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かぐや姫は地球に行きたい 2-15
穏やかな日々だった。
おじいさんは竹をとってきては加工し、おばあさんは家事をこなしながらの体力作り。姫も筋トレや薬草採取、調薬に励み、時たま帝から来た手紙への返事。3人でお弁当を持って山を駆け回ったり、アクロバティックに喧嘩などを嗜んだりもした。
あまりに充実した毎日に、最近めっきり姿を見せなくなった元月の者の存在を、思い出していたはずなのに忘れていた姫。
それは突然だった。
「姫様! 大変です!」
当然のようにいきなり現れ、そう叫んだのは元月の画家の男。
ちょうどその時、おばあさんの右手は姫の右手と腕相撲、姫の左手はおじいさんの左手と指相撲、おじいさんの右手はおばあさんの左手と綱引きという三つ巴の戦いが行われていたが、ピタリと止まって3対の目が男に注がれる。
「隙あり!」
すぐさま同時に3人の声が響き、腕相撲と指相撲と綱引きに決着がつく。結果はそれぞれが一勝ずつ。「いや、何してんの」と、常ならばツッコミを入れる男だったが、今日に限っては姫を真っ直ぐ見据えて話を始める。
「次の満月に迎えが来ます。どうぞ、できるだけ遠くへお逃げください」
真剣な表情で言う男に、ただならぬものを感じた姫は、おじいさんとおばあさんと顔を見合わせる。
「長らく物価の高騰が続く月でしたが、とうとうハイパーインフレに突入し、首相は退陣に追い込まれ、王の在位も危ぶまれている状態でございます。姫様を月にお戻しするよう命が下ったものの、私どもとしましては、記憶が定かではない姫様を、そのような情勢不安の最中にお戻しすることはできぬと交渉していたのですが――」
「待って、画家。父上は……ジルは……みんな無事なのね? 取り急ぎ、今の状況が詳しく分かるものはないかしら?」
説明を遮って尋ねた姫の真剣な目に、男は息を飲んだ。
記憶が戻りすぎている。月にいる頃より、記憶がちゃんとしている。なんなら人格までちゃんとしている。
「……誰?」
月にいた頃、姫によく言われていた言葉を、そっくりそのまま口に出してしまう男。その問いに姫は、ふいに目元を和らげ、ニヤリとした笑みを浮かべた。
「月の王の第一継承者、ニャ・リョォルダァ・ケノンカ・グゥ・リヤでしょ。時止め人の存在をうっかり口にして、麻酔銃で撃たれた挙句、地球に更迭された宮廷専属の画家さん?」
自身のことも他人のことも、これほどスラスラ語れる姫に、ますます「誰?」が、深まる元画家の男であったが、気迫すらまとった独特の雰囲気は、まさに月の姫そのもの。画家は膝をついて頭を垂れ、肯定の意を伝える。
「心遣いはありがたいけど、次の満月に戻ることにするわ。ハイパーインフレ……割に私が原因な気がするもの」
姫が思い出すのは、不老不死の薬欲しさに条件をつけて首相に渡した、適当に作った財政案。素人の案を本当に取り入れる方がどうかと思うし、部分的に取り入れたから余計に悪化したような気もするのだが、自分に責任の一端がないとは言いきれない。その事実、そして、その首相は自分の婚約者の祖父であり、それにより婚約者が今、大層苦労している様子が目に浮かんで、姫はため息をつく。
「全く……記憶は心労を増やすわね」
「大丈夫ですか?」
そっと肩に添えられた手を見てみれば、おばあさんが心配そうな顔をしていた。さらによく見てみれば、おばあさんは反対の手でおじいさんの口を塞いでいる。どうりでこの間静かだったわけだ。
「……母上」
「よく分かりませんが、あなたはあなたの国のために行ってしまうのね」
「嫌じゃ嫌じゃ! わしは行かせんぞ! お前はわしらの子じゃ!」
おばあさんの抑える手に必死で抵抗し、涙目のおじいさんが叫ぶ。姫は何かを堪えるように一度強く目を閉じ、二人に向かって平伏する。
「父上、母上。これまで受けた御恩に深く感謝しています。どうか……しばしの別れをお許しください」
姫の言葉に堪えきれない涙を流すおばあさんだったが、ふとその言葉に引っかかる。
「しばし?」
「はい。父上と母上におかれましては、これを飲んでいただきたいのです」
ニヤリと笑った姫は、懐から怪しげな薬包を取り出した。