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思い出すのは悪いことばかりじゃない

『そうそう、忘れるところだった』
ゴソゴソとカバンから名刺入れを取り出し、私の前に置く。
『今ね、まあ、今の旦那の会社だけれど、保育園も経営していてね。
そこの2つほどの園で園長やってるのよ。もし、キラちゃんに子供が産まれたら、預かってもいいよ!』
緊張の解けた私は思わず
『私の育児も出来なかった人が保育園の園長なんだ・・・』
心の声がダダ漏れになってしまっていた。
この時の感情が複雑すぎて、自分でも混乱してしまっていた。
だって。
私のことは、おそらく、だけど、虐待していて、その人が他所のお子様を預かる仕事をしているなんて。

私はこの人に育ててほしかったのかな?
少なくとも虐待されたくはなかったはず。
愛されたかった?
私にはこの人からの愛情は未だに感じられないけど、園長として、通ってきている子供たちに優しく愛情持って接しているのだろうと思う。
え?
私は?
朝起きたら母親の姿が見えない生活をさせられていて。
そんな人が園長・・・
複雑過ぎる。
そんな私の感情などお構いなし。
『キラちゃんに出来なかったことを、してあげてる感じかな。』
黄昏れているように目線を外し、自分に酔っている、ようにしか見ることができない。
『それから、これ。』
ファイルを差し出された。
表紙には
『大好きなキラちゃんへ』
と、でかでかと恥ずかしげもなく書かれていた。
そして私が見たこともない写真の数々。
見たことがないというか、記憶にない写真ばかりだった。
その中で、この人にぴったりと並んで笑っている写真もあった。

写真の中の私は偽りなく笑っていた。

写真だとわかった瞬間に背中から後頭部に向かってピリッと電気が走ったような感覚があった。
ただ、写真を見ても、何も思い出さなかった。
本当に、1mmも思い出さなかった。
写真そのものは自分が持っており、渡したのはコピーだという。
離婚した時にこっそりアルバムも持ち出したのだ、と。
どうりで私の幼少期の写真がないわけだ。一つ、謎が解けた。
見たこともない写真をぼーっと眺めてしまっていた。
『じゃあ、また、連絡するね〜』
ヒラヒラと伝票を振りながら、颯爽と席をたった、はは。
振り向きもせず、会計を済ませ、見えなくなる、はは。
見えなくなったことを確認した途端、呼吸が楽になった気がした。
写真をもう一度見てみたが、本当に何一つ思い出せない。

『思い出さないことで、生活に支障がないのであれば、それはもともと思い出さなくて良いことなのかも知れませんよ』

以前、心療内科の医者に言われたことを思い出した。
そうなのかもしれない。
幼少期の私は、写真に写っているその瞬間は笑顔になれていた。
全然思い出さないけれど、楽しそうな幼少期の自分を見ることができて、
少しホッとした自分も居た。

(良かったね、小さい頃の私。嫌なことばかりじゃなかったんだね)
写真に向かって心の中で、そう、声をかけた。

そして、思い出すのは、育ての親のえいこさんのことだった。
あの人は。
確かに私から金銭を搾取するある意味毒親だったのかもしれない。
戸籍から離れたいと思うほど。
早くオトナになりたいと願うほど。
だけれども、たくさんの経験をさせてくれていた。
いらない経験も、知らなくてもよかった感情も。
不思議なことに、産みのははと再会して、育ての母のえいこさんを、より
『母』と認識したように思う。
そして、思い出すのは辛かったことよりも、楽しかったこと、嬉しかったこと、教えてもらったこと。

産みのはは、は、想像のななめ上をいった人だった。
その人に育てられていたら、今の『私』は居なかっただろうと思う。
母がえいこさんで良かった。
えいこさん、もう一度会いたいな。
えいこさん、もっともっと、話したかったな。

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