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網代さんを怒らせたい【同人誌サンプル】


 翌日。パソコンで映画を観ながら携帯の時計表示を何度も確認してしまう。もし、私が行かなかったら網代さんはどうするのだろう。嫌いだし、敵だけれど、私のせいで彼が困るのはなんか嫌だ。
「ああもう! 行けばいいんだよね、行けば!」
 迷いを振り切るように勢いよく立ち上がる。クローゼットを開けて服を選んだ。さすがに、家着のピンクのスウェットでは行けない。どうしようか悩んで、通販で届いたばかりの服にした。そうだ、今日はこの服を着るために出掛けるんだ。あと、パフェのため。
「ちょっと出掛けてくるねー」
 リビングでテレビを観ていた母に声をかける。
「あんたまた、そんな服買ったの?」
 私の格好を見て母は呆れていた。そんな服って、着物風のブラウスに袴風のスカートのどこが悪い?
「別にいいでしょ。いってきまーす」
 母のせいでちょっと気分は悪くなったのでさっさと家を出る。私の私服のほとんどは、和風や中華風の服で占められていた。コスプレとかからかう人間もいるけれど、私はこれが好きからかまわずに着ている。
 新池駅に着いたものの、どの出口かとか聞いていない。人の邪魔にならないところに避けて携帯を取り出し、NYAINニヤインで網代さんにメッセージを送る。ちなみに NYAINとは猫のマークが可愛い、SNS連絡ツールだ。
【着きましたけど、どうしたらいいですか?】
 画面を見つめていたらすぐに既読がついた。少し待つと返信が上がってくる。
【どこにいる?】
【東改札を出たところです】
【迎えにいくから待ってろ】
 OKのスタンプを送り、そのまま待つ。さほどたたず、遠くに網代さんが見えた。背が高いからすぐにわかるんだよね。私服の彼はライトグレーのパンツにVネックの白カットソー、それに黒のスウェットジャケットを羽織っていて、お洒落ではあるけれど無難な感じだ。
「へぇ」
 私の格好を見て、彼の感想はそれだけだった。しかも真顔だからリアクションに困る。なんと返そうかと考えていたら、さりげなく背中に手を回された。
「じゃあ行こうか」
 そのまま、促してくるが。
「どこに連れていかれるんですか?」
 十一時に駅に集合とは聞いたけれど、それ以外はなにも聞かされていないので不安になる。
「いいからついてこい」
「あっ」
 私の手を掴み、強引に網代さんは歩いていく。しかし歩みはゆっくりで、私にあわせてくれていた。
 着いた先は普通のカフェでほっとした。網代さんは店員の案内を待たずにさっさと店内に入っていく。
「お待たせ」
 そう言って私を奥へと追いやって座らせた席には、向かいあって私の両親とさほど年の変わらなさそうな男女が座っていた。いったい誰だろうという私の疑問に答えるように、網代さんが紹介してくれる。
「僕の両親だ」
 状況がまったく理解できない。なぜ私はいま、網代さんの両親と対峙している? なんていう疑問もすぐに、解決した。信じられない答えだったが。
「こちら、僕が結婚しようと思っている和倉千代子さん」
「……は?」
 思わず変な声が出て、ご両親が怪訝そうな顔をする。笑って誤魔化しはしたものの、〝結婚しようと思っている〟って私たちは付き合ってすらいない。それどころか仲が悪いくらいだ。……いや、私が一方的に嫌っているだけだけれど。
 どういうことか網代さんの太ももを思いっきりつついたら、手を掴まれた。しかもそのまま指をへし折られそうな勢いで、おとなしくする。そのうえ。
立生たつきに結婚を考えるような相手ができてよかった……!」
 ご両親は感激し、いまに泣きそうだ。お母さんにいたってはハンカチで目尻を拭っているし。
「これで安心だろ?」
 笑った網代さんはいかにも胡散臭いが、ご両親はふたり揃ってうんうんと頷いた。
 微妙な気分でランチを食べる。ご両親は嬉しくて仕方ないのか、にこにこしっぱなしだ。網代さんも同じく笑顔だが、完璧な営業スマイルだった。ご両親相手にそんな顔なんて……って、騙しているんだからそうなるか。私はと言えば曖昧な笑みを貼り付け、適当に相槌を打っていた。
「千代子さんとはどこで知り合ったの?」
 興味津々といった感じでお母さんが聞いてくる。
「どこって、会社。少し前に転職しただろ? そこに千代子がいた」
 網代さんに〝千代子〟なんて呼び捨てにされて背筋がぞわっと逆立った。彼から市松以外で呼ばれるのはなんか、気持ち悪い。
「そうなの。千代子さんのどこがいいの?」
「そうだな。人を疑うなんて知らない純粋なところとかかな」
 眼鏡の奥からちらりと私を見た彼がふふっと小さく笑い、カッと頬に熱が走った。いつもいつも私を騙して愉しんでいる彼だもの、あれは絶対にバカにしている。
「千代子さんはうちの息子のどこがいいのかしら?」
「どこ……?」
 隣に座る当人を見上げるとレンズ越しに目があった。優しげに微笑んではいるがその目はまったく笑っていなくて、むしろ下手なことを言ったらただじゃおかないからなと脅してくる。
「……優しいところ、ですね」
 視線をお母さんに戻したら、隣でうんうんと頷く気配がした。まあ、嘘は言っていない。仕事でアイディアが煮詰まってこのままじゃ締め切りに間に合わないとかパニクっていたら、「僕がなんとかしてやるからとにかく落ち着いて仕事に集中しろ」と、先方と日程を調整してくれたりする。嫌なヤツで敵だが、そういう部分では頼りにしているし、尊敬していた。だからこそ、今日はすっぽかして困らせたら悪いなと来たのに、まさか両親に結婚相手として紹介されるだなんて思わない。
「まあ、息子を優しいだなんて……!」
 お母さんは驚いているが、普段の網代さんからしたらそうかもしれない。なんていったって私を騙しては愉しんでいるような人間だ。
 その後もあれやこれやと尋ねられた。
「ええっと……」
 言葉に詰まっていたらちょん、と太ももを隣から指で突かれる。思わずそちらを見るとまた、下手なことを言うんじゃないぞと目で脅す網代さんが見えた。嘘はつきたくないがあとも怖い。結局、ありもしない彼とのハートフルエピソードを捏造した。初デートでランドに行って、マメができて歩けなくなった私を気遣ってくれただとか。プロポーズは綺麗な夕日が沈む海岸だったとか。実際には最近やっている乙女ゲーのエピソードだ。
「千代子さん、うちの息子をよろしくお願いします」
 ひとしきり聞いて満足し、ご両親は帰っていった。
「……いったい、どういうことか説明してもらえるんですよね?」
 ひくひくと唇の端が引き攣る。
「するから場所を変えよう」
 伝票を手に網代さんは立ち上がって私を見下ろした。
 ランチの支払いは網代さんがしてくれた。いや、そうじゃないと納得できない。今度連れてこられたのは、奢ると約束のパフェがある店だった。
「いちごのスペシャルパフェと、コーヒー」
 メニューにざっと目を通し、網代さんがさっさと勝手に注文する。件のパフェは二千円超えなので、もしかしたら私が遠慮するかもと気を遣ってくれたのかもしれない。
 店員がいなくなり、私が抗議するよりも先に網代さんが口を開いた。
「また両親に見合いを勧められたんだ。それで断る口実に市松を使った。すまない」
 真摯に彼からあたまを下げられ、たじろいだ。ないと思っていた姿を見せられ、開きかけた口を噤む。
「……お見合いくらい、してあげればいいのに」
 ご両親は本当に、網代さんが結婚相手を連れてきたと喜んでいた。なのにこんな形で騙すなんて気の毒すぎる。
「もう十三回目……いや、十四回目と聞いて、同じことが言えるか?」
「うっ」
 それだけ見合いをさせられたら、たしかに嫌になる。でもならば。
「はっきり、まだ結婚する気はないと断ればいいのでは?」
 たった、それだけの問題じゃないんだろうか。それにそれだけの回数、セッティングするのも大変そうだ。
「五回目くらいで言ったさ。それでもめげずに相手を連れてくるんだ……」
 行儀悪く頬杖をつき、はぁっと物憂げに網代さんがため息を吐き出す。その顔は本当に嫌そうで、さらに疲れていた。てか、嫌なのに五回もお見合いしてあげたんだ。網代さんってけっこう優しい。そこだけは見直した。
「でもなんで、そんなに結婚させるのにご両親は必死なんですか? 年齢的にはまだ、それほど焦る年じゃないと思うんですけど」
 網代さんがどこぞの御曹司で跡取りが……とかいうのならわかるけれど、ご両親はごく普通の会社員だと言っていた。彼の年で独身なんてごろごろいる。先頃結婚した西沢さんだって、三十五歳だ。
「なんか僕の行く末を悲観してるんだよな……」
 はぁーっとまた、聞いているこっちまで憂鬱になりそうなため息を彼がつく。少し前に転職したとはいえ、真っ当に社会人生活を送っている彼に悲観するような要素があるんだろうか。もしかしてあれか。
「網代さんって失礼ながら、本当に失礼ながら、もしかしてゲ……」
「それはない」
 言い切らないうちにぴしゃりと否定された。いまは理解が進んでいるとはいえ、それでも息子がゲイとなれば悲観したくなる気持ちは共感はできないが理解はできる。しかし、違うとなれば本当になんで?
「あー、でも、違うと言い切れなくもないか……」
 またしても網代さんの口からため息が落ちていく。そろそろこのあたりにだけ、彼のついたため息で雲ができて雨でも降りそうだ。
「お待たせしましたー」
 どういう意味ですか? と聞く前に頼んだパフェとコーヒーが運ばれてきた。福岡ふくおか産あまおうが贅沢にも一パック使われたパフェは非常に美味しそうだが、こんな状況だと堪能できそうになくて惜しい。
「ま、食べろよ」
「……いただきます」
 勧められたのでスプーンを手に取る。網代さんはなにも入れずにコーヒーをひとくち飲み、独り言のようにさっきの続きを話しはじめた。
「僕は、さ。人を好きになったことがないんだ。だから実はゲイだったとしても、さほど驚かない」
「人を好きになったことがないって、どういう意味ですか?」
 なんとなくそれには、私自身にも思い当たる節がある。彼ももしかして、私と同じなんだろうか。
「んー、なんだろうな。好きだと言われて付き合ったことはあるが、友人と恋人の違いがわからなかった。それですぐに別れたし、それに友人たちのどの子が好きかという話を聞いても、まったく共感できなかったな」
 カップを口に運びながら、困ったように彼が笑う。
「僕は恋愛ができない体質なのかもしれない。だから両親は僕の行く末を酷く心配している」
 その言葉が私の胸に突き刺さる。それは私自身の悩みそのものだったから。
「……私も一緒です」
 それまでひたすら動かしていたスプーンを置く。
「友達の恋バナにまったくついていけませんでした。千代子はお子様だからって笑われてましたし、だからだと自分でも思っていました。……でも」
 見上げると、レンズ越しに網代さんと目があった。驚いているようなその瞳を見つめ、言葉を続ける。
「この年になっても初恋もまだだなんて、さすがにおかしいと思って」
 少しでも疑似恋愛体験をして経験値を上げるべきでは?と乙女ゲーなんてやっているが、ヒロインの気持ちは少しもわからない。やりすぎて傾向と対策だけはバッチリになってしまい、架空の彼なら難なく落とせるが、現実は絶対に無理だ。
「私も、恋愛できない体質なのかもしれません」
 恋ができない、私のコンプレックス。同じ悩みを抱える人がこんなに近くにいるなんて、ちょっと嬉しい。
「市松も僕と一緒、か」
 同じ気持ちなのか、コーヒーを飲む網代さんの口もとは緩んでいる。
「私たち、恋愛ができない同士ですね」
「そうだな」
 ずっとひとりで苦しんでいかなきゃいけないのだと思っていた。でもこれからは網代さんに相談できそうだ。
 その後はこの体質故の失敗談や愚痴話をした。
「クラスの男子で誰が好き?とか聞かれても、誰にも興味がないわけですよ。そもそもなんで、クラスの男子が好きな前提なんですかね?」
「あー、それわかるわー。どの子が可愛いってどの子が好きかって意味かわからなくて、馬鹿正直に言葉どおり誰々が可愛いって答えてたら、僕がその子が好きってクラス中に広められて。しかもその子もまんざらじゃないのか恋人面してきてさー。あれは困ったわー」
 いままで誰に言ってもわかってもらえなかった話が理解してもらえるのだ。積もり積もっていた不満がどんどん出てくる。
「だいたい、恋愛しなくったって生きていけるっていうんだ」
「まったくもってそうですよ、余計なお世話です」
 激しくうんうんと頷いた。こんなにすっきりしたのは初めてだ。
「あー、市松とだったら話もあうし、一緒にいて楽しいんだけどなー」
 話疲れて喉が渇いたのか、追加で頼んだオレンジジュースのストローを網代さんは咥えた。私もパフェを食べ終わり、アイスティが追加されている。
「……そうだ」
 なにかを思いついたのか、彼が勢いよく顔を上げる。
「僕たち、付き合わないか?」
「……は?」
 ご両親に紹介されたときと同じくらい、意味不明なことを言われて変な声が漏れた。
「いやだから、恋愛はできないって……」
「練習だよ、練習」
 網代さんがなにを言いたいのかまったくわからない。戸惑っている私をよそに、彼がさらに続ける。
「それっぽいことをやってみたら、そういう気持ちがわかるかもしれないだろ? それにさっきも言ったけど、市松といるのは苦痛じゃなくて楽しいからいいと思う」
 それはそう……なんだろうか。乙女ゲーを散々やっても、少しも理解できなかったのに? いや、しかし現実の男が相手となれば、なにかが違うのかもしれない。さらに私もあんなに敵視していた網代さんだけれど、今日は一気に気持ちが和らいだ。相変わらず市松と呼ばれるのはムカつくが。
「あとさ、これでダメなら本当に恋愛できない体質なんだと諦めがつくだろ」
 その点については同意できるかもしれない。もしかしたらそういうシチュエーションになったことがないから、わからないだけという可能性も捨て切れないし。
「そう……ですね。ありかもしれません」
 もしそんな気持ちになれなかったとしても、こうやって網代さんと遊ぶのはいいと思うからこれはありだ。
「じゃあ、決まりだな。これからよろしく、市松……じゃないな、千代子」
「こちらこそよろしくお願いします」
 差し出された右手を握り返す。こうして私は敵だった網代さんと、恋愛の練習として付き合うことになった。

……全文は本編で。

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