家庭侵略されています!~魔王の逆異世界スローライフ【同人誌サンプル】
――目を開けたら知らない男の顔が見えた。
……ああ、これはやっちまったパターンか。
二十六歳にもなり、少ないなりに経験もあればそれくらいすぐに悟れる。年も同じくらいに見え、きっとそうなんだろうとなんとなく納得し、ベッドの中でもそもそと寝返りを打って再び目を閉じた。昨日は、悪いお酒だったもんなー。仕事押しつけられたうえに、評価は横取りされて。あんな会社、いい加減辞めたい。相手は目を覚ます気配がないし私も二度寝しようとしたものの、ありえないものを見た気がして思わず起き上がっていた。
「ツノ!?」
「うるさい……」
私の声に反応した男がそのツノが邪魔にならないようにか、角度を変えてまた枕に顔をうずめる。
「ええっと……」
酔った勢いで男を連れ込み、一夜の過ちを犯したまではいい。……いや、よくないが。しかしそこまではそこそこありがちな展開なので、まだ理解できる。問題は彼の頭に生えているあの――ツノだ。
「本物……?」
起こさないようにそーっと、それに触ってみる。きっと、コスプレの作り物だと思う。けれど、いくら揺らしたところで外れる気配がない。
「えっ、ちょっ、なんで!?」
次第にどうにかして取ってやろうと躍起になっていた。
「痛いんだけど」
そのうち鬱陶しくなったのか、男がのそりといかにも迷惑そうに起き上がった。
「どうしてこれ、取れないの!」
「あー……」
頭をぼそぼそと掻き、男は私の抗議を受け流した。
「生えてるからに決まってんだろ」
はぁっと煩わしそうに男の口からため息が落ちる。なに当たり前なこと聞いてんの?って感じだが、私の常識の中に頭にツノが生えている人間はいない。
「いやいやいや。ない、ないから」
ツッコみつつ、二日酔いからではなく頭が痛い。これは凄く、面倒くさい人間を連れ込んじゃったんだろうか。昨晩の私に膝詰めで説教したい。
「なにがないんだ、我が妻よ」
「……は?」
さらに彼の口から耳を疑う言葉が出てきて固まった。三瞬のち、あいたままの自分の口に気づいて慌てて閉じる。
「……いま、なんて言った?」
おそるおそる、どうか私の聞き間違いであってくれと願いながら聞き返す。
「ん? だからなにがないんだ、我が妻よ」
「んー」
〝我が妻〟って誰のことだ? ってここには私と彼しかいない。いつ、私は彼と結婚したんだ? そもそも、あのツノはなんだ? ああ、あれか。きっとこれは夢だから、寝て目が覚めたらいつもどおり……。もそもそと布団に潜り、目を閉じる。しかしすぐに、男から起こされた。
「妻よ。寝るのはいいが腹が減った」
「んんっ!」
人がせっかく夢で片付けようとしているのに、現実に戻すがごとく男の腹が派手な音を立てる。
「はぁーっ……」
仕方なく再び起き上がり、諦めのため息をつく。
「……なんか作るからちょっと待ってて。……おっと」
嫌々ベッドを出たところでよろめいた。
「大丈夫か?」
男の眉間に心配そうに皺が寄る。
「平気」
などと答えながら、微妙な身体の不調に気づいた。ぐっすり眠ったはずなのに、疲れがまだ停滞している。しかしこれは、昨晩飲み過ぎたせいだと片付けた。
簡単に洗顔等を済ませ、キッチンに立った。だいたい、なんで私が朝食を作ってやらないといけない? あれか、家事は女がするものとでも思っているのか。そんなヤツはお断りだ。なんか変な人だし、朝ごはんを食べたらさっさと出ていってもらおう。
「できたよー」
テーブルの上に料理を並べていく。不本意だったのもあり、千切ったレタスに目玉焼き、あとは炒めたウィンナーとトーストと、簡単手抜きだ。
「すまないな」
キッチンへ来た男はベッドの中ではわからなかったが、縦にデカかった。それはいいが、ほぼ真っ裸なのはなんでだろう?
「あのさ。服、着てもらえる?」
「あー……。服は、ない」
男は困ったように頬を掻いている。
「勇者との激闘の末ここに飛ばされてきたので、服は破れてこれだけしか……」
情けなさそうに男が摘まんだのは、腰回りにかろうじて纏わり付くボロ布だった。私の中で彼の評価が、〝コスプレ野郎〟から〝厨二病の危ない人〟にクラスアップされる。勇者と激闘って、自分は魔王だとでもいうのか? さらに異世界転移でもしてきたと。そういう話はラノベとアニメの世界だけでお願いしたい。
「……とりあえずこれ、着てて」
昔の彼氏が置いていったジャージを引っ張り出して彼に渡す。処分していないのは未練ではなく、ただ単に面倒くさいからだ。
「助かる」
彼は受け取ってそれを着たが、Tシャツはツノが通らないから諦めたみたいだ。上着が前開きだったのは不幸中の幸いか。それにしても、前の彼氏は平均的な身長だったのでズボンの丈が足りないのはわかる。しかし上着が若干、短いくらいなのはどうしてだ? あれか、それだけ腰が高いのか。少し長めの黒髪がぼさぼさなのは寝起きだから仕方ないとして、よく見れば顔もいいし、厨二病なのがつくづく惜しまれる。
服も着てもらったので、彼と向かいあって朝食を取る。箸を出していたが、どうも彼は使いづらそうなのでフォークを渡した。黒髪黒目で日本人とも西洋人とも区別がつかないような顔立ちだから、もしかしたらあちらの人なのかもしれない。それにしては日本語が流暢だが。
「ごちそうさまでした、と。じゃあ、さっさと帰っていただけますか?」
食事も終わり、にっこりと笑って彼に退去をお願いしたものの。
「帰る家などない。それに苺と結婚したのだから、ここが俺の家だ」
「……は?」
男は頷いているが、私にはまったくもって状況が理解できなかった。
「えっ……と。私とあなたが、いつ、結婚したと?」
結婚したなどという記憶はこれっぽっちもない。しかしながら昨晩はお気に入りの居酒屋でひとり飲んでいたあたりから記憶がすっぽり抜け落ちているので、そのあいだになにかあってもわからないが。
「同衾したら夫婦なのは常識だろ?」
「ええーっ、と?」
ドヤ顔をされても、そんな常識は日本にはない。やはり彼は外国の方らしい。
「そんな常識はありませんので、お気になさらずお引き取りを……」
「い、や、だ。俺は苺と契ったのだから番だ。ここにいる」
ぷいっと彼が、私の話を拒否するかのようにそっぽを向く。いやだとか子供か! なんてツッコまなかった私を褒めてほしい。
「いやでも、お家の方が心配しませんか? それにいきなり転がり込んできて居座られても困るんですけど」
「うっ」
上目で不満を込めて睨むとさすがの彼も固まり、だらだらと汗を掻いているように見えた。
「……家は、ない。正確にはあるにはあるがもう二度と帰れないので、行くところがない」
渋々といった感じで目もあわさずに、彼が理由を話す。しかし、これって。
「いい年して家出ですか?」
「違う!」
間髪入れず彼がテーブルを叩き、食器が跳ねてガシャンと大きな音を立てる。おかげで身体がびくりと大きく震えた。
「俺だって帰れるならいますぐ帰りたい。でも、別の世界に飛ばされた俺には帰る手立てがないんだ……」
苦しげに彼が声を絞り出す。項垂れてしまった彼は演技をしているようには見えず、からかう気にはなれなかった。
「……その。別の世界、って?」
尋ねたのはただの興味本位だったと言っていい。それに作り話だろうけれど、ちょっと面白そうだから話を聞いてみたいというのもある。
「……俺はこことは違う別の世界で、魔王をしていた」
テーブルの上を見つめたまま、ぽつりぽつりと彼は話し出した。
彼――ニキシアス・ベリト・キュラバムは魔王として魔族を治めていた。魔族といっても人間を滅ぼそうとしていたわけではなく、ただの別の種族として仲良く穏やかに暮らしていたそうだ。けれど見た目が違い、自分たちよりも強い彼らを人間は勝手に恐れた。恐れ、彼らを滅ぼそうとし、勇者一味を送り込んできた。ニキシアスは魔族を守って勇者と激闘。その末、勇者の放った渾身の一撃で次元に穴が開き、こちらに飛ばされてきたのだという。
「あのあと、魔族がどうなったのか知りたい。せめて、女子供だけでも無事ならいいんだが……」
ニキシアスの顔は苦悩で歪んでいる。もしこれが作り話ならば、かなりのなりきり具合だ。
「無事ならいいね」
彼は本当につらそうでかける言葉が見つからず、チープな慰めしかできなかった。
「ありがとう。確かめる術はないから、信じるしかないが」
力なく笑う彼を見て、胸の奥できゅんと甘い音がした気がした。いやいや、彼の話を完全に信じたわけじゃないし、まだ厨二病疑惑は拭えないのだからありえない。
「でも……さ。魔王だとか異世界だとか言われても、やっぱり信じられないよ」
あのツノはどんなに頑張っても外れなかった。これまでの経緯を話す彼が、嘘をついているようにも見えない。それでもそんなファンタジー設定、やはり無理がある。
「証拠とかあるの? ほら、魔術とか」
「証拠か……」
少し悩んだあと、ニキシアスはテーブルの上で指を鳴らした。――次の瞬間。
「へ!?」
パーン!と大きな音と共に、テーブルが木っ端微塵に砕け飛ぶ。
「え、嘘? これ、手品?」
「手品じゃない」
私が疑い、彼は不満そうだ。それにニキシアスがなにか準備をしていたわけではなさそうだし、手品ではないだろう。
「この食器、気に入ってたのにー。テーブルも新しいの買わなきゃー」
壊れてしまったそれらを見ていると、次第に怒りが湧いてきた。
「証拠を見せろと言ったのは苺だろーが」
「うっ。それは、そうだけど」
若干、キレ気味に言われ、一瞬言葉に詰まる。悪いのは私なのか? でも、食器ごとテーブルを破壊しなくてもいいと思う。
「それで。信じたのか」
やるせない気持ちで片付けをしていたら、ニキシアスも手伝ってくれた。そういうところはいかにもいい人……魔族っぽい。
「まあ……、一応」
世界は広いんだから、たぶん異世界転移してくる魔王もいるのだろう。……と、自分を納得させておく。そうじゃないと処理しきれない情報が多すぎて、パンクしそうだった。
「でもさ、結婚はないよ。私、あなたと結婚する気なんてないし」
この際、ニキシアスが魔王だなんて話はおいておく。もし彼がその辺にいるごく普通の日本人男性だったとしても、私に結婚する意思はない。こんなイケメンとの結婚を断るのは惜しい気もするが、私はまだまだ独身を謳歌したいのだ。
「だから。苺に結婚する気があろうがなかろうが、契った時点で番になっているんだ、俺たちは」
苛々とニキシアスは反論してくるが、なんだその理論は? 寝たら番――夫婦ってじゃあ、世のセフレたちはどうするんだ。でも、もしかしたら愛しあって夫婦になりたいから契るんだとしたら、それはそれでかなりな純愛なのでは? しかし、私たちはそうじゃないのだ。
「あなたの世界ではそうなのかもしれないけど。この世界では婚姻届って書類を役所に提出しないと夫婦になれないの。だから、諦めて?」
婚姻届を出さなくても事実婚という夫婦もあるが、それは黙っておく。それに異世界人であるニキシアスには戸籍がないから婚姻届も提出できない。これはもう、諦めるしかないのだ。
「それを提出すれば苺と番になれるんだな?」
「そ、そうだね」
ニキシアスが唇が触れそうな距離まで迫ってきて、手で彼を押さえつつ目を逸らしていた。
「じゃあ、なんとかする」
右の口端をつり上げ、彼が自信満々に笑う。いや、なんとかって無理でしょ、なんて高を括っていた。
土曜で休みなのもあって、とりあえず最低限の生活用品を買いに出た。ニキシアス――ニキは靴もなかったので、これまた元彼が置いていったガーデンサンダルを履かせる。あきらかにサイズのあっていないジャージにガーデンサンダル、さらにツノまで生えた男を連れて歩くのは恥ずかしすぎるが、いないと服のサイズがわからないので仕方ない。それに、自分のものなんだから荷物持ちくらいしてほしい。
「なあ、あの馬がいないのに動く馬車はなんだ!? しかも滅茶苦茶速いぞ!」
「車だよ、車。轢かれると死んじゃうから、歩くのは道の端っこ、渡るときは横断歩道を青信号でねー」
「ドアが勝手に開いたぞ! この世界にも魔術があるのか!?」
「自動ドアだよ、自動ドア。魔術じゃなくて電気で動いているのー」
この世界が珍しいのか、目をキラキラさせてニキはあちこち見てまわっている。そんな彼とはぐれないように、子供のように手を繋いで歩いた。それに好奇心が先に立ち、私の適当な説明はほとんど耳に入っていないようだ。
家の近所はそうでもなかったが、電車に乗るとさすがに注目された。
「……ねえ。そのツノ、なんとかならないの?」
無駄だと知りつつ、それでも尋ねてみる。
「ツノ? ああ、これは苺以外には見えてない」
「へ?」
そう、なの? そのわりにみんな、ニキを見ているけれど。
「認識阻害? 実際には見えているが、見えていないと認識する術をかけてある。だから苺以外には見えない」
ちょんちょんと軽く、指先でニキがツノをつつく。見えている私としては信じられないが、彼がそう言うのならそうなのだろう。だとしたら注目されているのはニキがはしゃいでいるから?
「……あ」
「どうした?」
私が唐突に声を上げ、不思議そうにニキが顔をのぞき込む。
「なんでもない」
「そうか?」
笑って誤魔化すと、ニキは顔を離してくれた。ニキへの視線のほとんどは、女性からだ。彼が格好いいから、それだけ人目を引いている。それに対して優越感があるかといえば、まったくなかった。それよりも面倒なことになったというのが大きい。
つり革が低くて、バーに掴まるニキをちらりと見て正面に視線を戻すと、ガラスに彼と私が並んで映っていた。だいたい、ダボダボパーカーにジーンズ、ショートボブなんて十人並みの私が、イケメンな彼と釣り合うわけがないのだ。……いや、イケメンでも自称魔王要素が加わればわからないが。
ファストファッションの店で下着から一式何セットか買い、ドラッグストアで歯ブラシとかも買う。ニキはどこでも、興味津々だ。
「ねえ。髭は剃るの?」
「髭?」
私の問いで彼は自分の顎を撫でた。
「獣人でもないのに、髭とか生えるのか? ああ、そういえば人間には生えていたような」
意外そうな顔で言われ、なんか気が抜ける。……うん、そうか。種族が違うんだもんな。外国人との生活だって大変だが、ニキとの生活はさらに大変そうだ。
買うものが減って出費が減ったと喜ぶことにして店を出る。あとは布団だけなので一旦、昼食を取ろう。
……以下、続く。