かぐや姫は地球に行きたい 3-8
数日して若君が地球の重力に慣れてくると、姫はおじいさん、おばあさんと一緒に、若君と毎日のように遊び歩くようになった(連れていくのは免許持ちの月男である)。山奥のため、最寄りのお出かけと言えば、ドラッグストア一択だったが、地球のありとあらゆる薬が手に入るそこは、姫にとっては一大観光地。壁一面に並んだ薬を目を輝かせ、ヨダレを垂らして眺める美形の女性はすっかり店員に顔を覚えられ、毎度遠巻きにガン見されている。
皆でテーマパークや水族館に行ったり、ゲーセンで金を溶かしたり、ファストフードを食べに行ったり、高い塔に登って景色を眺めたりもした。金ならあるおじいさんに甘やかされ、まさしく爆買い観光客の如く、地球の品々を買い込む姫に、おじいさんとおばあさんの家は、あっという間に物で埋まった。
お金になりそうな物を年代別に整理し、綺麗に保存していた場所に、ぬいぐるみや服や薬や本が今日も今日とて散乱しているのを見たおばあさんはため息をつく。そして、突然の集中豪雨に「雨だ、水だ!」と、庭ではしゃぎ回っている姫と若君を大声で呼びつけた。
「月男はもう雨には、はしゃがないのね」
戻ってきた2人にタオルを差し出す月男に向かって、姫は息を弾ませながら聞く。
「ええ、まあ、むしろ大雨は嫌です。この立地ですと土砂崩れが怖いので」
「すっかり地球人の物言いね。それで、母上。ご用件は?」
いたくご機嫌そうな姫は、おばあさんに向き直る。全身がぐっしょりと濡れ、水も滴る美しい姫の姿に、おばあさんはまた一つため息をついた。
「リル、あなた一体何しに来たんですか? また会えたのは確かに嬉しい。でも、あなたが地球にずっと留まることはないと、随分前に月男さんも言っていましたよ。ただ彼とデートしに来ただけですか?」
おばあさんにビシりと指さされ、姫の後ろでたじろぐ若君。そんな若君をチラりと振り返りながら「いや〜まあ〜それも無きにしも非ず」と、姫は小さな声で呟く。
「あなたもあなたですよ。いっつもなんの主張もしないで、そろそろ月に帰りたいとか思ってないんですか?」
突然自分に振られ、慌てる若君だったが、しばらくすれば、おばあさんがたじろぐほどの真っ直ぐな目をして答える。
「私は、姫といられればもうそれで」
この意志があるようでないような、ないようであるような答えに、幾世紀も前「かぐや姫」に惚れ込んだ頼りない帝が重なって見えたおばあさん。姫があの帝との文通を受け入れたのは、結局のところタイプだったからかと、千年の時を越えて解けた謎のしょうもなさに身体の力が抜けた。
一方、おばあさんの糾弾についに地球に来た本題に取り掛かることを決意した姫は、真剣な顔つきになる。
「父上も呼んでください。大事な話があります」
そう言いながら家に上がろうとする姫からは、変わらず水が滴り落ちていて、おばあさんと月男は全力で止めた。
「私が何を思って、この現代の地球に来たと思います?」
着替えをすませ、おじいさん、おばあさん、月男の3人と向かい合うように正座する姫はそう話を切り出した。ちなみに若君も服を取り替え、姫の横に大人しく座っている。
「姫様お気に入りの21世紀の日本を見たかったから」
「彼氏とデートするため」
「時を経て色気と男気の増したワシに会いたかったから」
月男、おばあさん、おじいさんに矢継ぎ早に回答された姫は、一つを除きあながち外れてはいないその回答に「ええ、まあ」と、唸るように認めずにはいられない。おばあさんや月男が姫の性質をよく見抜いている一方、姫の隣で小さく手を挙げ「宇宙船に時越えの機能がなかったからでは?」と、とても表面的な回答をする若君。そんな若君がむしろ愛おしい姫は、1桁の足し算ができた子どもを褒めるように「そうね」と笑顔で頷く。それから、地球で暮らす3人に向き直った。
「主要な狙いは、父上と母上に、地球を捨てていただくためだったんです」
「地球を捨てる?」
思わず聞き返したおばあさんに、姫は「はい」と頷き説明する。
「父上と母上には、月に来て、共に、永遠に、住んでいただきたく思い、迎えに来ました。それで、地球が嫌になるほど住んでいたら、抵抗なく月に来ていただけるのではと考えた次第です」
姫が地球に来た主要な目的に、月男が「よく陛下が許可されましたね」と目を丸くする横、おじいさんとおばあさんはその提案に何を思うのか、表情が真顔のまま全く変わらない。
「……なんだ、そんなこと」
最初に口を開いたのはおばあさんだった。
「なあ? かぐやがいる所にだったら、どこだって喜んで行くのにな」
おじいさんも当然といったように同意し、2人の動じなさに逆に姫が慌てる。
「だって、地球から月に行くんですよ? 時も人も暮らしも何もかも違うんですよ? 抵抗とか驚きとか多少はあるでしょう?」
「ないね」
即答するおじいさんに、おばあさんも頷きながら言葉を足す。
「あまり驚かなくなったってのは、確かに長年生きたおかげかもしれませんね。でも、あなたについて行ければなんてこと、あなたが月に帰った時から思っていましたから」
「母上……」
「まあ、地球に嫌気が差しているのも事実ですし、私たちは、何の未練もなく、今すぐにでも行けますよ」
キッパリと言い切りニコリと笑うおばあさんに、姫は狙い通りとはいえ拍子抜けである。
「こんなに時代の波を乗りこなしておいて、未練もなしですか」
「まさか。こんなところもう暮らせないとずっと思っておったわい」
最先端で時代の波に乗るおじいさんまでもが苦い顔でそう言うので、これまで黙っていた若君が首を傾げる。
「そうなんですか? 地球は苦しみの地と聞いていましたが、そこまで悪くはないかと僕は――」
「ジルはちょっとテレビでも見てて」
若君の言葉の途中で、姫はノールックでテレビのリモコンを操作すると、若君をテレビの方向へ追いやる。
「それにしても、ただ迎えに来ただけなら、こんなに焦らす必要なかったんじゃ?」
おばあさんにそう問われた姫は、「え〜?」と頬をかきながら言葉を探す。
「あっ、それはほら、私と母上たちとの地球での思い出作りですよ」
「……やっぱり遊びたかっただけなんでしょ」
じっとりとした目をおばあさんに向けられ、姫は目を泳がせる。
「いえ、実はですね。あと一つ、この時代の地球でどうしても手に入れたいものがありまして……」
姫は、テレビをかじりつくように見ている若君をちらりと伺うと、声を潜めておばあさんに耳打ちした。