麗しき者 第6話
6.イノチトイノチ
尚美とはしばらく遠距離で付き合って、彼女が東京に出てきたタイミングで一緒に住み始めた。劇団ニクサン解散後も俺は役者を続けた。小さな事務所にも入り小さな役をいくつもやった。おかげで最低限暮らしていけるくらいの稼ぎにはなっていた。尚美は彼女の親戚のツテで保険の営業の仕事を始め、なかなかの成績を上げるようになっていた。30歳で結婚。マンションも購入し、世間一般でいう幸せも手に入れた。35歳の時、あの臼倉から連絡が入った。「槇ちゃん、久しぶり。元気でやってる?今あのキャスティングディレクターで有名な大神田雅子さんの演劇学校で働いてんだけど、槇ちゃん、演技教えるの興味ない?」「俺が?」「そう、あなたが。週3回くらい。ギャラも悪くないわよ。」「俺で出来そうなの?」
「出来なさそうな人には連絡しないわよ。」「じゃ、せっかくだから…よろしくお願いします。」「良かった!じゃあ上に報告しておくね。また連絡する。」そんなこんなで演劇学校の講師を始めることになった。俺は役者と演劇学校の講師、尚美は保険会社で地道に顧客を増やしていたので収入面では安定してきたが、夫婦二人にとってはすれ違う時間が増えていった。会話をすることも減り、お互い自分のことで精一杯だった。食事もほとんど一緒にするタイミングもなく、寝る時間もバラバラで夫婦の意味をなしてなかった。同棲してたあの頃が懐かしい。お金はなくてもなんか満たされていた。一緒にいるだけで楽しかったのに。ある日、たまたま二人とも休みの日があった。お互い昼近くまで寝て、起きて二人でコーヒーを飲み、着替えて商店街へ遅い朝食兼昼食を食べに出た。定食屋に入り、尚美は焼き魚定食、俺はしょうが焼き定食と瓶ビールを頼んだ。瓶ビールとコップが二つ運ばれてきて
「飲むだろ?」「うん。」久しぶりに二人で乾杯した。冷たいビールが胃に染みる。「ねぇ、これからどうする?」尚美が聞いてきた。「これから?食べたら買い物して帰るかな。」「違う。私たちのこれから。未来のこと。先のこと。」「ああ…」「ああ…ってどういうこと?」「いや…」「子供欲しい。」「え?」
「大ちゃんとわたしの子供。」「…」「もうそろそろじゃないかな?あっという間に40歳になっちゃうしさ。仕事は順調でも二人の生活がこんなんじゃ生きている意味もわかんないよ。」尚美の言う通りだった。そして、久しぶりに尚美の気持ちを受け取った。
決めたことは良かったがなかなか子宝に恵まれなかった。尚美は不妊治療に通いだし毎月その結果を報告してくれたが話はうまい具合に進んでは行かなかった。
俺が40歳になった日、その日は演劇学校での講師の仕事があり朝から出ていた。学校に行くと臼倉が血相を変えて近づいてきた。「槇ちゃん、西山君が…」
西山が死んだ。不慮の事故。腐りかけていた大木が倒れて彼の頭を直撃したとのことだった。なんでだよ西山。ましてや、俺の誕生日に死ぬなよ。「明日お通夜。明後日お葬式。行くよね?」「うん…」なんとか自分の感情を押し殺しながら授業をして家に帰る。
「ただいま…」「おかえり。ねぇねー、良いニュース!出来たよ!」「何が?」「いるのよ!ここに!」
尚美は自分のお腹に俺の手を置いた。押し殺していた感情が一気に溢れ出た。尚美に縋り付いて大声で泣いた。涙がいつまで経っても止まらなかった。
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