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かぐや姫は地球に行きたい 2-17
酔っぱらいなのか泣き腫らしたのか、うーうーと低い声で唸りながら、いじけたように膝を抱えて座っているおじいさん。その目の前に2つの茶碗が、ドンッと音を立てて置かれる。
「さ、飲みますよ」
茶碗を持ってきたおばあさんは、おじいさんの向かいに座ると、茶碗のそばに怪しげな2つの薬包を添えた。それを見たおじいさんは、驚いたように目を開き、食い気味でその薬を手に取る。
「てっきり捨てたのかと。ばあさんがかぐやの作った薬は嫌だと突っぱねたんじゃないか」
「おじいさんだって、もっと早く出せってお怒りになったじゃないですか」
「そりゃこんな薬が本当にあるんなら、若いうちに飲みたいに決まっとろう」
今にもケンカになりそうな2人を「まあまあまあまあ」と、宥めるのは地球で月の輸出入を管理する仕事を持つ元月の宮廷画家。机に足をかけ、今にも飛びかかり合いそうな2人に、大切な薬がどうにかならないかと気が気でない。
「この地には本来あってはならない薬です。飲まないなら回収しますよ」
2人を制する男の手が視界に入ったおじいさんは眉をひそめる。
「あんた、なんでここにおる?」
「あなた方の服薬後の経過観察を姫様から承っています」
「置いてかれたんか?」
「……私はこの地での仕事がありますので」
永久に地球で暮らすことを余儀なくされている元宮廷画家のデリケートな事情を、グイグイ聞いてくるおじいさん。グイグイ聞いてくるくせに、その事情に本気で関心があるわけではない。
「可哀想に、置いてかれたんじゃな〜?」
「私は帰ることが許されて――」
「まあええ、まあええ、わしらが面倒みたるわ」
「面倒みるのはこっちです。はよ飲め」
あの日。
姫が月に帰ると決めた日、姫が2人に差し出したのは、不老不死の薬だった。
「これを飲んで待っていてください。父上と母上が生きてさえいれば、必ずまた会えます。また一緒に暮らせるようにします。絶対に」
その場にいた誰よりも衝撃を受けたのは元宮廷画家だった。
「姫様、これはいったい?」
「月の薬局から盗んだ薬を分析したからね。その成分に合うものを、そこらの薬草やらなんやらで作ったの。言わば不老不死の薬、地球オリジナルブレンドね。味の保証はできないけれど、効果は確実よ」
朗らかに話し続ける姫に、開いた口が塞がらないどころか、声にならない叫びで顎が外れそうになった男。そんな男の顔で、姫の言葉の意味は分からずとも、ヤバい薬だと分かったおばあさんは、当然の如く激しく拒絶する。
絶対に飲むもんかと怒るおばあさんと、そんないいもの持ってるなら一日でも早く出せと怒り、不老不死になることに全く抵抗を示さないおじいさんと、この薬のついて、成分や効果を嬉々として語る姫。いつものようにアクロバティックなケンカになるかと思いきや、その寸前で姫がふいに、涙をこぼしてひれ伏した。
「死んでほしくない。父上と母上が大好きなんです。いなくなってほしくない」
泣きながら震える姫の姿に、元月の男の心は動いた。これまで見てきた強引で勝気で、怖いものなんて何もないような姫の姿からあまりにもかけ離れた、小さな子どものように健気な姫だった。あの姫をここまで変化させた夫婦に、男は心底感心し、できる限りの協力を決意した。
ひとつため息をついてから、おばあさんは薄い薬包紙を開けていく。中から出てきたどす汚い粉末に、おばあさんどころかその場にいた全員が顔をひきつらせる。
「全く。親にいつまでも生きていてなんて、無茶を言う子ですね」
既に苦い薬を口に入れたかのような顔で、それでもどこか優しげな目で呟くおばあさんに、元月の男は軽く頭を下げる。
「うちの姫がすみません」
「わしはかぐやに頼まれんでも、ずっと生きるつもりじゃったけどな」
あからさまな「うへぇ」顔を目の前の薬に向けながら、そう軽口を叩くおじいさんに、おばあさんは粉末状の薬が飛ばないように、そっぽを向き、大きなため息をついてから小さな声で呟く。
「あの子にはそりゃまた会いたいけど、これとずっと一緒にいると思うと、しんどいのよ」
「あ? なんか言ったか、ばあさん!?」
「いいえ、なんでも! これからも末永く、よろしくお願いしますね、おじいさん」
「おぅ」
決意を固めた2人は、同時に薬を口に含み、水で流し込む。
「……にっが! オエッ、苦っ! 毒じゃないかこれ!?」
「あの子に殺されるなら本望としましょうよ……あぁぁほんとに何この不味さ!?」
騒ぎながらも無事ではある老夫婦を見守りつつ、元月の男は帝への手紙と共に渡された小さな走り書きを懐から取り出し、目を落とす。
『必ずあなたも月に戻す。それまで2人をよろしく』
更けていく夜に浮かぶ大きな満月。山奥の村の中、騒がしいある一軒の家を、淡い月光が優しく照らしていた。