つかない決着
「えんとこの歌」という映画を観てきた。
30年以上も寝たきりの歌人遠藤滋に迫ったドキュメンタリー映画だ。
オススメされたから、軽い気持ちで観に行ったら紙ヤスリを擦りつけられたような気分になった。
観終わってなお、ざわざわが収まらない。
まずなんで自分がこんなにもざわついているのかよくわからないのだけど、できる限りの言葉に残してみようと思う。
決着をつけられない
「考え続ける」
その言葉が映画の最中に何度か聞こえてきた。
いつまで経っても過程なのだ。生きる喜びを感じる時もあれば、命を呪う瞬間もある。生きている以上はいつだって、答えが変化したり、逆転することがある。
この映画で答えは提示されない。
けれど、実際そんなものだ。
僕達は、あまりにも簡単に決着をつけすぎているのかもしれない。
物事の途中にあることはとても不安定で、モヤモヤする。確定していないからどう反応していいのかもわからない。
だから決着を求める。シロクロはっきりすれば、それを喜んだり、悔しがったりできる。よって、勝ち負けがはっきりするスポーツや政治やお金は魅力的に映る。
「自分はダメな人間だ」「一握りに選ばれた人間だ」って、断言してしまえば、その立場から、好きに語ることができる。
しかし、その理由の土台になっていることは簡単に崩れてしまう。
試合に負けて、勝負に勝つ。そんな風に、生きるってことは実は1つでは割り切れないことばかりだ。
生きることに決着がつくのは、早くて死んだ時だ。
もしかしたら、死んだくらいじゃ決着がつかない場合もあるだろう。
結果は節目節目で出るが、簡単に割り切ることはできない。いつだって過不足が出てしまう。
だから、僕が今感じている、台風前のようなざわざわした気分に決着をつけずに抱えて生きようと思う。
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