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日本人の心 22 金目当て

元ジャニーズ事務所にいた被害者が箕面の山中で自殺していたことが、それから約1ヵ月後の11月14日に報道されました。実名で告発したことから多くの誹謗中傷を受けていたようで、その中には「金目当て」と言う誹謗中傷の言葉がありました。この「金目当て」と言う言葉を聞いて、元通産官僚が池袋で起こした暴走事故で妻子を失った夫がその老人を訴えた際、なんと訴えた方の夫が金目当てだと誹謗中傷を受けていたニュースを思い出しました。交通事故の遺族が何故このような酷い言葉を浴びせられなければならないのか本当に信じられませんでした。

と、ここでふと「金目当て」と言う言葉が何故日本では誹謗中傷の言葉になるのかと言う素朴な疑問が浮かんで来ました。なんで金目当てはいけないことなのでしょう?勿論「金目当て」で犯罪を犯すことは論外ですが、自分が不当な扱いを受けた時にその補償を要求することは欧米では極めて当たり前のことです。それが日本では何故「金目当て」として責められるのでしょうか?確かに日本では金のことを言うと「はしたない」と言われた時代もあったし、時代劇でよく出て来る金満商人・越後屋のように「おぬしも悪やの〜」のイメージが浮かびます。でも今は民主主義の時代で、金を儲けをすることも自由なはずです。でも日本人の心は昔からそれほど変わっていないようです。そう言えば少し前の話になりますが「お金儲けして何が悪いんですか?」と言った村上ファンドの村上世彰氏がめちゃくちゃ叩かれたこともありました。でも冷静に考えれば金儲けがよく思われないのは西洋でも同じことで、昔から金儲けを得意とするユダヤ人はやはり嫌われていました。そう考えると日本で賠償金を要求することを「金目当て」と誹謗中傷する人がいるのは、金儲けそのものと言うよりこのような権利を主張する人に対する嫌悪感と捉えた方が自然な気がします。

元ジャニーズ事務所の被害者に対して金目当と誹謗中傷している狂信的なファンはただ自分に不都合な真実を否定する為、名乗り出た人は金目当てで嘘をついている、本当は被害者などいないと思いたいのでしょう。でも池袋の交通事故の場合、遺族に対する中傷はジャニーズ問題とは全く違い、そこに狂信的なファンなど存在しません。老人にそんな高額な請求をするなと言う人もいましたが、そもそも保険会社が支払うのでこれは単に間抜けな中傷でした。では暴走老人ファンでもない人たちが何故わざわざ遺族を誹謗中傷などするのでしょうか?他人が多額の金を貰うことがそんなに妬ましいのでしょうか?それとも人の死で金を儲けるなんてけしからんと思っているのでしょうか?彼らの気持は分かりませんが、私には日本人の心の底にある「権利意識」の違いが欧米の反応との違いに関係しているように思われます。

ちょっと堅苦しい話になりますが、明治維新の際、列国との間で不平等条約を結ばされた日本政府は日本を法治国家として認めさせることでその改定を目指しました。その為、国民の理解などは考えもせず法整備を急ぎ、何とかかっこをつけて不平等条約の改定を実現しました。本来、法律とは市民感情や民族的な社会規範に基づいて制定されるはずですが、西欧のものをそのままコピーして作られた為、日本の法治国家誕生の姿はまるでちょんまげのまま洋服を着たようなものでした。もともと明治維新は薩長の下級武士による政権奪取に過ぎず、一般市民が立ち上がって革命が起きた訳ではないので国民が自らの力で何かの権利を獲得したわけではありません。その為、日本人の精神は殆ど江戸時代の封建的精神風土を残したまま近代化を進めたことになります。勿論、明治維新当時日本に法律に相当するものが無かった訳ではありません。701年の大宝律令が公式には日本最初の法律と言われていますが、それ以前にも近江律令など唐の制度に基づくものが作られていました。そして江戸時代の太平の世になると身分に応じて武士や天皇貴族の心得など自らすべきことが法度として規定されました、勿論民衆に対してもお触書と呼ばれるものがあって日本は決して無法地帯ではありませんでした。しかし封建時代に権利を主張することは決して許されていません。日本人はみな分相応に生きることを旨として来ました。勿論、飢饉や悪政など生きるか死ぬかの事態になれば百姓一揆も起こっていますが、その場合もちろん一揆の首謀者は打首覚悟です。

明治の終わりから大正時代に自由民権運動が盛んになりましたが、一方で官憲の弾圧も強く今では当たり前と思われる色々な権利も結局終戦を待たなければなりませんでした。ただ戦後もたらされた民主主義はよく言われるように与えられた民主主義であり民衆が勝ち取ったものではありません。その為、少し前まで給与は会社や社長からいただくものと言う家父長的な感覚を持っている人が多く、戦後一時期盛んだった労働運動やストライキも頭の中では労働者の権利と理解していても、現実の世界では会社やお客様に迷惑がかかると言う意識が強かったし、逆に堂々と「権利を主張する人」をややこしい人として煙たがる傾向さえありました。「長いものには巻かれろ」「臭いものには蓋をしろ」「分相応にしていろ」と言った封建社会の処世術が現代日本にもまだまだたくさん残っています。そして既存制度の矛盾を指摘すると「理屈っぽい人」として嫌われることもありました。そんな訳で日本にはなかなか「権利を主張して当然」と言う雰囲気は生まれて来ません。奥ゆかしいとか控えめと言う性格は昔から日本人の好ましい特徴と言われますが、それを相手にも強要するようになると社会はとても生きづらいものになります。賠償金を要求する人に対し誹謗中傷する人は「死んだ者は帰って来ないのに死を利用して権利を主張するのか」とか、「わざとでもないのに多額の金を要求するか」と思っているのでしょうか?いずれにしても私には理解不能です。池袋の交通事故での遺族は決して権利を主張しているのではなく、飽くまで残された遺族として反省しない犯罪人に対する処罰感情を述べているのだと思います。いずれにしても法律で認められた正当な権利を主張しているだけであって、ひどい目に遭わされた遺族が何故批判されなければならないのか、与えられた民主主義なので今だに血や肉となっていないと言った反省では片付けられないほど残酷な仕業だと思います。

そう言えば日本の刑事罰を見ると禁固刑と罰金刑のバランスが取れていないと言うか罰金が極端に小さい気がします。逆にアメリカでは罰金の額がとても大きく、金を刑罰や補償の尺度として重要視している印象があります。これもきっと風土や社会規範の違いの一つなのでしょう。日本では法律には罰金の規定があったとしても重罪に当たる場合、罰金刑となるケースは余り聞いたことがありません。(実態は日本では罪が軽い事件が多いせいか8割は罰金刑だそうです。)最近の中村猿之助の事件にしても両親の顔にビニールを被せて死なせたほどの犯罪なのに、懲役3年執行猶予5年で結果的にはなんの罰もなく許されるようなもので、私には今ひとつ納得の行かない判決でした。執行猶予で実質的に罰を与えないなら少し重めの罰金刑にした方がいいのにと思ったりもしますが、金を払えば許されると言うことは日本人の感覚や感情として決して許されないのでしょうね。



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