東海村の障がい福祉を見続けて30年 大串稔(おおくし・みのる)の想いに迫る!
表紙写真の説明
就労支援事業所「わーくるほーぷ」の全景
左:にじいろカフェ/中央:作業スペース/右:グループホームみの~る
大串さんの横顔
1945年(昭和20年)佐賀県生まれ。
父が転勤族で、和歌山県、兵庫県、宮城県、北海道で育つ。
日立製作所多賀工場(日立市)に入社。
その後、自動車部品製造部門の移転に伴い、佐和工場(ひたちなか市)に転籍。
定年退職後は、東海村を中心に、障がい福祉の現場で自ら実践する活動を多数展開。
東海村心身障がい児者親の会の会長職を歴任してきた中で、保護者の高齢化に伴う最も大きな心配事は、「親亡き後」の子どもたちのことであり、住み慣れた地域で支え合い、楽しく生活することができる環境を創り上げることが大きな課題であると感じていた。
NPO法人まつぼっくりを設立した経緯は
2006年(平成18年)4月、民家を借用して小規模作業所を立ち上げて、障がい者の生活・就労支援活動をスタートさせました。同年6月にNPO法人まつぼっくりを設立し、東海村の地域活動支援センター事業を受託することで本格的な活動がスタートしました。
2006年(平成18年)は、障害者自立支援法が施行された年でもあり、障がい者を取り巻く環境が大きく転換された時期でもありました。
さらに、東海村に目を向けると、翌2007年(平成19年)は、なごみ東海村総合支援センターを整備した年であり、障がい児・者の相談支援体制や小・中・高校生の放課後支援、卒業後の就労支援等、総合的な支援体制の充実を目指し、新たなプロジェクトが始まるタイミングでもありました。
その後、2009年(平成21年)7月に、障害福祉サービス事業所の指定を受けたことから、特別支援学校の卒業生など、幅広い年齢層の受入体制の整備を進めていきました。
大串さん
「茨城県や東海村での親の会の活動を通した実務経験や会社員時代に培ってきた経験がスムーズな法人設立、事業展開につながったと思っています」
その後の活動内容は
おかげさまで年を追うごとに業務が拡大し、入所者・支援者が増え、作業量も増加したことから、事業所が手狭となってきました。
村内を中心に、新たな活動拠点を整備したいと土地を探していたところ、縁あって、障がい福祉に理解のある土地所有者と出会うことができ、その方の協力もあり、現在の就労支援事業所「わーくるほーぷ」を建設することができました。
特徴である「三つの大きな三角屋根」はNPO法人の名前にもなっているまつぼっくりの形をイメージしています。
就労支援の拠点として、おひさまの光が降り注ぐ明るく広い作業スペースや、誰でも利用できるにじいろカフェのほか、2023年(令和5年)には、待望の「共同生活援助グループホーム みの~る」を開設しました。
同一敷地内での一体的な運営が実現できたことにより、地域で障がい者を支えるサービス提供体制を整備することができました。
大串さん
「この地に移転して正解でした。特に、にじいろカフェの事業は、地域の多くの方々にご利用いただき、障がい者が接客や調理補助の仕事に打ち込む姿も見てもらうことができ、障がい者への理解、ともに生きる共生社会への想いが深まっているように感じています。生き生きと活動するお子さんの様子を見て、ご家族の方が将来の不安を少しだけでも払しょくする機会になっていることを考えると、初期の目的を達成しつつあるものと感慨深い想いがあります」
今後の構想、展望など
大串さん
「今後の構想・展望として大きく三つのことがあります。
一つ目は、グループホームの拡充です。女性が利用できるグループホームの設置を検討していかなければならないと考えています。
二つ目は、地域との交流を目的に整備した芝生広場を活用して、地域の方々と関わる機会を創り出すことで、相互理解を深め、楽しく、助け合いながら生活できる環境を作っていくことです。
「わーくるほーぷ」の建設にあたっては、少しでも地域との垣根をなくそうと、意識してフェンスや塀で中が見えなくなってしまう環境にはせず、むしろ中を見てほしいとの想いから、道路側には大きな窓を配置しています。
事業所の運営を通して地域の活性化にも結び付けていきたいと思っています。
三つ目は、利用者や職員が、何より楽しく、充実した仕事に打ち込めるよう、職場環境の改善と整備により一層力を入れていきたいということです」
大串さん個人として一言
「日々、利用者さんの笑顔や施設の前を通る小学生からの『おはよう』という声かけに癒されています。これが私の元気の源です。
小学生には、通学時の110番施設としても利用してもらっているので、日常的に障がい者と接する何気ない機会になっていったらうれしく思います。そんな子どもたちが成長していった未来は、より障がい者への理解が深まり、距離感が縮まった社会になっていることを願って止みません」
取材を通して
2023年(令和5年)10月に、スマホクリエイターズLab.のメンバーとともに、にじいろカフェを取材しました。その時食べた料理は、ボリュームがあり、味も絶品で、さらにスタッフの手際や対応も良く、おいしい食事以上にあたたかい気持ちをいただきました。
また、大きな窓から見える景色もよく、建物が新しいこともあり、本当に気持ちのいいランチタイムを過ごさせていただきました。
取材時の大串さんは強調されませんでしたが、事業を立ち上げ、軌道にのせるまでには、相当の苦労があったことが想像できますし、利用者さんを含め関係者のみなさんへの気配りも相当大変だったのだろうと思います。
大串さんが特に強調していたことは
「この作業所は通過点でありゴールではない。一人ひとりの利用者さんが地域で生活し、仕事し、家族や仲間と生きることが本当に目指すゴールなんです」
ということです。
「障害者」(※東海村では「害」をひらがなで表記しています。)と表現する漢字にはなぜ「害」が使われているのでしょうか?共に生きる当たり前の社会ってどうしたら実現できるのでしょうか?
永遠のテーマのような問いですが、共に考え続けていかなければいけないと今回の取材を通して強く感じました。
▼取材・執筆・撮影担当者
田中克朋/取材・執筆・撮影
秋田県鳥海山の麓に生まれ、就職を機に茨城県へ。東海村には50年近く在住。会社員時代にタイ王国へ出張も含めて通算8年ほど駐在し、現在も現地の人たちと交流をしている。趣味は写真をベースにインスタグラム等のSNSで村内の風景を発信すること。「T-project/東海村スマホクリエイターズLab.」では若い世代に教わりながら楽しんでいます。
松﨑真吾/取材・執筆・撮影
茨城県生まれ、父の仕事の関係で、茨城県ひたちなか市・千葉県松戸市・茨城県東海村で小・中学校時代を過ごす。転校を繰り返した経験をプラスに捉えると新しいコミュニティに飛び込むことが得意な反面、深いつながりを作ることが苦手。「幼馴染」に強いあこがれを持つ。
行政担当者として「T-project/スマホクリエイターズLab.」の立ち上げから関わっている。