奴凧地球相手の頭突きかな
凧や凧上げは新年ではなく春の季語です。私が子供の頃は正月に近所で凧揚げをした記憶もありますが、自分が子供の親になってからは春休みの週末に実家で子供とやった凧揚げが一番記憶にあります。
世界各国にいろんな形をした凧がありますが、古い記録では紀元前に中国で鳥の形をした凧があったそうです。それも軍事目的だったそうですが、最近の中国の気球ではあるまいし、カメラも通信設備も無い時代にどうやって使ったのでしょうね。何かの合図だったのか、それとも大凧に乗って敵の様子を窺ったのでしょうが、とても興味が湧きます。
凧と言う名前もいろいろと変遷がありました。平安時代には紙で出来た鳶で「紙鳶・しえん」とか「紙老鳶・しろうし」でした。この頃は凧は中国と同じ鳥の形だったのですね。室町時代には南方から菱形の凧が入って来ました。南蛮船の旗の模様に似ていたので長崎を中心に「ハタ」と呼ばれるようになりました。江戸時代に入り世の中が落ち着くと凧揚げが大流行しますが、凧が大名行列に落ちたり、大凧が屋根を壊したりした為、幕府は明暦元年(1655年)に当時そう呼ばれていた「いかのぼり」を禁止しました。鳥がいつの間に「いかのぼり」になったのか経緯は分かりませんが、多分凧を安定される為に付けた尻尾や足からの連想で「鯉のぼり」ならぬ「いかのぼり」になったのでしょう。しかしながら江戸っ子はいかのぼりが禁止された後もこれは「いかのぼり」では無い、「たこ」を揚げているのだと言い張ってこの遊びを止めませんでした。その後、「たこのぼり禁止令」も出されますが、庶民はなかなか凧揚げを止めなかったようです。一方、幕府の意向など気にもしない関西人はずっと「いかのぼり」と呼んでいたようで、明治時代初期には関東では「凧揚げ」関西では「いかのぼり」長崎では「ハタ揚げ」と呼ばれていました。
ところでイカもタコも海に棲む動物ですが、他の国では凧の名前は大抵空を飛ぶ鳥や昆虫または星を意味する名前がついているそうです。日本人が海産物好きだからなのか、それともネコバスや銀河鉄道のように飛びそうもない物が空を飛ぶ自由な発想を持っている証拠なのでしょうか?
凧揚げや替わるやいなや急降下
昔、実家に帰ると近くの空き地でよく息子と凧上げをしました。十分に凧が上がったところで息子に手渡しますが、その瞬間急降下なんてことがよくありました。
奴凧地球相手の頭突きかな
頭から地球突撃奴凧
大抵は私が持ち直して何とか体勢を立て直しますが、時々凧が頭から地面に墜落しました。みごとな頭突き、墜落でした。