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溺愛社長の2度目の恋【同人誌サンプル】


「ん」
 ベッドでごろごろしながら雑誌を読んでいたら、携帯がメールの通知を告げたので手に取る。
「きた!」
 差出人はこのあいだ面接を受けた会社で、反射的に起き上がり姿勢を正していた。ドキドキしながらメールを開き、【採用】の文字でほっと息をつく。三ヶ月前にとある事情で会社を辞めて就職活動しているが、今のところ全戦全敗だった。ようやく採用、しかも本命の会社となれば、嬉しさもひとしおだ。
 さらにスクロールしていき、記載されている内容を確認していく。しかし、ある一文で止まった。そこにはこう、書いてある。
【追加条件 社長との婚姻】
「んー? んん?」
 意味がわからず、何度も見直すが文面が変わるはずもない。
「問い合わせ、するか……」
 ベッドの上で正座したまま、私は採用された会社『Sky End Companyスカイ エンド カンパニー』に電話をかけた。

 大学を卒業して六年勤めた会社、『コサイデザイン』を私が辞めたのは、些細……とはいえない理由からだった。
「よっ!」
 外から帰ってきた部長が横を通る際、コピーを取っていた派遣社員のお尻を叩く。
「あっ」
 彼女は驚いて部長を睨んだが、彼は詫びるどころか。
「なんだ、その目は? 派遣のお前なんか、俺の一声でクビにできるんだぞ」
 部長に脅され、彼女は悔しそうに俯いてしまった。
「お前らも、俺の一存でいつでもクビにできるんだからな」
 ことの成り行きを見守っていた部内を睨めつけ、部長は自分の席へ着いた。
 私のいるインテリアデザイン部では、近頃来た部長のセクハラ、パワハラが横行していた。別の建築会社を早期退職し、社長の縁故でやってきた彼は、社長の威を笠に着て好き放題やっている。
西田にしだ!」
「はい!」
 部長に呼ばれて弾かれるように立ち上がった佳子よしこは、真っ青な顔で部長席へと駆け寄った。
「こんなデザインが認められると思ってるのか?」
 これ見よがしに部長が、机の上にデザイン画をバサリと投げ捨てる。認められるもなにも、部長にデザインの善し悪しはまったくわかっていない。先方の言いなりだ。さらに気に入らない人間のデザインにはなにもなくてもケチをつけ、いびった。
「お前、クライアントの要望にも応えられないなんて、会社員に向いてないんじゃないか? さっさと結婚でもして辞めたらどうだ?」
 嫌らしくニヤニヤ笑う部長の前で、佳子はうっすらと涙を浮かべ、落ちないように耐えていた。
「ああでも、お前みたいなブスでデブでクズが、結婚なんかできるわけないか。すまん、すまん」
 わざとらしく声を上げ、部長が高笑いする。
 ……クズはオマエだろうが。
 ボールペンを握りしめる手に力が入り、ミシリと音がした。
「……酷い」
 小さくぼそりと、佳子が落とす。
「ああっ? なんか文句でもあるのか?」
 けれど部長は片腕をデスクにのせて軽く身を乗り出し、佳子に凄んだ。次の瞬間、びくりと大きく身体を震わせ、佳子は泣きながら走り去ってしまった。
「お前らも女だから許してもらえるとか甘えるなよ。まったく、無駄な時間取らせやがって」
 わざとらしく舌打ちをし、部長は椅子に座り直した。彼がマウスを握ってカチカチしだし、それにともないそれまでしんと静まりかえっていたオフィスがまた、次第にざわめきだす。私は椅子を立ち、佳子を探しに行った。
 当たりをつけた資料室で、佳子はうずくまっていた。
「佳子、大丈夫?」
古海ふるみせんぱーい!」
 私の顔を見て立ち上がった佳子は、抱きついて号泣し出した。
「部長の言うことなんて気にすることないよ。佳子は可愛いから私は大好きだし、仕事だって私なんかよりちゃんとできてるよ」
 背が高く、長い黒髪をひとつ結びにして白シャツと黒パンツで済ませている、女っ気のない私とは違い、佳子はちょっぴりぽっちゃりしているものの、緩くパーマがかかった茶髪がよく似合う、女の私から見ても可愛い子だ。
「……ありがとうございます、先輩」
 私の励ましでようやく、佳子は僅かにだけれど笑ってくれた。
「でも私、会社、辞めようと思ってるんです」
「なんで!?」
「もう、耐えられません……」
 涙で濡れた目で、申し訳なさそうに彼女が俯く。佳子の気持ちはよくわかった。きっと、部内の誰もがいつ辞めようかと考えている。上に現状を訴えなかったわけじゃない。しかし、役員が親族で固められているような会社では、身内への不満は聞いてもらえないどころか、暗にクビをほのめかされて終わった。でも、このままでは佳子をはじめ、育ってきた若手が潰される。もう、我慢している場合ではない。
「わかった、私がなんとかする」
「なんとかするって、なにする気ですか!?」
 資料室を出て足早に歩く私を、佳子が追ってくる。かまわずに勢いよく歩き、部署に戻って部長の前に立った。
「部長!」
「……なんだ?」
 パソコンを操作していた手を止め、彼が怪訝そうに私を見上げる。一度、深呼吸して覚悟を決め、私は部長の胸ぐらを掴んだ。
「女子社員虐めも大概にしろよ!」
 部長の腰が軽く、椅子から浮く。いきなり私から怒鳴られ、彼はわけがわかっていないようだった。
「オマエが威張っていられるのは、オマエが偉いからじゃない。この会社の部長だからだ。だいたい、オマエごときが人の容姿をバカにできると思っているのか? この、短足チビで、デブのハゲが!」
 一方的に捲したて、部長を突き放す。彼が椅子からずり落ちると同時に、頭頂部の髪がズレた。
 ……え、マジでハゲだったの?
 そこはただ単に悪口のつもりだったので、ちょっと悪いことをした。
「な、な、な、な」
 私の剣幕に押されたのか、慌てふためきながら彼が椅子に迫り上がってくる。
「お前は、クビだー!」
 部長が唾を飛ばしながら叫んだ途端、とうとうカツラが……落ちた。
 会社側としてはこれで私をクビにしては醜聞が悪いのと、それなりに私は実績を作っていたので引き留めてきたが、すっぱり辞めた。あの役員家族の中で唯一の良心である人事部長が、私が辞めるのと引き換えに職場環境の改善を約束してくれたのもある。とはいえ私が辞めたあと、佳子をはじめとして数人、続いて辞めたと聞いた。

 こうして私は就職活動を開始したわけだけれど、面接で辞めた理由を話した途端、難色を示された。
「ねえ、それってあなたに非がないといえるの?」
 まるで私を責めるかのような面接官が、理解できない。確かに、感情のままに突っ走り、部長を恫喝するようなことをしてしまったのは悪かったと思っている。しかも、図らずも彼がカツラだと暴いてしまった。でも、それもこれも部長が私たちにパワハラ、セクハラを働き、いくら訴えても改善しなかった結果だ。なのに、全面的に私が悪いように言われるのがわからない。
 別の会社でも、似たような反応だった。
「確かにその部長も悪いけど、キレる君も悪いよね?」
「……そう、ですね」
 じゃあ、あの場合、どうするのが正解だったのか教えてほしい。私たちは彼から与えられる屈辱と言葉による暴力に耐えるしかなかったの? 会社はいくら掛け合っても取り合ってくれなかった。私の一件があってようやく、重い腰を上げたくらいだ。
「……また、ダメか」
 家に帰り、スーツのままベッドに倒れ込む。ああいう会社はきっと、多かれ少なかれ今までいた会社と同じような体質なんだろうから、向こうから落としてくれて不幸中の幸いだ。それでも、なかなか決まらないダメージは大きかった。

 その日の面接は私の大本命、Sky End Companyだった。社長であり自らもデザインをしている天倉あまくら有史ゆうしの率いる、少数精鋭の会社だ。前々からここで働けたら、と憧れていた。先頃、欠員が出たとかで急に求人が出て、慌てて応募したのだ。早速、会いたいとの連絡をもらい、緊張しながら向かった。
 面接は天倉社長自身だった。社長室の応接セットに、彼と向かいあって座る。緩くウエーブしたダークブラウンの髪、目もかなり茶色がかっているので、もしかしたら色素が薄いのかもしれない。ブラウンデミのボストン眼鏡の下で目尻が少し垂れていて、優しげな雰囲気を醸し出していた。今年で四十だという彼は、いわゆるイケオジだった。写真で見るよりも実物の天倉社長は何倍も素敵で、ついぽーっと見つめてしまう。
「経歴も問題ないし、しかもあの、ニャンスタ映えするカフェで有名な、『シュケットゥ』のデザインもしたとか」
「ありがとうございます」
 憧れの人に褒められ、ほのかに頬が熱くなっていく。シュケットゥは少し前にやった仕事で、私の代表作でもある。メディアでも紹介され、注目されていた。会社が私を手放したくなかった、理由でもある。
「それで。なんで前の会社を辞めたの?」
 ……きた。
 避けて通れない問題だというのはわかっている。それでも、姿勢を正していた。
「前の会社では、部長のセクハラとパワハラが酷くて……」
 女子社員へのボディタッチや容姿いじり、意味のないダメ出しなど、実際にあったことを話した。改めて今時、こんなことがまかりとおるのかと思うが、家族経営で役員のほとんどが高齢となると、昭和の時代から考えがアップデートできないのかもしれない。
「じゃあ、それに耐えかねて?」
 両膝の上に肘をつき、前のめりになった天倉社長は、今までの面接官とは違い誠実そうに見えた。
「あ、いえ、そういうわけでは……」
 部長の態度には腹を立てていたが、私自身は我慢ができた。けれど、同僚を、可愛い後輩を泣かし、潰されるのには耐えられなかった。
「それで後輩の涙を見て、ついキレちゃったんですよね。女子社員虐めも大概にしろよ、この短足チビがー! ……って」
 ちらりと視線を向け、天倉社長の反応をうかがう。これでいつもと同じならば、幻滅だ。――しかし、彼の反応は私の予想を遙かに裏切ってきた。
「それで会社、辞めちゃったんだ!」
 それまでの姿勢を解いた彼は、わざとらしいくらいに大きな声を上げて笑っている。ガラス向こうのオフィスにまで聞こえるのか、おかげで通りかかった人がぎょっとした顔で中をのぞき込んだ。
「最高だね、君」
 眼鏡を浮かせ、笑いすぎて出た涙を天倉社長は人差し指の背で拭っている。
「……どうも」
 そこまで大笑いされて、さすがにいい気はしない。
「あー、うん。僕としては気に入ったんだけど、さすがに社長の一存では決められないからね。他の人間とも相談してみるから、返事はちょっと待ってくれるかな」
 ようやく治まったのか、社長はソファーに座り直した。
「はい、よろしくお願いいたします」
「うん、二、三日中には連絡するから」
 今日の今日で返事ができないのはわかっている。でも、いつもと違っていい感触で期待ができた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございました」
 立ち上がった私を天倉社長がドアまで送ってくれる。
「こちらこそ、楽しい時間を……」
 思い出しているのか、くつくつとまた彼が笑い出す。思わず睨んでしまったら、軽く咳払いをして誤魔化された。
「ごめん、ごめん。君と一緒に仕事ができるのを、楽しみにしてるよ」
 柔らかく笑い、彼がドアを開ける。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 頭を下げ、会社をあとにする。――これが採用メールをもらう、二日前の話だ。

 メールをもらった翌日、私は再びSky End Companyを訪れていた。
「それで。採用条件の確認、だったっけ?」
「はい」
 天倉社長自らコーヒーを淹れてくれ、私の前に自分の分と一緒に置きながら座る。
「勤務時間は九時半から十七時まで。休日は土日祝日と夏季、年末年始休暇あり。あとは……」
「そういう話じゃなくてですね!」
 ごく一般的なことを説明し出した社長を制する。
「じゃあ、どういう話?」
 怪訝そうに彼が僅かに首を傾げる。それが、四十のおじさんなのに可愛く見えた。
「あー、えっと。これ、これはどういうことですか?」
 ついそれで怯みそうになったが、これは重大問題なのだ。バッグから携帯を取り出して操作し、問題のメールを見せる。
「この、【追加条件 社長との婚姻】って」
「文字通りの意味だけど?」
 またしても社長は、小首を傾げた。
「社長って天倉社長のことですよね?」
「そうだよ」
 足を組み、彼はコーヒーを一口飲んだ。
「社長との婚姻って、私は天倉社長と結婚しないと採用してもらえない、ってことですか?」
「そうなるねー」
 彼は涼しい顔でコーヒーを飲んでいるが、なぜこんな条件がまかりとおると思っている?
「でも、天倉社長は結婚していらっしゃいますよね?」
 私の視線が彼の左手薬指に向かう。それに気づいたのか、天倉社長はカップを置き、確認するように左手を持ち上げた。
「ああ、これ?」
 そこにはまごうことなく結婚の証しが嵌まっている。
「そうだねー……」
 するりと指環を撫でたあと、社長は淋しそうに眼鏡の奥で目を伏せた。
「僕は八年前に妻を事故で亡くしていてね。今でも僕は彼女を愛しているから、こうして指環を」
 ぽつりとこぼした彼はつらそうで、聞いてはいけなかったと悪い気持ちになる。
「それは……すみません」
「いや、いいんだ。これは君にも関係のある話だからね」
 吹っ切るかのごとく社長は勢いよく顔を上げた。
「『四菱地所よつびしじしよ』って知ってるかい?」
「それは、まあ」
 四菱地所といえば都心の一等地にいくつもビルを構える、不動産会社だ。それになんの関係が?
「僕の父はそこの会長でね」
「そうなんですね、知らなかったです」
 驚きはあったが、そうなんだとくらいにしか思わなかった。
「まあ、公にはしてないからね」
 なぜか軽く、社長が肩を竦める。
「ひとり息子の僕には、跡取りを期待されていてね。今は親類が社長をしているが、将来的には僕の子供に継がせたいらしい。しかし僕と亡くなった妻とのあいだには子供がいないんだ」
 はぁっと物憂げに社長はため息をついた。もしかしてだから、彼とのあいだに子供を作ってほしいという話なんだろうか。だったら、ここの採用を蹴るのは断腸の思いだが、それでもお断りだ。
深里みさと……あ、亡くなった妻なんだけど、深里が亡くなってから再婚しろって母がうるさくってさ。四十になってからはもうあとがないとばかりに酷くなって。でも僕は今でも深里を愛しているから、再婚する気なんてまったくない」
 子供云々じゃないのにはほっとしたが、だとしたらどうして私と結婚したいのか理解ができない。そんな私を置いて、天倉社長の話は続いていく。
「それで、誰かと偽装結婚すれば、母も諦めてくれるんじゃないかと」
 そこでいったん言葉を切り、社長は真っ直ぐに私を見据えた。
「こんなお願い、無茶苦茶だってわかっている。でも僕は君の会社を辞めた理由を聞いて気に入って、頼んでみようと思ったんだ」
 社長の目は少しも揺るがない。それだけ、決意は固いのだと気づいた。しかし、結婚となるとそう簡単に返事ができるわけもない。
「偽装とはいえ社長夫人だ、それなりの生活は約束する。生活の一切は僕がみるし、それ以外に手当……というと言い方が悪いけれど、それなりのお金を渡すよ」
 これは偽装結婚なんて無茶を提案する、彼なりの償いなんだろうか。けれど問題はお金ではないので、首は縦に振れなかった。
「お話はわかりました。もし私が天倉社長との結婚を拒否したら、どうなるんでしょうか……?」
 それが一番の懸念材料だった。拒否したら採用はなし、とかはないと思いたい。
「もちろん、この話はなかったことに」
 重々しく社長が頷き、待望の採用がダメになりそうなのにも、天倉社長の人柄にも失望した。
「……なーんて嘘だよ。みすみす有望な人材を逃すなんて、バカだからね」
「はぁ……」
 落ち込んでいる私がおかしかったのか彼がふふっと小さく笑い、なんか気が抜ける。
「仕事は月曜日からでいいかな」
「はい、問題ありません」
「じゃあ、月曜日からお願いするよ。結婚の返事はそのときに」
「……わかりました」
 差し出された彼の手を、微妙な笑顔で握り返した。

「あー、疲れた!」
 家に帰り、着替えもせずにベッドに倒れ込む。
「亡き奥様との愛を守るための偽装結婚、か……。くーっ、尊い!」
 お気に入りのペンギンのぬいぐるみを抱き締め、ごろごろと転がる。そこかしこに積んであるティーンズラブ小説からわかるように、私は他人様の恋愛が大好きなのだ。
「純愛を守るためなら、お手伝いしてあげたいけど……」
 興奮も治まり、キッチンへ行ってお茶を飲む。私はいまだに男性と縁がなく、処女なのだ。そんな私が偽装とはいえ、妻のフリなんかできるのか気にかかる。
 気にかかるといえば、天倉社長との結婚を断ったあとも問題だ。彼は返事の如何によらず採用だとは言ってくれたが、それが今後の禍根にならないとも限らない。これはもう、天倉社長と結婚するしかないのか……?
 ――そして、月曜日。

「早速返事を聞かせてもらおうか」
 始業時間よりもかなり早い時間に呼ばれていたので、社内には誰もいなかった。淹れてきたコーヒーを私の前に置き、天倉社長が前のめりになる。
「私は天倉社長と、結婚します」
 それこそ、ここに来るまで何度も何度も自問自答した。あの、天倉社長の下で働きたい。これは絶対だ。しかし結婚を断れば彼は気にしないかもしれないが、私が後ろめたさを抱いてしまいそうだった。それに、私が天倉社長の純愛を守るのだと思うと……興奮する。そんなわけで、彼との結婚を受け入れようと決めた。
「本当にいいのかい? 僕と結婚しないからって採用を取り消したり、冷遇したりなんてしないよ?」
 自分から求めてきたというのに、心配そうに社長が私の顔をのぞき込む。こういう人だからこそ、その願いを叶えてあげたいと思ったのもある。
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
 こうして私は採用と引き換えに、天倉社長と結婚することになった。

……以下、続く。

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