ジルはこれ、どう思う?」
月男に答えていた姫は、驚き顔のまま姫を見続けている若君の反応を伺う。
「すごく……好きです。あの、格好がというより、今の姫様が。いえ、もちろんどんなお召し物の姫様も好きなのですが、なんというか、面食らうほど姫様の美しさが際立っていて好きです!」
「そう、分かったわ」
どんどん熱量の上がる若君を、姫は手で制する。あっさりとした姫の反応に、若君は途端に恥ずかしくなった。
「あ、すみませんでした。利用できるかっていう話ですよね。この服を民衆に見せることで、新しい商売や文化などの益を生み出せるかと。ええ、十分に効果があると思います」
もともと婚約だって経済効果を狙って行ったのだ。結婚による経済効果を狙わない姫じゃない。見慣れぬ姫の姿に舞い上がってしまったことを反省する若君に、姫は小さく首を振る。
「違う。いや、まあ、もちろんその狙いもあるけど。これは、あなたに見てもらいたくて、褒められたくて着てるの。予想以上の反応に照れただけ」
頬を赤く染めてそっぽを向いて話す姫に、勢い余って「好き」と連呼したことを自覚した若君も赤くなる。温度の高い新婚の風に当てられた月男は、そっと部屋を後にしようと1歩踏み出したところ、姫に「あっ」と、気づかれる。
「そう、あなたよ。何してるの。早く絵を描いて」
「え?」
「ほら、パレードしたら、お祝い好きの人たちだもの、いろんなもの投げつけられて、あっという間に汚れちゃうでしょ? だから、綺麗な姿を残しておきたいの」
そう説明しながら姫が部屋の隅から取り出してきたのは、いつの日か麻酔銃を撃たれ強制終了したキャンバスと画材。
「……私でよろしいのですか?」
「もちろん。宮廷専属の画家でしょ? あ、でも急ぎ目にね」
久しぶりに手にした筆が、月男から宮廷画家へと自分を変えていくのが分かった。モデルの姫はもう本を読んではいない。自然に若君と寄り添うように向かい合っている。ずっと描きたかった光景に、込み上げる感情を必死に抑えながら、画家は色を重ねていく。
一方、若君は若君で、本を読んでいない姫と並んでモデルになるという初めての経験に緊張していた。強ばる若君に少し吹き出した姫は、ポーズはそのままで若君に尋ねる。
「さて、ジル。地球はどうだった?」
「え?」
「感想よ。楽しかった?」
「楽しかった……と言えば楽しかったですけど……どうでしょう」
考えながら答える若君は、何か嫌なものを思い出したように眉をひそめる。
「自然に恵まれ、便利で、快適で。興味深いものも多くありました。でも……。苦しみの地と形容される所以は、あの日見たわずかなテレビの内容で、よく分かって――」
「ごめんなさいね。アニメでもやってれば良かったんだけど、ニュース見せたからね」
「どうして地球はあんなに、楽しいことと辛いことの差が激しいんでしょうか。被る災厄にたくさん傷ついているのに、その上、人同士で傷つけ合うのはどうしてなんでしょう」
険しい顔の若君に、姫は苦笑しながら、その眉間のシワを伸ばすかのように1度そっと触れる。
「どうしてかしらね。ただそういう性なのかもしれないし、何か元凶があるのかもしれない」
「どうにも星のスペックと住人の暮らしが見合っていないように感じます。でも姫様は、あの星がお好きなんですよね?」
まるで嫉妬しているかのように不満そうな声色の若君に、姫は軽やかな笑い声をあげた。
「単にあなたを面白がらせるネタには尽きない星ってだけよ。それに、私が人格者になったのは地球のおかげよ?」
「人格者になった自覚、あったんですね」
「あなたを忘れなくなったのも、あなたへの愛が深くなったのも、結婚できたのも、こんなに綺麗な私が見れたのも、地球のおかげ――だったら、どうする?」
ニヤニヤしながら顔を伺ってくる姫に、若君は正直に答える他ない。
「その点に関しては、感謝してもしきれません」
「でしょ。そんな感じでいいのよ。利用できるとこは利用する。学べるとこは学ぶ。理解できないところは放っておけばいいわ。たかが隣の星じゃない。そんなことより、私たちには大事なものがあるでしょう?」
姫は遠くに聞こえる歓声の方に真剣な目を向けた。今、大勢の民衆が姫と若君の結婚を祝うために、宮廷近くに集まっている。
「……この月の人たち」
若君も視線を共にして呟けば、姫も頷く。それから、至って真面目な口調で付け足す。
「まずは月を幸せに治めないと。地球征服はそれからよ」
「えっ、地球も治めたいんですか?」
驚いた若君が思わず姫を見れば、姫は破顔し、声を出して笑う。
「冗談よ。あなたには荷が重すぎるでしょ」
「えぇ、私の問題ですか」
2人の王位継承者が決意と覚悟を強める頃、画家のキャンバスには、仲睦まじく微笑みあう新婚夫婦の姿が現れる。従者に呼ばれた2人は、手を取り合い、大勢の祝福の声の元へ駆けていく。2人の姿に、一段と大きな歓声を上げた人々は、口々にこう言った。
「めでたし、めでたし」
完