消費される体験、はぐくみたい
体験を変換する時代がやってきている。
自分が珍しい体験をすると、写真をとり文章を書き、SNSに投稿する。
僕自身もやっていることだけれど、それって自分の体験をなにかに変換しなければいけないという強迫観念が生まれているのかもしれない。
つまり、等価交換ではないけれど、なにか体験をしたらそれを自分の中に収めておけない。なにかに還元しなければ、いられないのだ。
シェアをするとそれは「いいね」とか「スキ」に変わっていく。目に見えない体験が、目に見える数値に変換される。
数値化されるとそれを簡単に良し悪しで判断できてしまう。
それはアウトソーシング化しているのだ。自分の体験を自らの中で位置付けることができない。だから、共有することで他者のフィルターを通して、お手軽にランク付けしようとしている。
もちろんSNSの使い方も意図して行っている人はいて、それは確かな戦略と信念に乗っ取っている。けれども、無自覚にやっている人の中では、当たり前に起こっていることだ。
自分の体験を誰かに役立てる心意気は素晴らしい。
しかし、それは体験を消費していくこととは違う。
消費してしまえば、手元に残らなくなってしまう。
世の中には便利なツールが日夜たくさん生まれている。
道具というのはもともと、人間の能力を拡張するものだったはず。
けれど、最近の道具は、拡張するのでは飽き足らず、肩代わりするものになってきている。もはや人間の能力を縮小させていく。
僕達を構成する大事な大事な体験。
それを今一度、はぐくみたい。
言い表せないもの。絵や写真では切り取れないもの。もう一度見直したみよう。
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