見出し画像

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが【同人誌サンプル】


 前日とは真反対の、どんよりと重い気持ちで出社した。
「おはようございます……」
 私の、斜め前の席の持ち主はまだ、出勤してきていなかった。もそもそと準備をし、まだある時間で昨日の復習なんてやってみる。
「っはよっす」
 始業時間ギリギリになって京塚主任が出勤してきた。なんか椅子に座るとき、じろっと冷たい視線で見下ろされた気がしたけど、……気のせいだと思いたい。
 朝礼が終わり、業務がはじまる。
「昨日教えた入力、やっとけ」
 私にデータを渡し、京塚主任は別の仕事をはじめた。
 ……今日は、上手くやる。
 深呼吸をして、入力をはじめた。
 ――ピンコン。
【入力値が有効ではありません】
「うっ」
 しばらくは順調にできていたものの、昨日と同じメッセージが上がってくる。
「どれ、だろ?」
 昨日、京塚主任が私に教えることなく処理してしまったところだから、わからない。助けを求めるように彼を見たら、目があった。教えてほしいと口を開きかけたものの、速攻で逸らしてしまう。だって――手間かけさせんなっ! って眼鏡の奥の目が語っていたから。
「……詰んだ」
 はぁーっ、とため息をついたら同時に他からも聞こえてきた。席を立った京塚主任が私の後ろに立ち、昨日と同じで操作をして実行ボタンを押す。
「おい、西山にしやま!」
「ハ、ハイッ!」
 向こうの島で、私と同じ年くらいに見える男性が弾かれるように立ち上がる。そのまま彼はマッハで京塚主任の前に立った。
「オマエ、いい加減にしろよ? いつになったら正確にオーダー票書けるんだ? っ?」
「す、すみません!」
 長身の京塚主任から高圧的に見下ろされ、西山さんは完全に怯えている。
「入社何年目だよ、オマエ?」
「に、二年です……」
「もう後輩も入ってきたのに、まだ新入社員気分か、?」
 じろっ、と眼光鋭く眼鏡の奥から京塚主任に睨みつけられ、西山さんはびくっと身体を大きく揺らした。
「オーダー票くらい、まともに書けや。こっちが迷惑するんだし」
「す、すみませんでした!」
 勢いよく下げられた西山さんのあたまの上に、京塚主任がため息を落とす。
「次はないと思えよ」
「ハ、ハイッ! 肝に銘じておきます!」
 西山さんがさらに深く、あたまを下げた。京塚主任が席に戻り、彼もすっかり肩を落としてとぼとぼと自分の席へ戻っていく。……えーっ!? そんなに怒鳴んなくてもいいよね? 確かに、彼のせいで手間は取らされたけど。
 すでに京塚主任はなんでもない顔で作業を再開している。絶対に彼を怒らせるようなことだけはしないようにしようと、固く誓った。
「終わったか」
「はい」
 京塚主任から声をかけられ、顔を上げる。
「じゃあ、次を教えるぞ」
 仏頂面で今日も彼は私に仕事を教えてくれた。それを一言一句漏らさぬよう集中して聞き、メモに取る。
「じゃあ、これ、入力しておけ」
「はい」
 また、もらったデータを元に入力していく。今度はなんの問題もなく進められた。
 お昼は今日も、休憩室で作ってきたお弁当を食べる。
「ここ、いいかな?」
「あ、はい。どうぞ」
 蓋を開けてすぐ、私の前にカップ麺とコンビニおにぎりを掴んだ西山さんが座った。
「どう? 仕事は慣れた?」
 おにぎりのビニールをバリバリと剥ぎ、西山さんが頬張る。にこにこと笑っている彼は、誰かさんと違って非常に人がよさそうに見えた。
「あー……。その、まあ」
 曖昧な笑みで、言葉を濁す。京塚主任の下なんて無理です! なんて言えるわけがない。
「まあ、あの人の下とか大変だと思うけど」
 私の答えに、西山さんが苦笑いを浮かべる。それに、周りの人間も同じように思っているんだと少し、安心した。
「なんかあったらいつでも言ってよ。それこそ、京塚主任の愚痴でもさ」
 ちらっと、彼の視線が少し前を向く。そこでは昨日と同じで、京塚主任がお弁当を食べていた。
「えっと。そのときは、よろしくお願いします」
 笑みを貼り付けて返事をする。こうやって話しかけられて適当に返事をすることはできるが、それ以上は無理だし。
「そうだ。今日、飲みにいかない? 歓迎会も兼ねて」
「あ、えっと。今日は、ちょっと」
「なんだ、残念」
 彼はそれ以上、私を誘う気はないらしく、勢いよくラーメンを啜った。聞いてほしい話も、訊きたい話もたくさんある。でも、私にはまだ、そんなスキルがないし。
 午後からも京塚主任に怯えながら仕事をこなし、今日も終業時間になると同時に。
「おつかれっしたー」
 京塚主任は私を無視して、さっさと帰っていった。
「……まあ、いいけどさ」
 私もそれ以上、する仕事がないから帰るけど。

 その後も、京塚主任との関係は変わらなかった。わからないことがあっても、訊く隙を与えてくれない。それに私がトラブっていたら、説明なくさっさと解決してしまう。訊けばいいのはわかっていたが、あの目に睨まれたらなにも言えなくなった。
 入社して一週間ほどたったその日は、歓迎会だった。
「京塚主任は来ないんですね」
 会場になった居酒屋に、彼の姿はない。いや別に、彼と飲みたかったとか全くないけど。でも、直属の上司なのに部下の歓迎会に顔も出さないなんて、ますます私は彼に嫌われているんじゃないかと思えてくる。
「あー、杏里あんりちゃんがいるからね、あの人」
 隣に座った西山さんは、手酌でビールを飲んでいた。ここではお酌文化なんてものはなく、飲みたい人が自分で注いで自分で飲むシステムなのらしい。素晴らしい。
「杏里ちゃん?」
 とは奥様のことですか?
「京塚主任の娘さん。これがあの人に似てなくて、すっごく可愛いの!」
 西山さんはゲラゲラおかしそうに笑っている。
「あの人、杏里ちゃんを溺愛しているからさー。飲み会よりも杏里ちゃんが大事だから、仕方ない」
「……はぁ……」
 あの顔で、娘を溺愛? 想像ができない……。だってそもそも、結婚していること自体が想像できないんだもん。あ、でも、毎日お弁当持ってきているみたいだし、意外と愛妻家なのかな?
 他にも京塚主任の情報が得られないかと思ったけれど、出てきたのは三十二歳だってことだけだった。まあ、いない人の話を肴に酒を飲むなんて悪趣味だしね。
 飲み会はだらだら続くこともなく、すっぱり時間になって終わった。お酌といい、そのへん、とてもいい会社に就職したと思う。……上司はあれだけど。

 それでも半月ほどたてば、どうにかこうにか仕事はこなせるようになっていた。
 ――ピンコン。
「あー……」
 上がってきた警告を確認し、マニュアルをくる。自分なりに作ったそれは、かなりの厚みになっていた。
「これ、かな……?」
 実行ボタンを押せば、今度はエラーは出ずに新しい画面になった。
「よし、っと……」
 自分なりに調べ、試行錯誤でやっていく。もうすっかり、その癖がついていた。
 ――プルルルッ。
「はい。アルバカンパニー営業部、星谷です」
 初日、あんなにダメダメだった電話も、もう慣れたもの。
『YMコーポレートの岸田です。三島さんはいらっしゃいますか』
 素早く見た席に彼はいない。そのまま視線を移動させ、行動予定を確認する。
「申し訳ありません、ただいま外出しております」
 よし、完璧! なんて安心したのも束の間。
『そうですか。あの、納期の件で確認をしたいのですが、よろしいですか?』
「納期でございますか……?」
 さらなる試練が襲いかかってきて、わたわたと慌てた。けれど小さく深呼吸して気を落ち着ける。
「少々、お待ちください」
 保留ボタンを押し、マウスを握る。社内共通スケジュール表を見れば、納期の確認なんて簡単……簡単……じゃ、なかった。目的の表はすぐに見つかったが、どれが納期なのかわからない。ちらっ、と京塚主任を見たものの、すぐに画面へ視線を戻す。……納期、なんだから最後の奴のはず。目星をつけ、受話器を取って保留を解除した。
「お待たせいたしました。六月十三日になっております」
『当初の予定どおりなんですね! わかりました、ありがとうございます。では、失礼いたします』
 電話が切れ、ひと仕事終えた気分。……でもなんか、引っかかるのはなんでだろう?

 それから三日ほどたったその日も、うんうん唸りつつも仕事をこなしていた、が。
「星谷!」
 突然、怒鳴り声が室内に響き渡った。
「は、はいっ!」
 呼ばれて反射的に立ち上がる。怒鳴った主――三島さんは、掴みかからんばかりの勢いで私の前に立った。
「なんでYMコーポレートさんに間違った納期を教えた!?」
「え……」
 一気に、身体の芯から冷えていく。あれが、間違っていた……?
「あの件は重大なバグが見つかって、納期未定になってるんだ! なのに、当初の予定納期日伝えやがって!」
「す、すみません……!」
 慌てて、あたまを下げた。どうしたらいいんだろう? 先方にあやまった方が……。
「三島さん、すみませんでした」
 誰かが、私の隣であたまを下げる。
「俺の、指導不足です。申し訳ありませんでした。俺の方からも重々言ってきかせますので、ここは矛を収めてやってくれませんか」
 再びあたまを下げるその人を、意外な気分で見ていた。まさか、京塚主任が私を庇ってくれるなんて思ってもいなかったから。
「ま、まあ、YMコーポレートさんも説明したらわかってくれたし。京塚さんがそこまで言うなら……」
 さっきまであんなに怒っていたのが嘘のように、三島さんは平静に戻っていた。
「ありがとうございます」
 またあたまを下げる京塚主任にあわせて私も下げる。
「次からは気をつけるように」
 三島さんが席へ戻っていき、ほっと息をついた。けれどすぐに、京塚主任からあごで会議室を指され、姿勢を正す。会議室でふたりきりになった途端、眼鏡の奥から冷たい視線で刺された。
「ずっと言おうと思っていたが。……なんでわからないなら訊かない?」
「……」
 言えるわけがない、京塚主任が訊かせない雰囲気だからなんて。
「わからないなら訊くのが当たり前だろ。わからないまま適当に処理されても困る」
 もしかして、いままで私ができていると思っていた仕事は、間違っていたのだろうか。それを、なにも言わずに彼が訂正していただけで。間違っているなら間違っているって指摘してくれたらいいのに。こんなふうにため込んで、文句なんか言わず。
「……はぁーっ」
 答えられずに黙っていたら、彼がため息をついた。呆れている? 私だって、自分が悪い自覚はある。でも、その原因を作ったのはそっちだ。
「……俺の、せいか?」
 自嘲するように彼が笑い、カッと頬に熱が走る。人のせいにするのかとさらに叱責されるのだろうと、身構えたものの。
「……だよな。俺のせいだよな。わかっては、いるんだけど……」
 さらに、独り言のように彼の言葉は続いていく。
「すまない。この見た目のせいで人から、特に女性からは怖がられている自覚があるんだ。しかも、ちょっと理由があってオマエを避けていた、となるとなおさら訊きづらいよな……」
 弱々しく彼が笑い、いままでの自分を恥じた。訊かせてくれない京塚主任が悪い、ずっとそう思っていた。壁を作っていた彼に非がないとはいえないが、私だって一歩踏み出し、思い切って訊くという行動ができていなかった。
「これからはもう少し、親しみやすくなるように努力する。オマエも怖がらずに訊いてくれると嬉しい」
 少し赤い顔で、京塚主任はぼりぼりと首の後ろを掻いている。なぜかそれが十も年上なのに――可愛く見えた。
「あの。私も悪かった、ので。わからないなら訊けば済むのに、自分でなんとかするって意地になって。それであんなミス。……すみません、でした」
 心からのお詫びの気持ちで彼にあたまを下げた。
「ん。今回の件はふたりとも悪かったな」
 京塚主任の手が、ぽんぽんと私のあたまに触れる。顔を上げ、思わず彼の顔を見ていた。
「ん?」
 目のあった彼が、眼鏡の下で眉を上げる。そして一瞬、自分の右手を見たかと思ったら、みるみる赤くなっていった。
「……ああ。うちにはガキがいるんだ。その癖で、つい」
 目を伏せ、また照れくさそうにぼりぼりと首の後ろを掻く。その姿に、胸がきゅん、と音を立てた。相手は妻子持ちだというのに。

……全文は本編で。

BOOTH
pictSPACE
Amazon Kindle


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?