道東に移住して丸5年になりました。
2016年5月末。僕と妻と2歳の娘と0歳の息子と、千葉県船橋市から、北海道津別町に移住しました。それから5年。0歳だった息子は今や立派な少年です。まだ5歳ですけど。
この広大な北海道の東側に、ローカル局の支局も無いし、NHKさんですら制作機能を持っていない。これからはネットで映像を見る時代だし、これはチャンス!日本最後のメディア過疎地でインターネットテレビ局の道東テレビを立ち上げる!と鼻息荒く活動をはじめました2016年。最初の3年は地域おこし協力隊として活動しました。
地域おこし協力隊の任期中も色々ありました。TBSのお正月特番のクレイジージャーニーのカメラマンで溶岩湖を撮影するという珍しい協力隊員だったと思います。自由にさせてくれた津別町役場の皆さんには感謝しかありません。これからもっと恩返ししたいと思います。
人口4400人の町で映像制作会社を作るなんて無理だと言われていました。立川は田舎に引っ込んで隠居するんだくらいに思われてもいましたが、めちゃくちゃ可能性を感じて飛び込みました。奉仕活動でもなく、完全に仕事を作りにきました。
掲げた目標は二つ。
①インターネットテレビ局の道東テレビを作る。
②地方移住は本当にオススメできるのか確かめる。
①に関しては前年度の売り上げが1993万円で利益が100万円くらいなので、良い感じだと思います。売り上げもですが、何より良いのは現地雇用ができたこと。今道東テレビでは正社員が2名いますが、二人とも北海道で採用したローカルの人です。今までに映像制作会社が存在できなかった場所に2名の雇用ができた。これだけでも時代の変化が感じられると思います。
②に関しても、5年を経て答えが出ました。オススメできます。夫婦のプレーの一つに移住を加えるのをオススメします。
僕にはとても大好きな奥さんがいますが、移住すると「僕についてきてくれた奥さんを幸せにしないとダメだ」と気合が入ります。移住はもちろん結構大変ですから、色々なことが起きます。それを夫婦や家族の力で乗り越えていきます。するとどうでしょう。どんどん大切になっていく気がします。まぁ比較したこともないので、そのまま船橋で住み続けていても、同じくらいハッピーだったと思いますが、それでも、移住を通して、妻と僕の二人のラブストーリーで考えるとフラットな流れより、移住というドラマがあった方が盛り上がるのではないでしょうか。
↑船橋ハワイアンフェス右上の小松くんの下にいる帽子をかぶっているのが僕。隣が奥さんです。
それとやっぱり自然に近いって良いです。夜が暗かったり、冬は外にずっといただ死んじゃうとか、雪かきとか草刈りとか、大変なんですけど、圧倒的な大自然の力の中にいると諦めがつくと言うか、しょうがないよねって気持ちになるんです。表現が難しいですが。吹雪の時とか「調子に乗りすぎるなよ人類。」って言われている気がします。
幸せって相対的なものだと思うのです。外が寒い時に部屋が暖かければそれだけで幸せですし、満腹の時に出されたステーキは食べられないですし。暗いから明かりのありがたみがわかるし、部屋があったかいだけで幸せと言うことに気づける。
と言うことでいろいろ順調に行っているように見えますが、大変なことももちろんあります。コロナ禍で船橋の会社の社員(創業メンバーも含む)を解雇したし(クリエイターの終身雇用をマジで考えていましたが、コロナ禍でこの夢は潰えました)、その時の借金も結構残っているし、道東テレビの一期目400万円くらい赤字だし。大変なところは大変です。でもそれ以上に手に入れたものも多いと思います。
築80年の空き家をリノベしたコワーキングスペースJIMBA、JIMBA用の駐車場の土地、100坪の土地と建物2軒(住居用、社員寮)キャンピングカー、一緒に盛り上げようと力を貸してくれる仲間たち、道東テレビインターンで協力隊で活動してくれている若者たち。撮影道具、編集道具の数々。
移住してきた時にはα6300と軽い三脚、古いノートパソコンだけでのスタートでした。そこからコツコツ機材を集め(船橋の機材は船橋で使うので、道東の機材は全部1から集めた)今では生配信も複数台のカメラで配信できるし、3Dスキャナもあるし、キャンピングカーもあるからどこでも撮影行き放題。環境も整いました。
思えば移住の多い人生でした。22歳で実家のある静岡県から東京に移住してテレビ番組のADをやり、27歳でADをやめて北海道に半年、バヌアツ共和国に半年移住?滞在して、千葉県船橋市に移住して会社を立ち上げ、そして北海道へ移住。
それぞれの場所でそれぞれの進め方で環境を整えてきました。この経験がどう役に立つかわかりませんが、これからもいろいろやっていきたいと思っています。下は船橋のJRと京成の間の連絡通路にあるデジタルサイネージアドスポット船橋。最近モニタを4Kに変えた。
とりあえず今考えていることは、地方と都市部の橋渡し役になることです。千葉県船橋市にも、北海道にもビジネスベースがある僕にしかできない役割で、豊かな人を増やすお手伝いが、映像を通してできれば最高に幸せです。
それではまた!