触れられない時代に手加減はどう覚えるか
僕は加減の感覚が、楽しく・心地よく生活していく上で必須だと思っている。それをバランスと言い換えてもいいし、「ちょうどいい」と訳してもいい。
過ぎたるは及ばざるが如し、と言うように足りなくても多過ぎてもダメなのだ。高級料理がどんなに美味くても、食べ過ぎたらもういらなくなる。
だから、一番満足できるところで加減できる人が幸福度も上がってくる。満たされないのも、依存してしまうのも加減ができるようになると解消されていくと思っている。
じゃあ、この加減の感覚ってどうやって磨いていくのかといえば、いかに体験を重ねていくかだ。子どもの頃に、大事なぬいぐるみを振り回して遊んでいたら、壊してしまって悲しい経験をする。それで丁寧に扱うようにする。そうやって加減を覚えていく。
それはやがて対象がものから生物に移っていくのだ。アリや虫、ペットなどとの関わり、そして人間へと。
鬼ごっこでタッチしたつもりが、全力で叩くような形になって、喧嘩に発展する経験などをしながら場面場面での加減を覚えていく。
ただ、加減を磨いていく上で五感、特に触覚がとても大事になる。色んなものに触れる中で、文字通り「手加減」を覚えていくのだ。
でも、今は触れることを極力避けるように言われている。それが心配で仕方がない。というのも、一昨日近所のショッピングモールのフードコートの横を通った時に、ゾッとする風景に出会ったからだ。
これまで所狭しと敷き詰められていた机と椅子が、定規で測ったような一定間隔で、机一台と椅子一脚が置かれていた。同席しないよう、隣の席と話すのにも不便するような距離感だった。
こんな触わることを忌避される状況で、どうやって子ども達は手加減を覚えるのだろう。今まで生活の中で当たり前に獲得できた能力が、できなくなるならば、しっかりとデザインして、活動に取り組んでいかないと長期的に見ると危ないなと強く感じた。
そして、ひいては僕も含めた大人達もそうなのだ。使わない力は衰えていく。距離感の掴みづらいオンラインで、手加減を失えば、中傷が飛び交うだろう。だから、人間に対する手加減の感覚を維持していくには、どうしたらいいかをわりと真剣に考えている。