描き続けて25年 純粋に美を追い求める翔平さんの想い
みなさんは「ノン・ブラック展」をご存じでしょうか?
今回は、2023年(令和5年)7月に開催された「第63回ノン・ブラック展」において、見事、大賞を受賞された川崎翔平(かわさき・しょうへい)さんを取材しました。母親の浩子(ひろこ)さんにも同席してもらい、家族全員で歩んでこられた苦労話も含めて、本人の絵に対する取り組み、熱意、環境等について、長時間にわたってお話を伺ってきました。(ご協力ありがとうございました)
なお、巻頭の写真は今回大賞を受賞した作品です。テーマは「平和」。左から坂本龍一、マハトマ・ガンジー、キング牧師、大江健三郎です。
ノン・ブラック展とは
「ノン・ブラック展」は、絵画大作品、絵画小作品、写真、陶芸の作家展として毎年実施されているもので、ひたちなか市に運営本部をおく美術集団「ノン・ブラック」が主催しています。
美術集団「ノン・ブラック」は、1969年(昭和44年)に日立市で誕生し、地元で活動するアーティストの発信する場を作ろうと、50年以上にわたり制作活動や展覧会の開催に取り組んでいます。
メンバーは日立市、常陸太田市、東海村、水戸市を中心に活動しており、油彩、水彩、工芸、写真の部門、40人ほどで構成されています。
翔平さんは2019年(令和元年)に新人賞、2023年(令和5年)には見事に大賞を受賞するという快挙を成し遂げました。
なお、翔平さんを応援していると公言する水戸市の高橋市長はご自身のブログを通して、
「私が応援しているのは川崎翔平さんで、自閉症を抱えながらも意欲的に創作活動を継続しており、独特のタッチで人物を表現している作品が高く評価されています。
今回の作品はマハマト・ガンジー氏、キング牧師、大江健三郎氏、坂本龍一氏を鉛筆とマッキーだけで描いて完成させており、川崎翔平さんらしさが滲み出ている作品です。
川崎翔平さんにおかれましては、これからも独自路線を貫き、川崎イズムの作品で私たちに感動を与えていただければ幸いです。
今後の益々のご活躍をお祈り申し上げます。皆様の応援もよろしくお願い申し上げます。」(原文のまま引用)
と紹介されています。
翔平さんのプロフィール
1995年(平成5年)生まれ
石神幼稚園、石神小学校、東海中学校と村内で生まれ育ち、
勝田特別支援学校卒業後は、NPO法人まつぼっくりにて各種業務に従事。
趣味は音楽鑑賞で、特に姉の影響もありEXILE、三代目 J SOUL BROTHERS、嵐などのファン。
絵を描きはじめたきっかけを教えてください
お母さんが、翔平さんが絵を描くことのきっかけなどをお話ししてくれました。
「絵を描き始めたのは3才頃だったと思います。
今思い出すと、お父さん(幸一(こういち)さん)が絵を描いてる時に、膝の上に座り、夢中で見ていたのが絵との初めての出会いだったと思います。
小学生の時、仲間と立ち上げたスポーツクラブ"スマイル"で、水泳やサッカー、テニス等いろいろなスポーツも経験させましたが、同時に、自宅で独学ですが、絵を描くことも続けていました。
中学生の時、当時お世話になっていた大学の先生に『親から離れた自分の居場所をつくることが大切ですよ』とアドバイスをもらったことを今でも大切にしています」
絵画活動としてどのように展開してきたのでしょうか
「中学生の時、写真から模写することを始めました。最初の題材は、学校の校外学習で訪れたつくばエキスポセンターの写真でした。特別に教えたわけではないのですが、多分、父親の姿を見ていたので何となく覚えていたのだと思います。
驚いたのは、細かいところを描き写していくときに、写真そのものでは満足できなかったらしく、カメラ内の画像を拡大したり、パソコンの画面で拡大したりと、本当に細かいところまで忠実に描こうとしていたことです。
描くことに熱中している姿を見て、『これは本当に絵が好きなんだ』と思ったことを今でも覚えています。
同じような時期に、知り合いの方に絵画教室を紹介してもらいました。体験に行ったところ、本人もぜひ行きたいと意思表示があったので通い始めました。それが現在も通い続けている水戸市にあるアトリエ"みかど商会"です。この出逢いが大きかったと思っています」
ここで、アトリエ"みかど商会"の安斎栄(あんざい・さかえ)さんと橘さち子(たちばな・さちこ)さんをご紹介します。
安斎さんは、お父さんが写真店を経営していた縁から、高校卒業後、東京で写真の技術を学び、その後お店を継ぎながら、絵画等の美術関係の技術も身につけ、現在に至ります。美術関係のほか、英会話やフルート教室も手がけるなど幅広くご活躍されています。
橘さんは、武蔵野美術大学造形学部デザイン科を卒業し、現在に至ります。写真の技術もプロ級で、日本写真文化協会・全国展で文部科学大臣賞を受賞するほどの実績をお持ちです。
絵画教室は個人指導で、翔平さんは月2回(基本的には第一、第三火曜日)通っており、1回あたり2時間の指導を受けています。
絵の題材は安斎さんと翔平さんが相談しながら決めているそうで、写真や印刷物から模写することをメインに、描き進めるペースなどは本人に任せる形で進めているとのことです。
安斎さんや橘さんが時々見てあげながら、細かい描き方などの技術的な指導をしているそうですが、翔平さんは、100%満足して納得することはなく、常に修正・手直しを繰り返していくそうです。翔平さんの絵に対する考え方や向き合い方が非常に素晴らしいとお二人とも強調されていました。
実際に、教室で人物像を模写した時に、本人には見え方が違うようで、表情など写真や印刷物とは違う形で描かれることがあるそうです。これが前述した高橋市長の仰っている「独特のタッチで人物を表現している川崎翔平さんらしさ」につながるのではないかと思います。
自宅でもスケッチブックに好きな絵を描いていましたが、そのうちパソコンにも興味を持つようになり、マウスを巧みに扱ってデジタルでも好きな絵を描いていくようになりました。
取材中も事務局が持参したパソコンを使って、絵はがきに描かれたキャラクターを、それはそれは、細かい線に至るまで正確に描き写していき、ほぼ原画に近い作品を仕上げていきました。
今後はどんな活動を展開していくのでしょうか
「特別に決めてはいませんが、本人が好きな絵を思う存分楽しめる環境を作ってあげたいと思っています。
ノン・ブラック展に出品するような大きな作品については、これまでと同様に、絵画教室で安斎さんや橘さんからの指導のもと、相談しながら決めていきたいと思っています。比較的小さな作品も、スケッチブックに鉛筆、サインペン、パステル色鉛筆など使って描いていきたいと思っています。
一方で、自宅では、パソコンを使って絵を描くことも楽しんでいるようなので、引き続き続けてもらいたいなと思いますし、いい気分転換にもなっているようです」
ご家族の想い
「絵の才能なんてなくていいから他の子と同じように普通がいいと思ってしまう場面が今でもありますが、一番は翔平が地域社会の中で生きていくことなんです。
また、本人の絵画スキルが向上し、展覧会に出品できていることはあくまでも結果であって、一番は本人の好きな制作活動を継続できることだと思っています。ノン・ブラック展で、新人賞や大賞を翔平が受賞した形になっていますが、「みかど商会」の安斎さんと橘さんの指導の賜物と思っています。お二人がいたから描けた作品です」
取材を振り返って
当初、90分ほどの予定で取材を始めたのですが、実に話の内容が濃く、引き込まれていくものだったので、予定を大幅に超えて150分にも及んでしまいました。
今回の記事には書ききれない内容がたくさんありましたが、お母さんの浩子さんが繰り返し強調されていたのは、「翔平の居場所がみつかった」という言葉でしたし、私の心に強く残るものでした。
"みかど商会"も訪問させてもらい、翔平さんの描いてる姿や場所を見させていただくとともに、安斎さんや橘さんの考え方や想いなども直接お聞きすることができ、中身の濃い記事が書けたのではないかと自負しております。
やはり人は一人では生きられない。
周りとの関係があって、社会が受け入れてくれる温かい環境が必要なのだと強く思いました。
私個人としても、翔平さんの卓越した才能・創り上げた作品をより多くの方々に見ていただきたいと思っておりますので、今後、翔平さんの絵画展を開催するなど、私ができる協力を続けていきたいと思っています。
▼取材・執筆・撮影担当者
田中克朋/取材・執筆・撮影
秋田県鳥海山の麓に生まれ、就職を機に茨城県へ。東海村には50年近く在住。会社員時代にタイ王国へ出張も含めて通算8年ほど駐在し、現在も現地の人たちと交流をしている。趣味は写真をベースにインスタグラム等のSNSで村内の風景を発信すること。「T-project/東海村スマホクリエイターズLab.」では若い世代に教わりながら楽しんでいます。
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