ショートショート『願掛け』
モグラ叩きのようにポコポコと、不安というやつは次から次へと現れてくるものらしい。ようやっと一つ叩けたと思えば別の場所にポコリと。それを叩けたかと思えばまた別の場所にポコリと。必死にそれを繰り返し気づけば、数え切れないほどのポコリポコリに囲まれていたりする。それが不安というやつだと、俺は知った。
就職していくらか無事に経って、20代の終わりには結婚だってした。それから数年が経ったが、仕事も結婚生活も特に不備は無い。
だから俺は状況的に割と、人生の安泰ゾーンまで辿り着いているのだと思っていた。この先の人生、あとは普通に働き、過ごしていれば、普通の幸せな日々が続いていくだけであると。
だがなぜだろう、漠然とした不安のようなものが、俺の中でいつまでも消えてくれないのだ。事故や病気に怪我や人間関係のトラブル、親の介護や老後など、考えれば考えるだけ、不安というやつは増えていく。そろそろ子供が欲しいと妻は言うが、それも新たな不安の種になるばかりに思えて仕方なく、その妻の思いをほとんど無視するようにして、時間ばかりが過ぎていく。
願掛けすれば?と、俺に提案したのは大学の同級生である。それは久し振りに二人で飲んでいる時のことで、俺が溜め込んだ不安をありったけ吐き出した後、目の前の親友は若干微笑みながら言うのだった。
「絶対に失敗できない仕事とかあるじゃん? あとはこの期間だけは怪我したくない病気したくないみたいな。そういう時に願掛けするとさ、ちょっと落ち着くんだよ」
「それって具体的に何したらいいわけ? 願掛けって言葉自体は聞いたことあるけどさ」
「要は縛りプレイだよ。神社行って神に誓うとかでもいいし、めんどかったら今この場で天に向かって誓えばいいし。例えば来月まで病気は勘弁だとするじゃん? そしたら来月まで酒やめるって誓うんだよ。そしたら酒やめてる代わりに、病気にはならない。これが願掛け」
「けどさ、俺今すごい量の不安抱えてんだけど」
「それでもいいだろ。その不安なことが絶対に起こらない代わりに、自分は酒をやめますとか誓えばいい」
一瞬目の前が澄んだような、酒の酔いも全身からするりと抜けていったような、願掛けというものの存在を教わった瞬間、俺はそんな気分になったのだった。
「じゃあもう二度と、酒飲まない。今ここに誓うわ」
「二度と、って、いきなりそこまでしなくていいんだよ」
だがその願掛けをした途端、俺は驚くほど穏やかな、清々しい心地を感じていた。
それから俺はタバコをやめ、趣味だった野球観戦をやめ、好物の唐揚げを食うことをやめた。やめたというか誓ったのだ。もう二度と吸わない、観ない、食わないことで、俺の内に現れ、膨らみ続ける不安達が、決して現実化しないという願掛け、天との契約を結んだわけである。
願掛けをするたび、俺の不安は静まり、随分と過ごしやすい日々が送れるのだった。だが問題はその効力には有効期間があるらしいことで、いくら自分が願掛けをしたと分かっていても、いくらそれによって不安由来の不幸など起こらないと信じることが出来ていても、次第に再び不安達は勢いを取り戻していくのだった。
ゆえに俺は酒をやめる願掛けに飽き足らず、続け様にタバコ、野球、唐揚げとやめたわけで、それからもほとんど一定のリズムで、何かをやめることと引き換えに発生する願掛けを繰り返していった。
願掛けにおいて、1番簡単なのは何らかの飲食物を禁じる行為だった。それに伴い、妻の出す夕食を口にできないことも増えていった。頑なに口にせず、それを心配し始める妻に向かい、いくら願掛けを説明しても、いくらこれが俺達夫婦を守るものであると説明しても、妻が理解する様子は無く、しまいには妻が手製の料理を食べるその目の前で、俺は消去法で選んだだけの飲食物を口にするのが、俺達夫婦の夕食の光景となった。
「お前さ、それはやりすぎだって」
飲みながら俺が教わった願掛けのその後の経緯を話すと、親友は顔を歪めながら俺にそう言った。
「何が? お前が勧めてきた願掛けだからな?」
「誰がそこまで縛れって言ったよ。こういうのは酒飲まないタバコ吸わない脂物食わないとか、むしろやめた方が健康的な範囲でやるのが丁度いいんだろうが」
「だから、それじゃ大した縛りにならねぇし、一回願掛けしてもな、すぐに不安はぶり返してくんの。そしたらまた別の願掛けするしかねぇだろ」
「けどそれで奥さんに迷惑かかってんだろ? そしたらよ、願掛けの種類変えろって。ルーティン系の願掛けに変えればいいだろ」
「ルーティン系?」
「なんか決めんだよ。1日の最初に、絶対この動きをするとか、この体操するとか。それを毎日のルーティンにするの、それで願掛けになる。お前だって嫌だろ? これ以上奥さんに迷惑かけんの」
次の日から、俺は朝起きるとすぐさま立ち上がり、両腕を大きく天に伸ばし、その手はキツネの形を模しながら、上半身を左右に3度ずつ、ゆらりゆらりと振り動かすルーティンワークを開始した。
別に普通の体操などでもいいのだろうが、それでは何だか願掛けの縛りとして弱いような気がした。出来るだけ突飛で奇妙な動きをルーティン及び願掛けとして採用した方が効果的だと思った。
俺のそんな動きを目にした妻はやはりまた不安そうな表情を見せたが、もうそんなことは知ったことではない。
起床し、浮かび上がり始めた不安が、願掛けによって押し沈められる。数時間が経ち、また現れ始める不安も、その度にクネクネと身体を動かして願掛けする。
会社でもクネクネと。仕事の合間にクネクネと。日に日に願掛けは増えていく。そうして俺は気づいた。日常的に繰り返す動作の中にルーティンを組み込んでしまえばいいのではないかと。
例えば歩きはじめる時は必ず左足から。こうすれば歩きはじめる度に願掛けが発生し、心を落ち着かせることが出来る。
パソコンでタイピングする時は小指を使わない。水を飲む時は一気飲み。咳をする時は絶対に手を当てない。そんな願掛けを増やしていく、日常生活を縛っていく、そうやって不安を殺していく。
願掛けに伴う縛りやルーティンは、それを行っているまさにその時、願掛けをしているという意識をしていること、それが大事だった。それが少しでも薄れれば願掛けの効果も薄れた。不安ばかりが膨らんだ。そうなれば差し引きで残ったのは不自由な日常生活だけだった。そうならないために更なる不自由とルーティン、願掛けを自分に科した。
日曜の朝、起床し、いつものようにルーティンをこなす。なんだかんだで延長、延長を繰り返したこのルーティンワークは、身体をクネクネクネクネと、一通り終わるのに20分はかかる。
その後寝室の窓を開け、口に含んだミネラルウォーターを思い切り8回、外へと吹き散らす。
歩きはじめる時は左足から。寝室を出、リビングに行くと小指だけで日めくりカレンダーをはがし、食べる。飲み込むまでに随分と時間がかかるが、その間は別のルーティンワークをして時間を潰す。
「ねぇほんとに大丈夫?」
耳に入る妻の声。振り返りたいが、その前にこのルーティンを終わらせなければどうにもならない。無視する形になるが仕方がないだろう。そうでもしなければ、事実今も心の底から、とめどない不安がこちらに向かい、走り続けているのだ。それを食い止めなくては、願掛けによって食い止め続けなくては。そうしなければ俺の幸せは無いのだ。
「今日一緒に病院行こ? 予約してあるの。ね?」
ゆっくりと背後から近づいてくる妻の手が俺の肩に触れる。だがその瞬間大きく後ろへと振りかぶった俺の手が、妻の顔へと当たった。悲鳴を上げながら吹き飛ぶ妻の姿が同時に目に入る。妻を殴ろうとしたわけじゃない。たまたま俺のルーティンの導線上に、妻の顔があっただけだった。
ルーティンが終わり、俺は左足から妻のもとへと駆け寄った。妻を身を案じ、俺は心から心配している。だがそれと同時になぜか、スーッと心が澄んでいく、そんな心地を覚えてしまっている俺もいた。
あぁ、と俺は思う。願掛けに組み込まれてしまったのだ。妻に手をあげること。それが俺のルーティンになり、願掛けになってしまった。
歯が飛んだ。一本だけ飛んだ。それもルーティンになった。
だからそれからは毎日一本、歯が飛ぶまで殴らなければならなかった。そうでないと、ルーティンを、願掛けを破れば、それまで押し留めていた不安が全て降りかかってくる。不幸に襲われる。それだけは避けなくてはならない。だから今日も歯を一本、飛ばさなくてはならない。
床に転がった妻はもう動かない。
じゃあ明日からはどうする?
であれば急いでどこかで、代わりの女でも拾ってこなくてはならない。
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